いつかあなたをお兄さんじゃなく名前で呼べる日が訪れるといいな【ショートエピソード※未亜視点】②

 ――猪野天音いのあまね、私のひとつ年下の女の子。


 彼女とは同じ中学の部活動で知り合った。最初は卓球部の先輩と後輩の関係で、部活以外のプライベートでは親しく会話を交わすこともなかった。ポニーテールの似合う可愛い子だな。そんな初見での彼女の印象以上に、その後、部活内での抜きんでた活躍をかいま見て、先輩の自分もうかうかしてられないぞ。よりいっそう卓球に打ち込むべきだと思わされたほどだ。


 なぜ下級生である彼女にそこまで刺激されたのか? その理由は自分の卓球の才能にある。生まれ持ったセンスというべきだろう。大別して天才型と努力型に分けられる。天音ちゃんはもちろん生まれついての天才型で、かくゆう私は言うまでもないが努力型だ。一日でも練習を休めば進歩はそこで止まる、それどころか卓球の感覚が鈍くなるまであるんだ。手に馴染んだはずのラケットに貼られたラバーが妙に重く感じる。白球の軌跡をコントロール出来ない。反復練習の重要性を痛感する瞬間だ。


 それは私にとって何も卓球だけに限らない。勉強だって同じだ。だから私は子供のころから休むことを極端に嫌った。それは立ち止まることと同義語だと固く信じ込んでいた。いま思えば何とつまらないプライドにがんじがらめにされて生きていたのだろうか。


 無遅刻無欠席。その言葉ワードは私の短い十六年間で人生の指標となった。


 少し前に流行った整理の仕方に断捨離があるが、その行為がエスカレートし過ぎると当初の目的である部屋の整理より、物を捨てる行為そのものにとりつかれてしまう人も多いと聞く。


 当時の私とどこか似ている気がして寒気がする。目的をはき違えて本当に必要な物まで捨て去ったあげく、がらんとした部屋になってもまだ心の底から満足出来ない。一種の病気と言ってもいい状態だ。


 その事例を私の場合ケースに置き換えると、努力で補うしかない自己の才能に対して、本当は心の奥底で強いストレスを感じていたのだろう。だから天音ちゃんのような天賦の才能の持ち主を目の当たりにして焦りを覚えた。といまなら冷静に分析も出来るのに……。                                                                                                                                                                                                  


 彼女は私に対して何も攻撃してこないというのに勝手に仮想の敵としてライバル視をしていたんだ。


 我ながら思う、当時の自分は本当に嫌な性格だったな。そして普段の部活動での私はそんなことをおくびにも出さず、良き先輩として天音ちゃんと接していたなんて……。


 彼女との関係性はそのまま中学の卒業まで変わらないと思っていた。


 だけど運命の神様の気まぐれか、彼女とはその後仲の良い友達になる。きっかけは私の志望する女子校が君更津南きみさらずみなみ女子だと知った彼女からのお誘いだった。


 我が中学の女子卓球部では他校との練習試合も定期的に開催されていた。練習試合は近隣の高校で行われることもあり、その中でも隣町にある君更津南女子は県内でも強豪校の筆頭に挙げられる。もちろん練習試合もその差は歴然で相手にはならず本当に胸を借りる状態だが敗北から得る物も多いと感じられた。


 いつしか自分が進学するなら絶対に君更津南女子高にしたいと考えるようになったのはそんな部活動での練習試合の経験から来ているのだろう。


 『……未亜先輩!! 今度の休みは空いてます? もし良かったらうちでお泊まり会をやるんですけどぜひ遊びに来ませんか』


 最初はとても面食らったのを覚えている。よりによってなぜ私なのか? 卓球部の上級生は他にも大勢いるのに。そして下級生の女の子の家にいきなりお泊まりするのも何だか気が引けたから。


『大丈夫ですよ。お泊りの他のメンバーはここにいる同じ卓球部の阿空香菜あくかなちゃんですから!!』


『未亜先輩、私もいるから安心してくださいね。天音ちゃんと二人っきりにはさせませんから』


 何が大丈夫なのか分からないが、結局彼女の笑顔にお泊まりへの参加を押しきられる格好になった。香菜ちゃんの名前を聞いて、他の参加者はいないというのも安心材料だったのかもしれない。彼女は下級生のまとめ役的な存在で私たち上級生からの信頼も厚い。でも香菜ちゃんが開口一番私に告げた言葉の意味が不明だな。天音ちゃんと二人っきりになると何が起こるのか!?


『……でもどうして上級生の私を誘ってくれたの。それに卓球部でも同じ学年の女の子のほうがたちも気兼ねなくお泊り出来るんじゃないかな?』 


『未亜先輩じゃなきゃダメなんですよ!! 私にとっていちばん憧れの人なんだから。それは卓球だけじゃなく女の子として!! それは先輩と後輩という垣根を越えて!! むががっ!? 香菜ちゃんいきなり何すんのぉ、後ろからいきなり天音の口をふさぐなんてひどいよ』


『はいはい、天音ちゃんの妄想の暴走はそこまでにして。未亜先輩がドン引きする前にやめとこうね』


 ふふっ、いま思い返しても私は真面目な先輩という態度を崩していなかったな。それは固い名前の呼び方からも伺える。まだ天音ちゃんじゃなく猪野さんと名字で呼んでいる。


 それはの名前も同じだ。どうしても面と向かっては天音ちゃんのお兄さんとしか呼べない。心の中では宣人さんと名前で呼びかけられるのに……。


『じゃあ、未亜先輩。当日を楽しみにしてますから!! あっ、そうだ。出来ればお着替えは最小限でお願いしますね』


 当時はお泊まりの着替えに言及する彼女をいぶかしく思ったが、いまならはっきりと分かる。もしもあの日の自分にアドバイス出来るとしたら私はこう言うだろう。


 【ねえ、女子中学生の猫森未亜ねこもりみあ。天音ちゃんの着せかえへきには充分気を付けなさい!!】

 

 可愛い物に目がない彼女の手。いや魔の手に掛かればお部屋のベッドで寝る暇など与えてもらえないから。



 次回に続く。



 

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