想い出の腕時計を預かってくれませんか。私の気持ちが変わらないように……。

 僕の唯一の親友である阿空祐二あくゆうじとの何気ない会話の中で、行方不明者は国内で年間八万人もいるとはじめて知った僕は純粋に驚きを感じてしまった。


 なぜそれほどの人数が失踪してしまうのだろうか? 事件に巻き込まれた例も少なくないとは思うが、大半はみずから家族や友人の前から突然姿を消すというケースらしい……。


 今回、僕たちお泊り会のメンバーが、冬休み期間中の週末に他県を訪れた目的は猫森未亜ねこもりみあの失踪した母親を探し出すことだった。何を思って未亜ちゃんの母親が失踪という行動に出たのかはいまの僕には伺いしれない……。


「でも分からないよな、未亜ちゃんの話ではそれまで両親の夫婦仲も円満で特に母親は家庭の愚痴ひとつこぼしたことがないって聞いたぞ。それなのになぜ急に家を出て行ってしまったんだ?」


「そう思うのは宣人、お前がめちゃくちゃ幸せだって証拠だよ……」


 ……この陰キャな僕がめちゃくちゃ幸せだって!?


 祐二の妙に達観したような言葉が印象に残った。その反面、彼に対して強い反発心を覚える。


 思いも寄らない言葉を投げかけられて返事を返せないでいると、祐二がさらに会話を続けた。


「なあ、宣人。俺たちは生まれてからまだ十六年間しか生きていないガキだなよ。大人には人に打ち明けられない事情ってものがあるんじゃないか。特に夫婦みたいな間柄にはさ……」


 普段の陽キャな祐二からはとても想像が出来ない大人びた発言にまた面食らってしまった。


「祐二、お前は僕に何が言いたいんだ?」


「宣人にはわかんねえかな。まあそんな裏表のないところがお前の最大の美徳なんだけどな。俺もガキだから偉そうなことは言えないけど、人は幸せそうな外見だけじゃ判断は出来ないってことだよ。絵に描いたような円満なカップルでも片方の不平不満が溜まってそのうち爆発しちまうのも良く聞く話さ。それは長年連れ添った夫婦も同じじゃないのか……」


 彼の言っている意味が僕の鈍い頭でもようやく理解出来た。


 普段、他人についての価値基準をその人のうわべのみで考えてはいないだろうか? かっこいいとか、きれいとか、お金を持っているから幸せだろう。良い会社に勤めているから幸せなんじゃないか。それは枚挙にいとまがない……。


 でも実際は違う場合も多いんじゃないのか? 祐二は僕にそう言っているのだろう。


 急にその会話を思い出したのは、オリザの乗る車を見送った後、他のみんなが待機しているファミレスにむかう最中だった。


 未亜ちゃんの母親にも人には打ち明けられない悩みがあったのだろう。何も告げず最愛の娘の前から姿を消すほどの事情が……。


 オリザの容態が無事だった件は事前に電話で天音に伝えてあったので、特に混乱もなくファミレスに到着した僕を迎え入れてくれた。


 そして僕は開口一番にある提案をしようと考えていた。現在お泊まり会のメンバーは、僕、妹の天音、阿空あく兄妹、そして未亜ちゃん。オリザは途中退場したから五名だ。


 そんな多人数で目的のアパートに押し掛けるのは、付近の人目も考えたらアウトだろう。未亜ちゃんの母親が僕たちの来訪を拒絶して室内に迎え入れてくれない場合も考えられるからだ。そして何よりも重要なのは未亜ちゃんの気持ちを考慮しないといけない。


 ファミレスに到着してから、彼女の様子を見て僕の懸念はさらに強くなった。所在なげに椅子に座りながら、未亜ちゃんはあの特徴的な腕時計にそっと指先を添えていたのを僕は見逃さなかった。


 赤い縁取りのある金属製のベゼルに黒い革のバンドが特徴的な外観。彼女の母親とお揃いの腕時計。名門お嬢様女子高の誉れ高い、君更津南きみさらずみなみ女子高に合格出来たお祝いに母親から送られてきた想い出の品なんだ。


「未亜ちゃん、考えたんだけどお母さんのアパートに行くのはこのメンバーの中で……。うわっ!? 冷てっ!!」


 テーブルの差し向かい、未亜ちゃんの隣に座っていた妹の天音が、派手な音をたてて水の入ったグラスを倒してしまった。ちょうど身を乗り出していた僕の肘まで濡れてしまう。


「ああっ!? うっかり手が滑っちゃった!! 宣人お兄ちゃん、ごめんね」


「大丈夫てすか? お兄さん、今テーブルを掃除出来る物を借りてきますから、それまでこのおしぼりで濡れた服を拭いてください」


「あっ、未亜先輩、香菜が代わりに取ってきますからここにいてください。宣人さんも話の途中みたいですし。ほら!! 兄貴も替えの飲み物を用意してあげて」


「何で俺まで手伝うの? お前だけで充分じゃないか」


「兄貴はつべこべ言わずに香菜について来ればいいの!!」


「あ、天音も急にトイレに行きたくなっちゃった!! 冬なのにドリンクバーで冷たい物を飲み過ぎたせいかな? 急げや急げ、ほら皆さんご一緒に!!」


 何なんだ、この茶番劇は? さすがに空気の読めない僕にも分かるぞ。


天音の奴め。僕と未亜ちゃんをふたりっきりにするための作戦だな。


 まさか例の能力を使って僕の考えを読んだりしていないよな。多分この調子だとすぐに天音たちは戻ってこないはずだ。


「お兄さんが言いかけた話はだいたい想像がつきます。お母さんのアパートに行く人数の件ですよね」


 ……先に未亜ちゃんから言われてしまった。


「そのとおりだよ。出来るだけ少人数で訪問したほうがいい。未亜ちゃんは当然としてあとひとりついて行けば」


「いえ、私ひとりでお母さんと会わせてください。これは最初から決めていたんです。みんなにはここまで協力してもらったのに、わがままかもしれませんが」


 普段はおとなしい彼女からは聞いたことがない意志の強い言葉。僕は思わず息を呑んでしまった。


「未亜ちゃん、君はそれほどの決意をしていたんだね」


「……ひとつだけお兄さんにお願いがあるんです。聞いてくれますか?」


「ああ、言ってみてくれ」


「この想い出深い腕時計を預かってくれませんか。お母さんから行方不明になった理由を聞く前に、私の気持ちが揺らがないようにしたいんです」

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