新年のお願いは君から最初にして欲しい……。

 玉砂利の敷かれた地面の先に何枚も続く敷石。ここがひと目で神聖な場所だと分かる。


「……ああ、とても懐かしい感覚だな」


 靴底の裏に当たるごつごつした石の感触。一歩進むたびに玉砂利が軽い音を立てる。


 僕たちは初詣をする神社の本殿を目指して歩いていた。まだ日も昇らない時刻というのに境内にはすでに大勢の参拝客が集い始めている。


「ねえご主人様、どうしてこの神社の名前をみんな鎮守様おちかんさまっていうのかな?」


「何だオリザ。神社の境内に入ってからずっと黙っていたと思ったらそんなことを考えていたのか」


「わん……。さっきくぐり抜けてきた赤い鳥居には久里留くりる神社って書いてあったのに……」


「オリザはそこに良く気がついたね。神社の名前はそれが正しいんだよ。だけど地元の人はみんな鎮守様って呼ぶんだ。由来は知らないけど僕のおばあちゃんから子供のころに教えてもらったんだ」


「わん!! ご主人様のおばあちゃんにオリザも会ってみたいな」


「ははっ、おばあちゃんも犬好きだからオリザの顔を見たらきっと喜ぶよ。今は別々に暮らしているけど元気だから今度紹介するね」


「嬉しいな。ご主人様のおばあちゃんに会えるのを楽しみにしてるから!!」


 僕の隣で無邪気に笑うオリザ。その嬉しそうな横顔を見て初詣に彼女を連れてきて本当に良かったと思った。


「宣人お兄ちゃん。そろそろ境内も人で混みあってきたから周りに気をつけてね。私と違ってお兄ちゃんは制御が効かなくなる場合があるんだから」


「ああ天音あまね、周りには充分気をつけるよ。……悪かったな。今回のサポート役をこんな朝早くからお前に頼んじまって」


「可愛い妹の貸しは高くつくから。なんちゃって!! 嘘だよ。オリザちゃんは私にとっても家族同然だから人混みから守ってやるのは何もお兄ちゃんだけじゃないから」


 僕とオリザの少し先を歩く妹の天音。つゆはらいの要領で境内の人混みの中を先導してくれる。


「……よお宣人、俺の存在を忘れてもらっちゃ困るぜ!! この阿空祐二あくゆうじ様が指一本お前たちには触れさせないからよ。だから大船に乗ったつもりでお参りを済ませろ」


「……あ、天音。祐二には何て説明したんだ。僕の例の能力ちからの存在はまさかあいつには知られてないだろうな」


 祐二に聞かれないように小声で天音に問いかける。


「大丈夫だよ。祐二さんにはオリザちゃんの護衛をお願いしただけだから。宣人お兄ちゃんの特殊な能力については触れていないよ」


 ふうっ、それなら安心した。でも祐二の奴、オリザの護衛を頼まれたからってその派手な格好は何なんだよ。虎と竜がでかでかと刺繍されたスカジャンとか昭和の不良かよ。ただでさえお前の髪色は明るいアッシュで染めているように見えるんだから。


 ああっ、またすれ違う参拝客にガンをつけて威嚇しているぞ。違う意味でもめ事が起きそうだ……。


「祐二お兄ちゃん!! めちゃくちゃ顔が怖すぎだよ。香菜かなはいっしょに歩くのが恥ずかしいんだけど」


「香菜、お前は黙ってろ。男のやることに口出しするんじゃねえ!! 俺は宣人とオリザちゃんのボディーガードを仰せつかったんだからよ。特に年越しには柄の悪い輩もたむろしている場合も多いからさ。気を抜くわけにはいかないんだ」


「私の言いたいことは違うんだよ。お兄ちゃんがいくら凄んでも基本が女顔だから滑稽に思われるのを心配しているの」


「な、なんだと香菜。俺のどこが滑稽なんだ!!」


 元旦早々、阿空兄妹の掛け合い漫才みたいなケンカが始まったな。たしかに香菜ちゃんの言い分は当たっている。祐二の奴は自分でバリバリのヤンキー姿のつもりでも、その男性アイドル顔負けの端正なルックスには不釣り合いだ。


