【本編最終話】桜の咲く頃に僕はもう一度彼女と恋に落ちる……。
……子犬のオリザが僕の前からいなくなって二ヶ月が経過した。
その間の僕の生活は高校に行ったり行かなかったり、まさに陰キャの名にふさわしく、半引きこもり生活を送る毎日だった。かろうじて出席日数は足りていたので、何とか留年は免れたが、あやうくもう一度高校一年生を送るはめになりそうだった情けない僕に、親父や妹の
「おい
僕の唯一の親友である
例えれば、実は男だと思っていた親友から交通事故の後遺症で女の子だったといきなりカミングアウトされて、なんてやねん!! と言ってツッコミを入れないくらい、不自然な態度を取られる状況を想像して貰いたい。
腫れ物に触れられるような態度は、逆に傷つく場合もあるんだ……。
これはあくまでも弱者側の勝手な言い分なんだけどね。
そうだ。そんな引きこもりの生活をしていても早起きの習慣だけは続いていた。天音のお弁当を作ってやるのも相変わらず僕の役目だ。まあそれぐらいやらなければ家の中で肩身が狭いからな。別に文句を言われたわけじゃないが。自分の中での矜持みたいなもんだ。かすかなプライドだけは残っている。
そんな中、我が家には明るいニュースも舞い込んできたんだ。天音の奴が志望校の君更津南女子校に合格したんだ。なんと祐二の妹の
何かと我が家とは縁の深い女子校だな。生徒会長はもちろん
お泊まり会といえば、あれからも定期的に開催している。変わったのはこれまで僕が使っていた個室部屋を天音に明け渡したことだな。
僕一人にはあの部屋は広すぎるからな。何よりもそこかしこにオリザと過ごした匂いみたいに痕跡が残っている。
ははっ、匂いなんて言い出すのは僕はまだ感傷的なんだな。本当に参っちまう。
だから個室部屋にあったすべてを一度リセットしたかった。彼女の洋服や持ち物も。いっしょに眠ったベッドも……。
ふと夜中に目が覚めると、布団の重みを確認してしまう癖。寝返りをうって彼女を起こさないようにする癖。もうそこにはいるはずもないのに。
そんな現実に訳もなく一人の部屋で叫び出しそうになる。
……僕はオリザの命を救ったんだ。その大義名分だけが心の支えだった。それ以上何を望むというのか。
そんな灰色の日々が続き、僕の心とは正反対に街路樹が桜色に彩られる頃。僕は妹の天音からある話を切り出された。
近所にある運動公園で君更津南女子校が定期的に行う地域のボランティア活動があり、そこの体育館で卓球部の親善試合があるとの話だった。
天音や香菜ちゃんも見学に参加するという。日頃、引きこもりがちで運動不足の僕を連れ出したい様子が妹の話からビンビン伝わってきた。
宣人お兄ちゃんにことわる選択肢はないよ!! それに未亜先輩との約束をまだ果たしていないじゃん。
そうだった。僕は未亜ちゃんとの約束をまだ実行していない。彼女が行方不明になった母親の居場所を突き止め、アパートに単身会いに行く勇気を出すために、僕とデートをするという約束だった。さらにひどいのはオリザとの別れの日に貰った未亜ちゃんからの手紙もいまだに読まずじまいだ。
とうぜん天音はそのことも全部知っているから、僕を誘い出して未亜ちゃんに会わせるつもりだろう。
本当に僕がすべて悪いのは重々承知している。オリザの件にかこつけて周りのみんなを傷つけているどうしようもない男なんだ。
天音の言うとおりこっちに選択権はないよな。僕は参加を了承した。
当日は良く晴れた絶好の行楽日和になった。天音は朝からテンションが上がりっぱなしだ。僕と未亜ちゃんのデートにまで着いてくるのは何とかぎりぎりで阻止することが出来たのだが……。隠さずに内容を報告する約束と引き替えになってしまった。
それにしても僕は学校以外で久しぶりに外出をするな。今日の格好も天音のコーディネイトだ。着慣れなくて借りてきた猫みたいな気分だ。
未亜ちゃんは運動公園にある市民体育館で行なわれる、卓球部の親善試合が終わった後で僕と落ち合う約束だった。午前の部で抜けられるように何とか調整したみたいだと天音が事前情報をメールで寄越してくれたんだ。相変わらず気の利く妹だな。
「……宣人さん!! 待ちましたか?」
そうだ、変化したことがもうひとつあるな。未亜ちゃんの僕への呼び方が天音ちゃんのお兄さんから進化したんだ。
「僕もちょうどいま来たところだよ。それより平気だったの? 途中で部活動を抜けてきて」
「はい、それは大丈夫です!! 今回はボランティアの親善試合ですから結果よりも地域活動のほうがメインですので」
「……そうだ、未亜ちゃん、最初に謝らせてくれ。君との約束をずっと反故にしていたことを……」
