お兄さんが自分の名前を嫌いな理由を教えて下さい……。

「さあ、宣人さんのはじめてのおつかい開始ですよ。張り切ってまいりましょうか!!」


 香菜ちゃんは親友である天音の意志を継ぎ、今回のお買い物同行作戦にすっかりノリノリになっている様子に見えるぞ。彼女の後に続いて入った店内で僕は思わずたじろいてしまった……。


 表から眺める以上にきらびやかな装飾を施された陳列棚が所狭しと並び、狭い店頭を埋め尽くす色とりどりの下着。陰キャな僕は目のやり場に困る程だった。手前には靴下やパジャマも申し訳程度に置かれているが、圧倒的にブラやパンツの数が多い。はじめてのおつかいは開始早々からすでにアウェー戦の様相ようそうを帯び始めていた……。


「……ちょ、ちょっとこれは!? 男の僕が入店するのはかなり場違いすぎるんじゃないのか」


「宣人さん、いきなり怖じ気ついちゃだめですよ!!」


「そうですよ、宣人お兄さん。店内をよく見てください。けっこう男性のお客さんもいますから安心してください」


 女の子ふたりの言葉にあらためて下着屋さんの店内を見回すと、未亜ちゃんの言うとおり女性とカップルで来店している複数の男性客が見受けられる。今日がクリスマスイブの浮かれムードだからか、完全に恋人だけの世界に没入していちゃいちゃしながら、彼女の下着を選んでいる光景に僕は驚きと憤りを隠せなかった。


 こ、これが陽キャの当たり前なのか!? リア充恐るべし……。


 僕がこれまで生きてきた十六年間。その陰キャな辞書には彼女の下着をへらへらしたアホ面でいっしょに選ぶなんて羨ましい……。げほっ、いや、けしからんイベントは全く存在していなかったから。


「……大丈夫ですか!? 目が完全に泳いじゃってますよ。やっぱり硬派な宣人お兄さんにはキツいお買い物でしたか」


 狭い店内の通路でお互いに身を寄せながら歩いていた未亜ちゃんがこちらの様子を心配してくれた。彼女の中で僕は女性が大の苦手で硬派な男として認識されているんだ。例の能力ちからを隠すための苦し紛れの言い訳が、いつしか妹の天音を介して女嫌いな兄貴として彼女に伝わってしまったからなんだ。


「う、うん。何だか借りてきた猫状態っていうのかな。居心地の悪さ感はあるけど、まだふたりと一緒だから大丈夫だよ。これがひとりだったらどんだけツラい罰ゲームかよ!! ってこの場から一目散に逃げ出したくなるけど」


「あははっ、借りてきた猫って面白いですね!! いまのお兄さんにぴったりかも」


「こら未亜ちゃん、笑い事じゃないぞ。こっちは慣れない店内で気が気じゃないんだから」


 未亜ちゃんが今日見た中でいちばんの笑顔を僕に投げかけてくれた。もしもこんな他愛のないやりとりが彼女に明るい気分をもたらしたとしたら、それだけでも罰ゲームを受ける甲斐があると思った。最近、特にため息をつく機会が増えたように見受けられて、密かに胸を痛めていたから……。


「こんなに笑ったのは久しぶりです。天音ちゃんに感謝しなきゃ。……そうだ!! さっき宣人お兄さんの話した借りてきた猫にちなんで、未亜といっしょに言葉つながりな遊びをしませんか」


「ええっ言葉つながりな遊びって、いったい何をするの!?」


「ふふっ、ちょっとしたおまじないみたいな遊びです。お兄さんの右手を私の前に出してくれませんか」


 自分の利き腕である左手。その指先は入店前から彼女の右手と繋いである。触れているのがほんの指先だけなのは、先ほど香菜ちゃんからツッコミを入れられたように僕が照れている意味合いだけではないんだ。能力がふいに発動してしまうのを防ぐ理由もある。


「こ、こんな感じでいいの?」


 おずおずと未亜ちゃんの前に右手を差し出す。彼女の言うおまじないっていったいどんな物なんだろう?


「宣人お兄さんが私を助けてくれた日のことを覚えていますか?」


「ああ、忘れるはずないよ。うちの近所で未亜ちゃんが不届き者の運転する車に危うく交差点でかれそうになった一件だよね」


「はい、そうです。あの日初めて交わした会話の中で私の名字が珍しいって言ってくれましたよね!!」


 僕はつい不用意な失言をしてしまった。近くには家族が過去に交通事故にあったであろう香菜ちゃんがいることをすっかり忘れていた。


 横目で彼女の様子をそっと盗み見る。ふうっ良かった。僕の会話は香菜ちゃんの耳に届いていない様子だ。天音の書いたお買い物メモに視線を落としながら、両手はせわしなく店内に陳列されているカラフルな下着を選別している最中だった。


 僕と未亜ちゃんから妙に距離を置いて離れた場所にいるのはどうしてだろうか? まあ、どちらにしても助かったな。安堵の吐息を漏らしつつ、もう一度未亜ちゃんとの会話に集中する。


「……あっ、急に黙ってしまってごめんね未亜ちゃん。猫森ねこもりっていう君の名字の話だよね。」


 不自然な態度の間も彼女は黙って僕の言葉を待っていてくれた。真っすぐにこちらを見つめる瞳が物憂げに揺れて見える。


「……やっぱりあのときと同じだ。もしも間違っていたらごめんなさい、宣人お兄さんは名前の話題になると途端に顔を曇らせますよね。それはどうしてなんですか?」


 ――未亜ちゃん、君は僕に何を問いかけようとしているのか!?

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