さよなら、オリザ

 僕の住んでいる君更津きみさらず市はどこにでもありそうな地方都市だ。駅前は全国各地のご多分に漏れず寂れた商店街が広がっている。子供の時分に妹を連れて足繁く通った模型店も小学校を卒業するころには閉店の張り紙とともに固くシャッターを閉ざしてしまった。


 いま思えば妹の天音あまねが人形好きになったのは僕のせいかもしれないな。当時人気だったロボットアニメのプラモデル。模型店の店頭で手に入れられなかった悔しさを態度に出すのは男らしくないと思った僕は妹に魔法少女物の人形フィギュアを買い与えてやったんだ。


 そのときの天音の喜びようったらなかったな。満面の笑みを浮かべて人形のパッケージを大事そうに胸に抱きしめていたっけ。


 それが照れ隠しだったとしても兄貴らしいところを見せられて、まんざら悪い気分じゃなかったのをいまでも良く覚えている。


 ああ、そこの路地をまがればあの模型店の跡地がみえてくるはずだ。【模型の国、太陽】 本気マジかよ。まだ看板まで残っているのか!? 


「……懐かしいな。閉店の張り紙まで当時のままだぜ。天音、こっちに来て早く見てみろよ!!」


「宣人お兄ちゃん、いつもより妙にテンションが高くない? 懐かしい昔話をするために私を駅前商店街まで連れてきたわけじゃないんでしょ」


「お前はいつも僕の思惑なんてお見通しなんだな」


「まあ、未亜先輩を駅まで送ったから別にいいんだけど、でもオリザをひとりでお留守番させて本当に良かったの。かなり恨めしそうな表情かおで私たちを見送ってたよ」


「……オリザには聞かせたくない話なんだ。そして他のみんなにもまだ言っていない。いまの時点では僕と天音だけの秘密にしておいて貰いたいんだ」


「宣人お兄ちゃん、昨晩私たちに全部打ち明けてくれたんじゃなかったの!? オリザの件についても」


 早朝の駅前。シャッター街になった商店街には僕たち以外の人影もまばらだ。土曜日でなければ駅へ急ぐ通勤の人も数多く見受けられる歩道には、店先からはがれ落ちたチラシだけが風に吹かれている。


「ああ、それは嘘じゃない。だけど天音、お前は僕の話を聞いても納得していない様子に思えたぞ」


「そ、それは、宣人お兄ちゃんが……」


 僕の問いかけにそれまで詰問調子だった妹の口調が変わった。どうやら図星だったみたいだ。


「なんでそこまで僕がオリザの過去にこだわるのか、理解出来ないって態度が昨晩の天音にはありありだからさ。普段はクールを気取ってるけど結構お前も顔に出やすいタイプなんだよな」


「大きなお世話よ。めっちゃ感情が表に出る宣人お兄ちゃんにだけは言われたくないんだけど……」


 今朝の天音にはいつもの覇気がない。普段だったら僕の軽口に毒舌で鋭く切り返してくるはずなのに。


「だったら私の考えを全部ぶちまけちゃうけど怒らないで最後まで聞いてね」


「ああ、余計な口は挟まないから天音の率直な意見を聞かせてくれ」


「うん、じゃあ話すね。お父さんがいくらオリザの生い立ちに関する情報を私たちにすべて開示していないからって、宣人お兄ちゃんの行動はなんだか性急すぎる気がするよ。未亜先輩のお母さんについては急いで探してあげるのはとても理解出来るんだけと……」


「いいから先を続けてくれ」


 まっすぐにこちらの目を見据えながら口ごもったままの天音。その細い肩に僕はそっと手をおいた。やがて閉ざされていた妹の唇がゆっくりと動いた。


「宣人お兄ちゃんはオリザの記憶が戻ってもいいと本気で考えてるの!? 彼女が以前の生活の記憶をすべて思い出したら私たちといっしょに暮らせなくなるんだよ!!」


「……天音、これが僕の出した答えだ」


「えっ!? 宣人お兄ちゃん、いきなり天音になにするの!!」


 妹の背中にまわした腕に力を込めた。分厚いコート越しに柔らかな身体の感触を感じる。


 僕はその場で妹の身体を強く抱擁ハグした。


 過去、天音に対して実証実験を何回行ってもえなかった記憶の球体スフィア。今回は不意打ちのせいか不鮮明だが、その存在から漏れ出してくるかすかな記憶。その残滓ざんしが僕の身体に流れ込んでくるのを確認出来る。視界に浮かぶ球体の表面にはまるで穏やかな海面のようにさざ波のような軌跡まで感じられた。


「せ、宣人お兄ちゃん、子供のころじゃないんだからこんな場所で妹に抱きつくなんて。誰か人が来たら恥ずかしいよぉ……」


「天音、自分の記憶が僕に流失するのを意識的に遮断しただろう?」


「な、何を言ってるのか全然わからないよ、お兄ちゃん!!」


 天音の身体がこわばるのが僕の腕の中に感じられた。それは何よりも雄弁に妹の強い戸惑いを物語っている。


「僕はオリザを抱擁した初めての夜。彼女の抱えるもっとも悲しい記憶が視えなかった。もしもオリザの過去を知ってしまったら天音の言うとおり永遠に別れが訪れるかもしれない。だけど彼女をそのままにしておけないんだ……!!」


「……せ、宣人お兄ちゃん、そこまでオリザのことを想って」


 ――もっと早く気がついておくべきだった。


 妹の天音にも僕に似た能力ちからが備わっているというまぎれもない事実に。

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