第34話 魔法書

 私の出した結論は……アッシュに魔法を覚えてもらうだ。


 正直言えば、魔法とやらには大いに興味がわく。

 しかし、戦闘スタイルを考えた場合、私よりアッシュが使った方がより効果的だろう。

 焦る必要はない。

 いま優先すべきは探索の効率化だ。

 魔法の書を入手するチャンスは、迷宮を探索していればまた巡ってくるだろうから。


 私が結論を口にすると、女店主ラノーラは少し驚きアッシュは目を輝かせた。


「では、まず100ジェム貰うわね」


 高いな。指導料としてはあまりに高額だ。しかし、こちらが書かれた文字を読めぬ以上、払うより他はあるまい。

 私はラノーラの言葉に頷くと、懐からジェムの入った袋を出した。


 ――しかし、入っているのは94ジェムだった。

 6ジェム足らない。


「おい、アッシュ。50ジェムずつだ」

「え!?」


 私がそう切りだすと、アッシュは驚いたような顔をする。

 いやいや、魔法を習得するのはお前だろう。半額だしてもらえるだけで有難い話ではないか。


「え~、アニキがだしてよ」

「なぜだ? 稼いだ金はちゃんと二等分しただろうが」


 しかも、探索で得たメイスと魔法書はアッシュの取り分となっている。

 明らかに私の方が損しているハズだが?


「だってアニキじゃん」

「うん?」


 いや、赤の他人だが?

 お前が勝手にそう呼んでいるだけだが?


「だって俺、借金あるんだぜ。お金取られたら、返せなくなるよ」

「いやいや、その借金は俺に対してだろう」


「だからこそだよ。アニキはお金を返して欲しくないの?」

「……」


 コイツは一体なにを言っているのだろうか?

 俺に借金を返したいから、俺に金を出させる?

 言っている意味がまるで分からんのだが。


「では、今その借金を返してもらおうか」

「え!?」


 驚いた声をあげるアッシュ。

 いまの会話の流れだと、とうぜんそうなるはずだが。


「わかった。じゃあ、10ジェム返すよ。だから、残りの90ジェムはアニキが出してよ」

「あん?」


 どういう理屈だ。

 単にお前が10ジェムしか払わないだけではないか。


「じゃ、じゃあ20ジェム。それ以上取られるとお金なくなっちゃう」

「金がないのは私も同じだが」


 なんとかして私に多く出させようとするアッシュ。

 あれやこれやと理屈をこねて、粘ってくる。

 

 けっきょくお互い50ジェムだすことで落ち着いた。

 当然と言えば当然なのだが、いまいち気持ちがスッキリしない結果である。


 しかし、こんなことなら武器屋で残金の分配などするのではなかったな……。

 ラノーラに100ジェム払うと、魔法の習得を始めるのだった。




「では、始めるわね」


 ラノーラの指示により、開いた魔法書の上に手を置くアッシュ。その顔は不安と期待が混ざっている。


「私が読むから真似して声に出して。それも意味を思い浮かべながら言うのよ」


 つづくラノーラの説明に疑問が湧いた。

 意味を思い浮かべる? あのような言葉など、聞いたところで理解できないが。

 だが、当事者のアッシュは無邪気に頷いている。私と同じ疑問は持たなかったようだ。


「それから魔法の書から絶対に手を離さないこと。また、ムダな言葉は一切発さないこと」

「うん」


 注意事項はつづく。

 いくつか疑問があったが、聞きはしなかった。

 見ていれば、ある程度分かるだろう。


「じゃあ、いくわよ」


 ラノーラはそう言うと、下を向き大きく息を吐いた。

 そして、次に顔を上げたときには、その表情は一変していた。

 さきほどの、おっとりとした表情はどこへやら、緊張感漂う引き締まった顔へと。

 ――いよいよか。


「我求む。黒き者よ聞き届け給え」

「われもとむ、黒きものよ聞きとどけたまえ」

 

 ラノーラの言葉をアッシュが復唱する。

 なるほど。ただ書を読み上げるのではなく、我らに理解できるよう翻訳したわけか。

 たしかに、100ジェム必要かもな。


「世のことわりに新たな理を付け加えんと欲する私を導き給え」

「世のことわりに新たなことわりを付け加えんとほっする私を導きたまえ」


 ここで変化が起こった。魔法書に描かれた文字が、光の粒子となって浮かび上がったのだ。

 薄暗い部屋が、ほんのりと光に包まれる。

 驚くアッシュの顔をハッキリとうつしだす。


 なんと幻想的な光景であろう。

 光る文字はゆっくりと動きだすと、アッシュの周囲をまわり始めたのだ。

 しかも、その数は次第に増えていく。


 列をなし、上下に揺れる光の文字たち。

 それは、跳ねるように踊るように、渦を巻いていく。


 ……まるで、おとぎ話に出てくるワンシーンのようだ。

 だが、その光景は長くは続かなかった。

 光の粒子が、アッシュの体内へと吸い込まれ始めたのだ。


 アッシュは驚き魔法書から手を離そうとする。

 だが、ラノーラが素早く彼の手に手を重ね、それを押しとどめた。

 さらに驚くアッシュ。

 しかし、自分の目を見つめながらゆっくりと頷くラノーラに、アッシュはすぐに落ち着きを取り戻すのだった。

 

