第3話 山岳地帯

 まばらに生える草を踏みしめ、斜面を登っていく。

 照りつける太陽が地面に反射し、やけにまぶしい。

 フードを深くかぶったまま、前方をみすえる。

 遠くにあるのは切り立った崖、目指す地はあの向こうだ。いずれロバを連れての旅も限界が来るかもしれない。

 水筒の水を一口あおると、生ぬるいにも関わらずやけに旨く感じた。


「ねえ、パリト。アシューテってのはその……アンタの恋人?」


 とつぜん聞いてくるシャナの顔を見る。彼女はこちらと目を合わさず、今まで歩いてきた方角をみつめている。

 そんな彼女に「そうだった」と過去形で伝えた。


 アシューテは友人でもあり恋人でもあった。

 彼女は一か所に留まる事を良しとせず、旅を続けていた。

 むろん私も共に旅をしていた時期もあった。が、ある日を境に別の道を歩み始めたのだ。

 彼女は失われた都市ジャンタールの魅力に取りつかれてしまった。各地を放浪し、噂を集め、痕跡を探っていく。

 しだいに、会う事はおろか、居場所さえも分からなくなっていった。

 ときおり各地を巡る行商人から噂を聞く事はあったが、最近はそれすらもなかった。


 ――失われた都市ジャンタール。古来より伝説として語り継がれてきたものの、存在はさだかではない。せいぜい酔っ払いの戯言ざれごととして論じられる程度のものだ。


 にも関わらずいまだ人の心をひきつけるのは、この都市に眠る深紅の宝石ムーンクリスタルのゆえんだろう。


 ここで私は有名な詩の一節を口にする。


「神の涙と呼ばれしこの宝石は、濁った灰色をしている。しかし、ひとたび光をあてれば真っ赤な輝きを宿し、手にした者の望みを何でも叶えるだろう」

「バラルドの英雄譚ね」


 そうだ。大小様々あった国を統一し、初代皇帝となったバラルド一世の偉業を称えた詩。

 青年であったバラルドはジャンタールへ向かい、ムーンクリスタルを見つける。

 その力で乱世を制し、平和な世を築いた。

 この国においては知らぬ者などいない有名な詩だ。


 そうして登っていくうち、吹き付ける風が冷たいものに変わっていった。

 西に目をむけると、日もだいぶ傾いていた。まもなく夜を迎えるであろう。

 山岳地帯は、昼は暑く夜は寒い。深夜には氷点下になる事もしばしばだ。早めに身を隠す場所を探した方が良い。

 焚き木となる枯れた木を拾いながら、しばらく進む。すると向こうの岩に自然の窪みを発見した。今夜はあそこで夜を明かすとしよう。

 


――――――



 すでに辺りは闇が支配する夜の世界になっており、空には幾多の星が瞬いていた。

 天井の切れ目から差し込むのは月明かりだ。あたりをうすく照らしだす。


 パチリ。

 き火がぜた。

 音を作り出すのは我々の他はおらず、吹きすさぶ風も今は身をひそめている。

 そんな静寂の中、シャナが声を発した。

 それはほんの小さなささやきにも関わらず、やけにハッキリと聞こえた。


「ムーンクリスタルなんて本当にあるのかしら?」


 毛布に包まるシャナの顔は、なんとも言えないはかなさがあった。

 私は一言、あるさと答え、火に薪をくべる。

 ジャンタールにあるかは知らんが、ムーンクリスタルが存在することは確かだ。

 かの宝石は皇帝となるものへと代々引き継ぐのが習わしであり、現皇帝バラルド三世の居城にもかざられていたのだ。


「そう、あなたその目で見たのね。……あなた見つけたらどうするの? 何を望むの?」


 こちらを真っすぐ見て問いかけてくるシャナ。


「そうだな、もう一個くれって頼むかな。君はどうするんだい?」

「フフフ、強欲なのね。私は自分の国が欲しいわ。小さくても自分の国がね。誰にも縛られない、そんな場所」


 このとき、初めて彼女の本心に触れた気がした。



――――――



 朝、唇に触れる柔らかな感触で目が覚める。

 軽く朝食を済ませると、ジャンタールへ向けて出発した。


 切り立った崖が多く見られるようになり、道はより険しさを増す。

 幾度となく、後退を余儀なくされた。足場のない切り立った崖は、とるべき道があまりにも少ない。

 それでも、我々は手紙が示す座標の近くまで来た。


 ――このあたりのハズだが。

 とはいえ、正確な座標を知るすべなど無い。

 移動距離、太陽の向き、方位磁石などから割り出した目測に過ぎない。

 高い岩場から周りを眺める。

 少し先に変わった地形を見つけた。


 崖に囲まれた平らな場所だ。直径数キロはあろう巨大な円形の窪み。

 山岳地帯には似つかわしくない形だ。

 シャナとしばらく顔を見合せた後、そこへ降りてみることにした。


 

