入学式で最初にオリザから声を掛けてくれたよね。私はとても嬉しかったんだよ!!【ショートエピソード※未亜視点】③

 ――人生には誰しも転期ターニングポイントと呼べる瞬間が訪れる。


 その言葉を初めて母親から聞かされたのは私、猫森未亜ねこもりみあが中学三年生の春休みの最中だったことを今でもよく覚えている。


 とても印象に残っている理由わけは母親から急に出掛けようか? と誘われた日の出来事だからだ。それまでも私たち親子の関係性は良かったが小学生の頃ならいざ知らず、親と買い物の目的以外で外出する機会などほぼなくなっていたから。それも母親と二人っきりでお出掛けなんてかなり珍しかった。


 家の近所に街を一望出来る高台があり、そこに早咲きの河津桜が満開の場所があるから、ぜひ一緒に見にいこうと提案されたんだ。そのときの母親は妙にテンションが高く感じられて、私は思わず聞き返してしまったほどだった。


『……お母さん、何か嬉しいことでもあったの? わかった!! お父さんの仕事での役職が昇進したとかでしょう 』


 こちらの冗談めいた問いかけにも母親は微笑み返すだけで何も答えてくれなかった。仕事一辺倒な性質の父親に対しても、まったく文句を言わず献身的な態度を崩さないのが、我が家でのあたりまえだと私も思い込んていたからかも知れない……。


 それまでの人生が一変するような転機。それは良い状況だけではなく悪い状況に陥る場合もある。だけど悲観してはいけないと母親は満開の桜の下で私に教えてくれた。当時はその言葉の意味を良く理解しようともせず、話を聞き流してしまったが、その直後に母親は私と父親の前から突然失踪してしまったんだ……。


 いまになって思えば母親は失踪という強硬手段により、みずから転機を作りだしてその渦中に身を投じたのだろう。もちろんその行為は私の母親がした行動の理由付けにはならないし、後に残される家族としてはたまったものではない。


 いまさら私はあの失踪劇の正否を問いたいのではない。そこまで母親が追いつめられた精神状態になるまで、最も近くにいたはずの自分が変調に気がついてやれなかったのがとても悔やまれる。私と母親は何でも相談し合える親子関係だと思っていたから、なおさら強い後悔の念にかられてしまったのかもしれない……。


 高校受験を目前にして自分に余裕がなかったというのは決して言い訳にはならないだろう。結果的に私は君更津南きみさらずみなみ女子校には無事合格することが出来たが、喜びを一番に分かち合いたいはずの母親は行方不明となり、自分自身を責める日々が続いた。あれほど楽しみにしていた女子高での新生活も何だか色褪せて思えるほどだった。


 そんな私が高校の入学式にかろうじて足を運べた理由は、これまで自分自身に課した無遅刻無欠席の誓いだったというのはなんとも皮肉な話だ。


 母親が失踪して家庭が崩壊しそうな状況なのに、私だけが呑気に変わらぬ日常生活を送ることに強い罪悪感を感じていたのだろう。当初の目的だった女子高の強豪卓球部に入部するのさえどうでもよくなっていたから。そのころの精神状態は最悪に自暴自棄だったに違いない……。


 入学式当日、心の中でひそかに決めていた計画かあった。入学式の会場である講堂で行われている式典が終了したら、この場からすぐに逃げ出すつもりだった。そして一刻も早く母親の行方を探すんだ。もちろんその時の私には母親の行先に当てがあるわけじゃなかった。だけど行動せずにはいてもたってもいられない。どうせいなくなるのならば他のクラスメートと教室で顔を会わせる前に学校から立ち去ろう。


 幸いなことに入学式には私の父親は仕事の都合で父兄参加はしていない。式典が終わった後、各クラスの教室への移動時のどさくさに紛れてこっそり抜け出してしまうつもりだった。


『……在校生祝辞!!』


 ちょうど式典は在校生の挨拶が始まるところだった。講堂に並べられた椅子から在校生が一斉に立ち上がり、新入生の我々と向かい合う形になる。君更津南女子の校歌がピアノの伴奏で奏でられた。壇上から私たちに向かって凛とした声が聞こえてくる。


『……新入生のみなさん、君更津南女子校へようこそ。生徒会長の万代橋奈夢子ばんだいばしなむこです』


 とてもきれいな女性だな。あの人が生徒会長さんなのか!? 


 壇上に立つ彼女の姿を見た途端、どんよりとした暗い気持ちの中に一服のさわやかな風が吹き込むように感じられた。いまの自分の境遇とは全然違うまばゆいまでの明るさ。全く知らないはずの相手なのになぜか私はそう思ってしまった。


 急に頬が熱く感じられ頭がぼうっ、としてしまう。私は立ちくらみでも起こしているのだろうか。腰掛けたままの身体が揺れ、金属製のパイプ椅子が隣にぶつかり耳障りな軽い音を講堂内に響かせる。


『……あなた、ふらついてるけど大丈夫なの?』


 こちらの異変に気がついたのか、私の右隣に座っている女生徒から声を掛けられる。


『へ、平気です。ご心配をかけてすみません』


 私は小声で返事を返すのがやっとだった。声を掛けてくれた相手の顔を見る余裕すらない。


『では続いて新入生代表による宣誓をお願いいたします。代表者はご起立後、名乗ってからご登壇ください』


『はい!!』


 私の隣にいた女子生徒が返事をしながら立ち上がった。流れるような艶やかな黒髪が動作にあわせて揺れる。


『新入生代表、一年 犬上いぬがみオリザ!!』


『なっ!?』

 

 いきなり隣の彼女から自分の腕に触れられた感覚があった。もの凄い勢いでそのまま椅子から身体ごと引っ張り上げられてしまう。


『……そして新入生代表はもうひとりいます!!』


 彼女はいったいどんな魔法を使ったんだ!? ほとんど私に触れた腕は動かしていないというのに。これは何か目の錯覚だろうか。


『し、新入生代表。一年 猫森未亜!!』


 え、えええっ!? 私の口が勝手に動くなんて。こんなのありえないよ!!


 人生には誰しもが訪れる。それが女子校の入学式当日に自分の身に起こるなんて。う、嘘でしょ!?


『……この場から逃げちゃだめ。猫森未亜さん、さあ私と一緒に登壇するのよ』


 これが高校に入学して初めての友達になる犬上オリザと私の鮮烈な出会いだった……。


 

 次回に続く。

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