「それは仕方がないです。お互いに大変でしたから。私は両親の仲介役で、ここ数ヶ月はとても忙しかったですよ」
未亜ちゃんのご両親はもとのさやに収まったらしい。聞くところによると仕事一辺倒で家庭を顧みない父親に、長年良妻賢母として我慢していた母親のストレスがついに爆発した結果の家出だったそうだ。男として身につまされる話だな……。
「……未亜ちゃん、今日はその腕時計をしているんだね」
「やっとこの腕時計が家族の絆になりました。これもお泊まり会のみんなが協力してくれたおかげです」
すこしはにかみながら腕時計を僕にむかって見せてくれた。本当に良かったな。
「じゃあ、未亜ちゃん、もうひとつお詫びついでに言うよ。君から貰った手紙もまだ読ませて貰っていないんだ。もし良かったらここで開封させて貰ってもいいかな? 今日は君とデートだから手紙を持ってきているんだ」
「……それはだめです。宣人さんがひとりで読んでください」
予期せぬ彼女からの拒絶に僕は驚いた。
「えっ!? どうして。……そう言えば香菜ちゃんから君の伝言を聞いたよ。オリザの件が無事に終わったらこの手紙を開封してって言ったみたいだよね。それはどういう意味なの?」
「宣人さん、それは全部手紙に書いてあります。後で読んでのお楽しみということでお願いします……」
未亜ちゃんは不意に笑顔を浮かべた。まるで子猫を思わせるような
「……今日、宣人さんにこの運動公園に来て貰ったのは、私と卓球の練習をするためじゃありません。ちょっとした遊びをやりましょうか!! 私は学校のボランティアで地域の子供たちと、オリエンテーリングゲームを公園内でするんですよ。これがその地図です。いまから一人で宝探しをしてください。最初の印が書いてある場所で私の手紙を読むこと。これが未亜からのお願いです」
「オリエンテーリングって
「そうです。この地図に示された場所に行ってください、そこに宣人さんの望む宝物があります」
「僕の望む宝!? 意味が分からないけど、手紙をひとりで読まなきゃならないなら仕方がないね。じゃあこれから行ってくるから、ここで未亜ちゃんは待っていてくれ」
「……宣人さん、私のわがままにつき合ってくれて本当にありがとうございました。今日のことはいつまでも忘れません」
「えっ!? 未亜ちゃん、急にどうしたの」
いまの彼女が同じ表情を以前した日のことを覚えている。お泊まり会のメンバーで他県に捜索に出かけた時だ。行方不明だった母親に面会した後に見せた笑顔だ。決意に満ちた未亜ちゃんの表情がとても印象に残っていたんだ……。
「いってらっしゃい!!」
未亜ちゃんはその場を後にする僕にむかっていつまでも手を振って見送ってくれた。そのしぐさの意味がわかるのは彼女の手紙を読んだ後になるとはまだ知るよしもなかった。
※※※※※※
手書きの地図に示された場所は先ほどの体育館から公園内の遊歩道を進む途中だった。
「……この先は。まさか!?」
見慣れた公園内の光景が目の前に広がった。首筋をさわやかな風が通り抜ける。
穏やかな春の日差しが降りそそぐ。満開の桜の花びらが風に舞い、鴨の泳ぐ水面に彩りの薄桃色を添える。
「赤い色のベンチ!? この場所はやっぱり……!!」
慌てて未亜ちゃんから渡された地図を確認する。指定の場所は間違いない。手紙を最初のボイントで必ず読んで欲しいと彼女が指示した走り書きのメモがある。
「彼女はいったい僕宛の手紙に何を書いてあるんだ!?」
震える指で手紙を開封する。丁寧に折りたたまれた便せんに書かれていた内容は……。
「……未亜ちゃん、君は僕のことをしっかり見ていてくれたんだね。いちばん大事にしなければならない人のもとに急いで駆けつけてあげて!! なんて手紙の中にまで僕への指示を書いてさ。こんな素敵な宝の地図まで今日のために作ってくれるなんて……。本当にありがとう」
彼女からの暖かいエールのこもった手紙が思わず涙で読めなくなる。
僕は引きこもっている場合なんかじゃなかった。それは応援してくれる未亜ちゃんに対しても失礼だ。
君の好きになった硬派な男が格好悪いままじゃ終われない!! 僕はその場から勢いよく駆けだした。
満開の桜が頭の上をアーチ状に重なり合う公園の遊歩道を僕は全力で走った。握りしめた地図には宝のありかが示されている。だけどその場所は見なくても分かるから……。
「オリザっ!!」
……僕が引きこもっていた本当の
……僕はさよならすら言えなかった。本来の人格だった
そして何よりも僕と暮らした日々なんかまったく知らないもうひとりのオリザに会うのが怖かった。そんなことをしたら完全に立ち直れない。だから外に出るのも、思い出が色濃く残るこの運動公園を訪れるのもためらっていたんだ!!