「知恵と力を与え給え。私を害する者の手から悪意を奪う力を授け給え」

「ちえと力を与えたまえ。私をがいする者の手からあくいを奪う力をさずけたまえ」


 魔法の書から次々と光が舞い上がり、アッシュの体に吸い込まれていく。

 ふと見れば、魔法の書にびっしりと描かれていた文字は、わずか一行を残すのみとなっていた。


「我求むるは、クラムジーハンド」

「われもとむるは、クラムジーハンド」


 その言葉を二人が口にすると、光の粒子は一気に輝きを増し、大きくアッシュを包み込んだ。


 やがて光は収まり、部屋の中は以前と同じ薄暗さを取り戻す。

 そして、アッシュの置いた手の下には、まるで最初から文字などなかったかのように、白紙の羊皮紙が残されていた。


「終わりよ。これであなたはクラムジーハンドの魔法が使えるようになったわ」


 自分に起こった出来事が理解できないのか、放心状態のアッシュは、ラノーラの言葉にピクリと肩を震わせるのだった。



 ふ~む、すさまじい光景であった。

 書に秘められた力が、アッシュに乗り移ったと思える。


 これで魔法が使えるのか。

 実際にこの目で確かめてみたいところだ。


「アッシュ、魔法を使ってみてくれ」


 これまでおとなしく見守っていた私だったが、ついに口をはさんだ。

 しかし――


「いや、駄目だよアニキ。街の中では魔法は使えないんだ」


 アッシュにあっさり断られた。

 どういうことだ? 使えない?

 いま習得したのではないのか?


「なぜだ?」

「そういうルールなの」


 アッシュではなくラノーラが答えた。

 なるほど、ルールか。

 だが、このような無法地帯でルールとは、おかしなものだな。

 しかも、あの物言いでは街の中でのみ使えないのだろう。

 なんとも奇妙な話だ。


「誰が決めた?」


 いかなる法でも、定めたものがいるはず。


「誰かが決めた訳ではないの。昔から街の中では魔法が発動しないわ」

「そうそう、不思議ではあるんだけど安心でもあるよね」


 ふ~む、誰かが決めたわけではないか。

 街で魔法が使えないのは古来よりの法則なのか。


 ――しかし、アッシュの言うように安心ではあるな。

 魔法などといったシロモノは、防ぐことが難しければ、使用者の特定も難しいだろう。

 いかに無法地帯といえども、使い放題では危険極まりない。

 あくまで魔法は探索の手助けに使うものであって、人間同士殺しあうものではないと。

 ……それはそれで、疑問は残るがな。


「もういいかしら?」

「ああ」


 よくはないが、聞いたところで答えが返ってくるとは思えない。

 ラノーラの言葉にうなずいた。

 今は目の前のことをひとつずつだ。


「じゃ、アッシュ君。最後に詠唱を教えておくわね」

「う、うん」


 間近で語るラノーラに、顔を赤らめるアッシュ。

 フッ、若いな。


「『我に仇名す者の手を縛り給えクラムジーハンド』よ。唱えるのはこれだけでいいの。忘れないでね」

「我にあだなす者の手をしばりたまえクラムジーハンド」


 アッシュはその言葉を何度も繰り返し小さく呟く。


「絶対に必要なのは魔法の名前『クラムジーハンド』よ。他は少し違っても大丈夫。大切なのは想像し、思い浮かべる事。そして正しく伝えること」


 こののち呪文を唱えると実際に何が起こり、どう作用するのかなどを詳しく聞き店を後にした。



――――――



 宿屋の食堂の片隅で、透明の杯を傾ける。カランと氷が崩れる音と共に、中から熟れた果実の甘い匂いがかおってきた。

 琥珀色の液体が喉を通る。舌に感じるのは甘さ、そして遅れてやって来るのは焼けるような胸の熱さだ。

 透明の杯を眺めて物思いにふける。

 ガラスの杯に上質な果実酒。以前は見かけることなどほとんど無かったが、ここジャンタールでは特に珍しくもない。


「なあ、スゲー美人だったろ?」


 酒を味わう私にアッシュが問いかけてくる。

 ラノーラの事か。確かに整った顔をしている。そして情熱的な体の凹凸もな。

 だが私が気になっていたのは、彼女の言葉だ。

「大切なのは想像し、思い浮かべること。そして正しく伝えること」


 正しく伝える?

 誰に伝えるというのだ。敵か? いや違うであろう。

「想像し、思い浮かべる」は正しい認識でしか魔法は効果を示さないってことだ。

 これはいい。理解できる。しかし、「正しく伝える」とはいったい誰にだ?


 魔法を習得する際「黒き者よ」と問いかけていた。つまり伝える相手とは黒き者か?

 ならば、街で魔法が使えないルールを設定した者も黒き者になる。

 そのような力を持った黒き者とは一体何者だ?


 魔法とは便利なものに違いない。

 これから先、探索するうえで頼る場面も多くあるだろう。

 だが、頼りきるのは危険だ。

 誰かに与えられた力とは、逆に奪われる可能性もあるってことだ。


 使える物は躊躇ちゅうちょせず使っていく。生きるためには大切だ。

 だが、魔法とは、しょせんかりそめの力だ。

 なくなったとて、うろたえぬように注意せねねばならない。

 ましてや力に溺れてしまわぬよう、気持ちを強く持たねばな。

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