君去らず、その面影を待ちわびて涙も枯れにけり……。

 ――君去らずの伝承。


 古くからこの辺りに伝わる伝説のことだ。


 僕の住んでいる君更津きみさらず市。その地名の由来になったとも言われている。古い歌集に記された内容はごくありふれた恋物語だった。


 当時、みやこにその噂が届くほど器量の良い娘がこの地に住んでいた。娘の家には毎日求婚を求める列が出来るほどの美貌の持ち主だった。その求婚の列には地元の権力者も含まれていた。しかし彼女には将来を誓い合った幼なじみの男性がおり縁談のすべてを断り続けたそうだ。それに業を煮やした権力者の卑劣な画策にはまり男性は自殺に追い込まれる。


 最愛の男性の死を嘆き悲しんだ娘は。後追いで自らの命を絶ってしまう。その亡骸に寄り添うように娘が大切にしていた白い愛犬がいつまでも離れずにいたという。不思議なことに犬が人間の言葉を突然しゃべり始めて娘の死を嘆き悲しんだと言い伝えられている。


 【君去らず、その面影を待ちわびて涙も枯れにけり……】


 非業の死を遂げた娘の魂を弔うため愛犬がんだといわれている詩が、いまも久里留くりる神社には記念碑となって残っている。同時に神社が犬を祭っているのも君去らずの物語にちなんでいるそうだ。


「……でも僕にはまだ分からない箇所があります。奈夢子なむこさんのいうの能力と、この君去らずの伝承にどんな関係があるんですか? 確かにとても悲しいお話ですが他の地方でもありそうだと思うのですが」


宣人せんとくん、この伝承のお話には削除された部分があるの。記念碑に記されているのは表向きの内容で、神社の宝物殿に隠されている門外不出の古文書には別の記載があったの」


「伝承から削除された部分って、奈夢子さん、それはいったい何ですか!?」 


「それは幼なじみの男性についての部分よ。当時の権力者が画策した内容が問題の削除された箇所なの。謀殺された男性は常人にはない能力の持ち主だったそうよ。そこに横恋慕に狂った権力者がつけこんで、さとりの化け物だという噂を周りに流布して男性を自殺に追いやったのね」


 嘘だろ!? まさかあの伝承の物語にそんな隠された内容があったなんて……。信じられない。


「……それじゃあ、僕たちと同じ能力の持ち主が昔から存在していたってことですか!?」


「隠すのは無理もないでしょうね。たとえそれが事実だとしても人の心が読める能力なんて。普通の人間から化け物扱いされて闇に葬り去られるのが落ちだと思うわ」


 そんな……。昔から異分子を排除する行為は何も変わっていないというのか!?


 悲恋の恋物語の内容をねじ曲げるくらいに……。


「宣人くん、そんなに暗い顔をしないで。以前は私もすごく悩んだわ。だけど次第に現実を受け入れて、この能力を神様から与えられた意味を考えたの」


「……神様から与えられた意味を考えるって。僕の持つ何の役にも立たない能力ちからのことですか!?」


 吐き捨てるような僕の強い言葉に彼女は肩を震わせた。それまで感情を表に出さなかった瞳にゆらぎの波が揺れる。だめだ!! 奈夢子さんに自分の感情をぶつけてはいけない。


「せ、宣人くん、お願いだからそんな言い方をしないで……。私だってどれほど悩んだか。なぜ万代橋ばんだいばし家なんかの跡取りに生まれてきたのか。自分が普通の女の子だったらどんなに良かったかって」


 奈夢子さんの頬からあごに掛けてのラインに涙の軌跡が流れる。彼女がこれまで抱えてきた重さが僕に痛いほど伝わってきた。


「……奈夢子さん、急に声を荒げたりしてすみませんでした」


 深い後悔の念で胸が一杯になる。彼女に掛ける次の言葉が見つからない。


「ごめんなさい、謝らなければならないのはこっちのほうなのに。自分と同じ能力の持ち主と出会えてつい嬉しくなったのも本音なの。……オリザさんが私の前から姿を消してしまったから弱くなっていたのかもしれないわ」


 オリザが姿を消して!? そういえば肝心の話をまだ僕は奈夢子さんから聞いていない。


「……あなたとオリザはいったいどういう関係性だったんですか。そして彼女は以前の記憶をなくしている。僕の親父の話では途方もない悲しい出来事が起こって自分を犬だと信じ込んでいる状況だとしか教えてくれません」


「私とオリザさんの関係には犬上、万代橋、両家の複雑な問題が絡んでいるからすべてを猪野先生は語らなかったんだと思います」


「お願いします!! 教えてください。僕はオリザの飼い主です。彼女の抱える問題に真っ向から向き合いたいんです」


「……分かりました。私の言える範囲で話しましょう。宣人さん、それで了承してもらえますか?」


「了解しました。それにあなたは僕の敵じゃないと言ってくれましたよね。その言葉を自分も信用します」


「ふふっ、ありがとうございます。オリザさんの保護者が宣人さんみたいな人で本当に良かったです」


 そして彼女は玄関前のエントランスにある椅子に腰掛けた。手で促されて僕も差し向かいの椅子に座る。


「お茶も用意出来なくてごめんなさい。待っているお友達もいますからゆっくりはしていられませんからね」


「それなら心配しないでください。いまスマホを確認したら妹の天音から連絡が入ってました。オリザが境内の屋台でまだ食べ歩きをしていないって、家でゴネたから神社に連れてきたみたいです。他のメンバーもそれに同行するそうですから」


「本当に皆さんから良くしてもらってオリザさんは幸せですね」


「そうかもしれません。だけど逆にオリザから僕は元気を与えてもらっている気がします」


「以前のオリザさんに比べたら見違えるように明るい表情でしたからね。本当に良かった」


 ……奈夢子さんの言葉に妙な引っかかりを覚えた。以前のオリザはどんな女の子だったんだろう?


「宣人さん、これから私が話す内容はまだオリザさんに伝えないでください。彼女が過去の記憶を失っているとしたらショックが大きすぎて悪影響を与える恐れがありますから」


「はい、オリザには絶対に秘密にします」


 これほど奈夢子さんが念を押すって、いったいどんな内容なんだ?


 机を挟んで向こう側に座る彼女がこちらに身を乗り出した。まっすぐに僕を見つめる真剣なまなざし。いよいよふたりの関係性が聞けるんだ。


 僕は固唾かたずを飲んで相手の言葉を待った。


「唐突な話で驚くかもしれませんが、オリザさんは私の妹なんです……」

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