不甲斐ない僕に前へ進む勇気を与えてくれたのは彼女だったというのに……。
「オリザ!! いますぐ君のもとへ行くから待っていてくれ」
声の限り叫んだ。周りにどう思われたって構わない。僕はオリザが好きだ!! たとえ拒絶されようと、この想いだけは彼女に伝えなければならない。
満開の桜の木が立ち並ぶ遊歩道が途切れ、景色が一気に開けた。ちょうど円形に形作られた展望スペースにたどり着く。僕は肩で息をしながら辺りを見回した。宝のありかはこの場所で間違いない。
「……!?」
一段と見事な枝振りを誇るの桜の木が僕の視界に映る。その下には
「君は
こちらの問いかけにも彼女からはまったく反応がない。拒絶されて落胆しても僕は構わない。とにかく前に進むんだ。
こちらを虚無の視線で見つめる彼女の瞳に光彩が宿った。
「……わん」
「なっ……!?」
その懐かしい犬の鳴き声を耳にしてせつなさで胸が押しつぶされそうになった。
でもなぜ!? 子犬のオリザは呪いの解除とともにあの日で完全に消失したはずだ……。
「き、君はいったい。子犬のオリザは消えたはずじゃなかったのか!?」
驚く僕に彼女は一冊の汚れた表紙のノートを差し出した。
「……宣人くん、この日記帳を大事に取っておいてくれてありがとう」
「その日記帳は!?」
「……私ね、あなたと一緒に暮らした間の記憶を断片的に覚えているんだ。子犬の性質を持ったもうひとりのオリザの目を通じて。そしてご主人様。そう、宣人くんがあの日運動公園に持ってきてくれたオリザの日記帳の内容を読んで抜け落ちた記憶を追体験したの」
「君にも同じ記憶があるっていうのか? 子犬のオリザと僕が暮らした間のかけがえのない日々の……!!」
「消えた彼女とまったく同じだなんて嘘は言わない。だけどもうひとりのオリザもやっぱり私なの。宣人くんを大好きだって気持ちはまったく変わらない。私の中で彼女はいまも生きているから!!」
「……もうひとりのオリザが君の中で生きている」
「奈夢子お姉ちゃんや未亜さんにもこの場所に来るように背中を押されたの。幸せになる資格が自分にあるのかっで、もとの身体に戻ってから私はずっと悩んでいたから……」
「でも君はこの場所に自分の意志で来たんだ。子犬のオリザの想いを継いで。いや、君の中に彼女は間違いなく存在するんだ」
「大好きだったご主人様といつまでも一緒に暮らしたい。それがもうひとりのオリザのいちばんの願いだから……」
彼女から僕へ告げられた言葉は子犬のオリザから届いた二ヶ月遅れのラブレターに思えた。こんな素敵な宝物が隠されていたなんて!!
見つめ合う僕たちに桜の花びらがまるで祝福のように降り積もる。
「……オリザ、桜の花びらが君の髪の毛に」
僕は彼女の髪に付着した桜の花びらを見て思った。まるで天然の髪飾りみたいにきれいに見える。
「えっ!?」
「オリザ、その髪につけた鮮やかな桜色はまるで君の明るい未来みたいに思える。とても良く似合うよ。それは僕が一番望んだ結末だ」
「宣人さん、あなたを未来のご主人様と呼ばせてもらってもいいですか?」
「ああ、二人分のオリザを幸せに出来るように全力で努力するよ」
「……私もちゃんとおりこうさんにするから、お預けのままで待たせないでね。ご主人様」
「上出来だよ、さあ、こっちにおいで」
僕はオリザを優しく
もう彼女の中に悲しい記憶は
そのかわりあの懐かしい無邪気な鳴き声が僕の頭の中に届いた気がした。
『……わん!!』
オリザ、もう一度君と恋を始めよう。
【完】
───────────────────────
☆★★作者からの御礼とお願い☆★☆
皆様の応援のおかげで完結まで到達することが出来ました。
何度か中断しそうになり完結は無理かと思いましたが、これもひとえに応援に背中を押された結果です。
最後まで応援して頂き本当にありがとうございました!!
少しでもこの作品が面白かったと思って頂けましたら↓の項目から
最後に星評価の★★★を押してやってください。
作者の今後の励みとして大変嬉しく受け取らせて頂きます。
作品への感想コメントも大歓迎です。あと本編では描かれなかったショートエピソード等も今後、追加する予定ですので【作品フォロー】はそのままにして頂けると通知が届きます。
もちろん作者フォローも大歓迎です。
では今後ともkazuchiを何卒よろしくお願い致しますm(__)m
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