 とても奴には言えないが学校で祐二と会話中に顔を近寄せられて、相手は男なのに胸が高鳴った妙な経験もあったんだ。自分には男を好きになる素養は全然ないというのに……。


 祐二は黙ってさえいれば男の僕でさえ思わず見とれるほどの美少年なのは確かなんだ。


 彼の肌の色が白いのは兄妹の香菜ちゃんと同じだな。……そういえば僕が彼女の記憶の中で視た、あの痛ましい交通事故に遭った少女も色白だった気がする。


 あの女の子は無事だったのだろうか? 香菜ちゃんに直接は聞きにくいな。祐二に後でそれとなく訪ねてみるか。


「宣人お兄ちゃん、もうすぐ拝殿前に到着するから、オリザのリードを貸してくれる。天音がいったん替わるから順番でお参りしようよ」


「わん!! 天音と鎮守様のお散歩が出来るなんて、嬉しいな♡」


「でも天音、お前ひとりにオリザを任せて大丈夫なのか?」


 正月用の飾り付けが明るく灯った境内の沿道をしばらく進むと参拝の目的地である本殿前の拝殿が見えてきた。そこで天音から切り出された提案に軽い戸惑いを覚える。


「逆に拝殿前のほうが安全だと思うの。参拝の列は整然としているから宣人お兄ちゃんが不意に人と接触することもなさそうだし」


 確かに天音の言うとおりだ。神聖な本殿前のほうがここまで僕たちが歩いてきた境内の沿道よりも身体がぶつかるリスクは遙かに少ない。


「それにお兄ちゃんは大事な人の存在を忘れているんじゃない?」


「僕の大事な人って!? 天音、お前の言っている意味がよく分からないんだけど……」


「あ~あ、難聴系なラブコメ主人公みたいなキャラってもう時代遅れなんだから。これじゃあ今年も思いやられるよ、宣人お兄ちゃん!!」


 大げさに肩をすくめながら深いため息をつく天音。いったい何なんだよ。僕が変なことでも言ったのか?


「とにかく、今年の初詣でいちばんお願いを叶えさせてあげたい人がいるって話し!! ……ねえねえ未亜みあ先輩、さっきからずっと黙ってばかりで、まるで背景に溶け込んた忍者なモードにならないでくださいよぉ」


「えっ、天音ちゃん、私そんなに黙ってた?」


「そうですよ、境内を歩いているあいだ、一言も喋ってないですから。せっかくの初詣なんだし今だけ悩み事は忘れて明るくいきましょう!! ねっ宣人お兄ちゃんもそう思うでしょ」


 おいおい天音、いきなりこっちに話しを振るなよ!! きっとまた何かたくらんでいるにちがいない。だけど僕もさっきから気になっていたんだ。未亜ちゃんのテンションが神社の境内に入ってから極端に低くなっていたことに……。 


「……う、うん、そうだ未亜ちゃん!! 僕と一緒にお参りしよう。さあ列に並ぼうか」


 僕の傍らで物憂げな表情を浮かべる未亜ちゃん。その様子にかまわず彼女の肩に手を置き拝殿へむかう階段へと背中を押した。


「ええっ、宣人お兄さんとふたりっきりで初詣のお参りに!?」


「そうだよ、僕らが最初に新年のお参りをするんだ。未亜ちゃんは特に念入りにね」


 未亜ちゃんが落ち込んでいた理由わけにやっと気がついた。妹の天音ほど空気の読めない僕でも分かる。彼女の表情を曇らせているのは行方不明になった母親について悩んでいるんだ。だから天音は僕に意味ありげな話しを振ってきたんだろう。


「宣人お兄ちゃん、未亜先輩のことをよろしくね!!」


 ここは天音の策略にまんまと乗ってやるとするか……。

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