僕の想い出の写真をいちばん大切な君に捧ぐ……。

 ……これまで中学、高校と陰キャを貫いてきた僕にとって冬休みのような長い休暇は苦痛でしかなかった。とにかく時間を持て余した記憶しかない。これといって誇れる趣味もないしな。自分と違って多趣味な親父はことあるごとに僕に趣味をやらせようと進めてきた。


 小学生時代にはミニバイクやレーシングカートもやったな、サーキット場への遠征はホテルや車中泊のお泊まりが出来て楽しかったが、元来が臆病で人と競うのが苦手な僕にはどれも身につかなかった。


 逆におまけでレースに参加した妹の天音のほうが筋がいいと周りから絶賛されたのは、いつもと同じパターンだ。僕はそのころから自分に自信がない男の子だったことを思い出す。


「ねえ、ご主人様。なんのアルバムを見ているの?」


「ああ、オリザ、まだ起きていたのか。これは僕の子供のころの写真だよ。ずっと整理していなかったから、この冬休みの機会に要らない物は処分しようと思ってさ」


「わあっ、子供のころのご主人様がいっぱいだぁ!! 隣に写っている女の子は天音!? ちっちゃくて可愛いっ!!」


「こらこらオリザ、写真をバラバラにするなよ。アルバムから出して年度別に並べているんだから」


「あれっ、これはいつの写真なの? 桜の下でご主人様と女の人が並んで写ってるけど。もしかしてお母さんかな」


「これは違うよ。僕が幼稚園に入学したときの記念写真の一枚だ。隣に立っている女性は保育士さんだ」


「ふうん、お母さんじゃないのか、でもきれいな女の人だね。ご主人様の顔もにやにや笑っていてなんだかとても嬉しそうだね。オリザちょっとやきもちを焼いちゃうかも」


「べ、別にいいだろ。僕が幼稚園のころの写真だし、母親がいなかったから年上のお姉さんと一緒なのが嬉しかったんだと思うよ。でもかなり昔のことだから忘れちまったよ」


「……わん、そうだった。ご主人様のお母さんは早くに亡くなっていたんだよね。ごめんなさい」


「オリザ、昔のことだからそんなに気にするなよ。それに僕よりも未亜ちゃんのほうがよほど大変だよ。ものごごろつく前に母親が他界した僕と違って、高校入学前まで仲良く暮らしていた母親が急に行方不明になってしまったんだから」


 幼稚園の写真について急にオリザから質問され、僕は心の中で激しく動揺してしまった。忘れてしまったと慌ててごまかしたけどかなり不自然だったはずだ。


 疑うことを知らない子犬のようなオリザだったから気がつかれなかった。


 幼稚園の入園式の写真。その日に起こった出来事はいまも鮮明に僕の記憶に焼き付けられている。



 *******



 『ああああっ!! いやだよ。怖い顔した知らない男の人にぶたれる。ぼくは何も悪いことをしてなんかいないのに!!』


『……せ、せんとくん、どうしたの!? 男の人なんか近くにはいないよ!! きゃあ!! そんなに腕を振り回して暴れちゃだめだよ!!』



 *******


 

 あの日、幼稚園の入園式。その後の教室で起こった出来事は絶対に忘れられない。初めて僕の忌まわしい能力ちからが発動した日だ。その出来事が僕の正確や行動に暗い陰を落としている。


「ねえ、ご主人様。処分用って書いてある箱に入れているけど、もしかしてこの写真を捨てちゃうの?」


「うん、実はあんまり好きじゃない顔で僕が写っているからね。この機会に処分しようと決めたんだ」


 体のいい嘘を付いてしまった。これまでも捨てる機会はあったのにどうしても捨てられなかった写真。僕を縛る鎖みたいに思えて、最近はアルバムを開かないようにしていたほどだ。


「わん!! この写真を捨てちゃあだめだよ。ご主人様は絶対に後で後悔するから……」


 いきなりオリザから吠えられて僕は驚いてしまった。同時になぜか胸の奥が痛くなってしまう。


「……なんでオリザがそんなに悲しい顔をするんだよ。自分の写真でもないのに」


「だって、私には過去の写真なんて一枚もないから。このおうちに持ってきた荷物の中にも、ご主人様のお父さんに聞いても、前にオリザが住んでいた場所にも写真はなかったって……」


 オリザの悲痛な叫びに、僕はまるで落雷に打たれたかのように身体が動かなくなった。


 彼女は普通の女子高生だった過去の記憶をすべて失ってしまったわけじゃない。なにかの拍子に元のオリザだった人格が顔をのぞかせる。


 だけど強固な記憶の上書きによってその人格は押さえ込まれている。初詣に僕たちお泊まり会のメンバーが訪れた神社。その奥にうっそうとそびえる鎮守様おちかんさまの森で、オリザの腹違いの姉である生徒会長こと、万代橋奈夢子ばんだいばしなむこの口から語られた驚くべき事実。


 その呪縛に捕らわれて彼女は無害な子犬になりきってまで元の人格を封印しているんだ。


 僕が過去の忌まわしい記憶を見て見ぬ振りをしたみたいに……。


「ご主人様。急に黙り込んでいったいどうしたの? オリザが吠えたから怒ったのかな……」


 しおらしい声で僕の顔をのぞき込む彼女。その汚れのない瞳を見ているだけで心がかき乱されてしまう。


 ……だめだ。まだ本当のは彼女には告げられない。その呪縛の重さにきっとオリザは耐えられない。


「あ、ああ写真はオリザのいうとおり取っておくよ。そうだ。君にあげる。僕が持っているより大事にしてくれそうだから」


「ええっ!? ご主人様、本当にこの写真を貰えるの。 ……オリザ、一生の宝物にするね!!」


「ははっ、オリザは大げさだな。でもそんなに目を輝かせて喜んでくれると僕も嬉しいよ」


「うん、とっても嬉しい!!」


「そうだ、そろそろ寝ないと、明日はいよいよお泊まり会のメンバーで遠出をする日だぞ。オリザ、ちゃんと起きられなかったら家に置いていくからな」


「ええっ~!? そんなのやだ。ご主人様とお出かけするの!!」


 大事そうにプレゼントされた写真をじっくりと見つめていたオリザ。僕の冗談に本気で抗議してきた。


「嘘だよ。一番活躍してもらう予定のオリザを家に置いていくはずないだろ」


「わん、よく考えたらそうだ。私のお鼻をくんくんさせないと目的が見つからないよね、ご主人様!!」


 そのとおりだよ、君の優れた嗅覚が明日は物をいうはずだ。


 先ほどの言葉を撤回することにするよ。今年の冬休みは例年と違って退屈なんかしないからさ。それはオリザがこの部屋に現れたあの日から始まったんだ。だから僕の前からいなくなるなんて絶対に言わないでくれ……。

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