第16話 這いずる者
人間か?
一瞬、助けを求める者ではなかろうかとの思いがよぎったが、すぐに否定した。
とても生きているようには見えなかったからだ。
焼けただれた手足からは、ところどころ骨がでる。
肉がそげ落ち、ホホから黄ばんだ歯と黒ずんだ歯茎が顔をのぞかせる。
まさに生ける屍だ。
ズリズリズリズリ。
這いずる音はいくえにも重なり合う。
一体何匹いるのであろうか? 生ける屍は巨大なヘドロの隙間を埋めるように、次から次へと現れる。
ビュボッ。
ヘドロの化け物が液体を飛ばした。
それは私の鼻先を一瞬かすめた。
危なかった。さすがに数が多すぎる。
これだけのバケモノにいっせいに襲われたらかわしきるのは難しい。
――そのとき、わたしの思いが伝わったのか、バケモノどもがみな緑の液体を噴出した。
「ボエエェー」
生ける屍も口からヘドロを吐く。
私はとっさに飛びのくと、壁に沿って走り出した。
そろそろなんとかしないとな。
ヘドロをまき散らすバケモノどもから、一匹標的を定めた。
ビタン。
ヘドロのバケモノの横をすり抜けながら剣で叩く。
体の一部がはじけ飛んだ。
それは後ろにいた生ける屍を緑に染める。
効果なしか。
ヘドロの化け物は体の一部を失っても、なにごともなかったかのように再び液体を飛ばしてくるのだ。
ならばこれは?
こんどは剣の腹で叩くようにヘドロのバケモノをすくった。
ヘドロは大きく飛び散り、その身を半分に減らす。
そのとき、何かが見えた!
えぐられた部分。透明な球体が顔を覗かせたのだ。
それは、たまごの黄身のように柔らかそうで、まるで逃げるかのようにヘドロの奥へと潜っていった。
あれが本体か。
追撃すべく剣を振る。が、背後から飛んできたヘドロで手をとめた。
次々と飛んでくる新たなヘドロ。深追いは避けていったん距離をとる。
難儀だな。
だが、まあ、やってやれないことはないだろう。
私は深く息を吸うと、ふたたび距離をつめ剣を振るった。
ベチャリ。
ヘドロは大きく四散。その中には透明の球体もある。
透明の球体は、いちばん近くのヘドロにもぐりこもうとする。
逃がすか!
ナイフを投擲。逃げようとする球体の真ん中をとらえた。
球体は力をなくしたように、床にうすく伸びていった。
やはりあれが弱点。
球体を失ったヘドロは動きを完全に止めている。
制御する者がいなくなったからだろう。
では、そろそろご退場願うか。
剣をふるい、ヘドロをまき散らしていく。
透明の球体を見つけると、剣で切り裂き、足で踏み潰す。
さて、あらかた片付けた。
あとは生ける屍どもだ。コイツはどう倒すか。
まず、手足を切り飛ばした。
切り口から緑のヘドロが流れる。しかし、屍は痛がる様子も動きを止めることもない。口からヘドロを飛ばしながら這いよってくる。
どうしたものか……。
とりあえず切るしかないか。
三体の屍の胴体を剣で切断した。しかし、屍は半身となっても平気な顔で襲ってくる。
ダメか。
――いや、待てよ。屍の動きが不自然なことに気がついた。
生ける屍は上半身だけになろうと、下半身だけになろうと、平気な顔で這いずっている。
だが、どちらか一方だけ。上半身が動けば下半身は動かない。
下半身が動けば上半身は動かない。
切り分かれた上下とも動いているものはいないのだ。
なるほど。そういうことか。
生ける屍を切り裂いていく。
手を切り落とし、首をはねる。
すると、はねた首の切れ目から、透明の球体が顔をのぞかせた。
結局は同じ生き物なのだ。
あの透明の球体が制御しているに過ぎない。
屍の内部はヘドロで満たされてる。それが体を動かしているのだ。
屍を切り裂き透明の球体を探す。
見つけては、剣やナイフで仕留めていく。
「ふう、ちと疲れたな」
動くものは、自分以外なくなっていた。
ヘドロと腐敗した人の屍が、散らばるのみである。
なかなかの重労働であった。透明の球体は、頭部にあったり太ももにあったりと、いろんな場所に潜んでいたからだ。
ツンと酸っぱい匂いが鼻につく。
これは酸だ。あのヘドロは酸で獲物を溶かすのであろう。
生きる屍とは、迷宮で命を落とした人間の成れの果ての姿だったのかもしれない。
死んでまで働かされるとは気の毒なことだ。
だが、たしかに墓は必要なさそうだな。
周囲を見回す。
ジェム、あるいは金目のものが残されていないか見て回る。
だが、武器のひとつもない。
なぜだ。生ける屍となった者の荷物ぐらいはあるはずだ。
ところが、なにひとつ見つけられなかった。
ただ、ひっそりと壁に張りつく真っ黒なドアノブを見つけただけだった。
ジェムを残さないバケモノもいるのか。
ドブさらいしただけとは泣けてくる。
ドアノブに手をかける。
扉は何の抵抗もなく開き、見覚えのある通路へとでた。どうやら元の場所に戻ってきたようだ。
今日はもう帰ろう。
体についたヘドロの悪臭に顔をしかると、出口に向かって進むのであった。
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