 窪みの周囲を見て回る。すると大きな岩の後ろに、洞穴どうけつを発見した。

 上からでは分からない、降りてみて初めて分かるような場所だ。

 入口を見る。

 中に風が入ってこぬよう石が積み上げられていた。明らかに人の手が加えられたあとだ。

 私は直感した。アシューテだ。彼女がここに来たのだ。

 一番上の石を持ち上げてみる。

 裏側に赤い塗料が付着していた。間違いない。彼女が残したものだ。


 洞穴の奥をみつめる。深さは分からないが、立って進めるほどの高さはある。

 ランタンに火を灯すと、落ちていた石を放り投げてみる。

 カンと乾いた音がしたのみで、動物が飛びだしてくる気配はなかった。

 注意しつつ洞穴の中へ入ることにした。


 穴はすこし左右に蛇行しているものの、平坦な道が続いていた。

 壁も乾燥しており、植物の姿も見えない。ひょっとして水でも染み出し、動物の水飲み場にでもなっているのかと考えたが、それもなさそうだ。

 落盤の兆候がないか気をつけながら進むと、少し開けた場所に出た。


 広さは私の歩幅で二十歩といったところか、天井もかろうじてランタンの光が届く高さ。

 これ以上先に進めなさそうだ。

 前も横も上も、人が通れる隙間はない。


「え? うそ?」


 シャナが声を上げた。

 洞窟の奥がジャンタールへ通じていると期待していたのであろう、明らかに動揺している。


 そんな彼女を尻目に、私は壁の隅々をランタンで照らしていく。

 すると、目の高さのやや下の方、壁に描かれた『F』の記号を発見した。


 間違いない。アシューテが残したものだ。

 この『F』の記号、アシューテがよく地図に書き込んでいた調査済みを表すものだ。


 この近くには間違いない。だが、ここではないのだろう。

 やや取り乱した様子のシャナを落ち着かせ、さらなる手がかりを探っていく。

 壁、床、天井、詳しく洞窟内を調べる。しかし、『F』以外に痕跡はなく、いったん引き返すこととなった。

 

 さて、これで手がかりがついえてしまった。

 アシューテなら次の手がかりを残していると思ったのだが。


 洞窟の入口へと戻りながら、次の行動を考える。

 ……やはりここから近い。手がかりを残していないのは、残せないなにかがあったのだ。

 ジャンタールを見つけたか、身に危険が迫ったか。

 分からない。だが、少なくともこの洞窟を拠点にしていたのは間違いない。積み上げた風除けの石が、その証拠だ。


 そのとき、「ブバァーッ」と動物の鳴き声が聞こえた。

 入り口に繋いでいた私のロバだ。

 何かあったな。

 ランタンの火を消し、足早に出口へと向かう。


 ――誰かいる。洞窟の入り口付近で立ち並ぶ、五つの人影をとらえた。

 全員武装しており、こちらに武器こそ向けていないが、いつでも戦闘に移行できるよう警戒しているのもわかった。

 

 素早く相手の装備を確認する。クロスボウが二人、槍が一人、斧が一人、剣が一人だ。

 

「旦那、探し物は見つかったかい?」


 一番大柄な男が尋ねてきた。

 身長は私より頭ひとつ分高いぐらいか。かなり大柄な男だ。革の防具を身にまとい、巨大な斧を肩に担ぐ。


 いきなり切りかかるほど能なしではなさそうだが、返答次第では戦闘になるかも知れない。

 後ろに居るシャナの気配を感じつつ、返答をいくつか頭の中に思い浮かべる。

 攻撃的なもの、友好的なもの、さまざまだ。


「見つかってりゃノコノコ引き返して来ると思うか?」 


 そんな中、私が選んだ返答は逆に聞き返すだった。

 それも、やや攻撃的。

 ピリリとした緊張が張り詰める。斧を持った男の目が私をじっと見すえる。が、やがて彼は洞窟の奥へ目を移すと、大きな声で笑った。


「違えねぇ。俺の名はレオル、旦那は?」


 そう言って右手を出してきた。

 当然握手はしない。不用意に利き手を預けるアホは長生きできないからだ。

 おのれの名のみ告げる。


「ほう~、あんたがあの有名な壊し屋パリトかい。えらい大物に会ったもんだ」


 レオルと名乗る男は軽口を叩きながらも「お前ら、奥を調べてこい」と仲間に顎で洞窟の奥を指し示すのだった。

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