いつか私があなたの子猫になる日まで……。
「何だよ
「別に何でもないよ。とりま
はあっ、まいったな。僕はオリザがおもちゃにして耳やしっぽが破れてしまったブタさんのぬいぐるみを補修してもらおうと部屋を訪れただけなのに。
どうやらすぐにこの場を立ち去る雰囲気じゃないな。
先に部屋の中に居た女の子ふたりも天音の思惑が理解出来ない様子で、窓際に置かれたソファーベッドに腰掛けながら僕たち兄妹のやり取りを黙って聞いている。
僕はおずおずと部屋の中央まで進み所在なげに辺りを見まわした。妹の部屋にこれほど長い時間滞在するのは久しぶりだ。これまでのお泊まり会では僕の部屋を予告なしに襲撃して、漫画やテレビゲームに飽きたら妹の部屋に帰っていくのがいつものパターンだった。
天音といっしょに僕の部屋を訪れる女の子の顔と名前はだいたい把握していた。ほとんどが妹の通う中学の同じクラスメートで、特に仲の良い女友達数人とグループを結成していると彼女たちが交わす会話の中で知りえた情報だった。
僕のたったひとりの親友、
兄貴との関係性もあり、香菜ちゃんは最初から僕に友好的な態度を示してくれた。しかし迂闊な身体接触をさけるあまり、積極的に話しかけてくれる彼女に生返事しか出来ない場面も多かったんだ。だけど不自然に思われなかったのは天音の吹聴した女嫌いの設定を信じていたからだろう。
「宣人さん!! ここ空いてますよ。なんて香菜のベッドじゃないけと」
「おおっと!! 両手に美少女のベストポジションだよ。これはヤバ過ぎるね。テーブルチャージならぬベッドチャージを追加料金でいただかねば!!」
おいおい天音よ。ここはぼったくりのガールズバーか!? ま、まあ確かに香菜ちゃんと
なるべく女の子ふたりと身体が触れないように細心の注意を払いながらベッドに腰掛けた。柔らかなシーツの感触。その奥の固いベッドマットがぎしりと音を立てる。
「私は宣人さんの飲み物を用意しますね」
「ありがとう、僕は緑茶でいいよ」
香菜ちゃんが座っていたベッドから腰を浮かした。僕のためにテーブルに用意されたペットボトルから紙コップにお茶を注いでくれる。
「……未亜ちゃん、そっちは狭くない?」
「あっ、はい。大丈夫です」
わずかに僕の肩に触れる彼女の白いセーター。かすかな布ずれの音が満員電車の中で偶然に
「何だかこの部屋暑くないか?」
「ええ、そうですね。エアコンが効きすぎかも……」
隣に座る彼女を妙に意識してしまう。自分の頬がほてっているのはエアコンの室温が高いだけなのだろうか。
次の言葉が出てこない。床のカーペットに落としていた視線をあげ未亜ちゃんの様子を横目でうかがった。
「……あ、えっと。この間は危ないところを助けてくれて、さらに学校まで送り届けてくれて本当にありがとうございました」
途切れがちな小声で彼女が先日のお礼を口にする。その横顔も耳まで真っ赤になっている。
「こっちこそ電車の中で気絶しちまうなんてみっともないところを見せてごめんね。駅のベンチで介抱してもらって、お礼を言わなきゃいけないのは僕のほうだ」
「いえ、そんなことないです。お兄さんがお礼を言うなんて」
うつむきながら小さく首を振る彼女のしぐさにあわせてショートボブカットの髪が左右に揺れる。子猫っぽい未亜ちゃんのキュートな横顔に僕の視線は一瞬でくぎつけにされた。
「……そ、そうだ、天音。僕にいったい何をやらせようとしているんだ?」
自分の胸の高まりをごまかそうと僕は急に話題をかえ、二人だけの世界から抜けだした。
「ええっ天音のやつ。どこに行ったんだ……!?」
「お、お兄さん。香菜ちゃんも部屋にいないです。さっきまでベッドに腰掛けていたのに」
……天音にしてやられた。
きっと香菜ちゃんも共謀者にちがいない。そういえば二人で意味ありげな目配せを交わしていたんだ。気にもとめなかった僕はなんて間抜けなやつなんだ。
僕と未亜ちゃんをこの部屋に置き去りにする作戦だ。天音のやつ。なんの意味だか見当もつかないぜ。
「……お兄さんと部屋に二人っきり」
ことの事情に未亜ちゃんは動揺を隠せない様子だ。ぽつりとつぶやいた後でそのまま黙り込んでしまった。
気まずい沈黙が部屋の中に流れる。
彼女のひざの上、スカートにおかれた細い指先が小刻みに震えるのがこちらからも見てとれた。
僕から何か喋らなきゃだめだ……。
「み、未亜ちゃん、今日もその腕時計をはめているんだね。とても大事な物なのかな?」
「えっ、この腕時計のことですか? 天音ちゃんのお兄さんって記憶力がいいんですね。ちゃんと会ったのはこの間が初めてなのに」
彼女の驚いた表情に僕は失言をしたことにやっと気がついた。会話の糸口を探すあまりに口を滑らしたんだ。前回彼女と電車内のアクシデントで抱擁した際に視(み)た光景。その中で知り得た重要なアイテムの腕時計について単刀直入に問いただしてしまった。
彼女のきゃしゃな手首にはめられた腕時計。赤い縁取りのある金属製のベゼルに黒い革のバンドが特徴的な外観だ。僕が電車内で例の
「そ、それは……。可愛らしい未亜ちゃんにその腕時計がとてもお似合いだったから印象に残っていたんだよ!!」
またもや苦し紛れに口走ってしまったが彼女に似合っているのはまぎれもない事実だったから。
「そんな可愛いだなんて!? ……ふうっ落ち着け私、自然体で話せばきっと大丈夫だから」
「未亜ちゃん、どうかしたの?」
「ふふっ、お世辞でも嬉しいです。でも天音ちゃんのお兄さんって本当に大の女嫌いなんですか? 女の子の持ち物に目ざといなんて意外です。実は硬派じゃなくチャラ男だったりして」
「ぼ、僕がチャラ男だって!? いちばん縁遠い呼びかただよ。だってクラスカーストでもぶっちぎりの隠キャポジだしさ」
「もう、お兄さん冗談ですよ。本気にしないでください。もしも他の女の子にモテるチャラ男だったら未亜がめっちゃ困っちゃいますから……」
えっ、なんで僕がチャラ男だったら彼女が困るんだ? まあ今後も隠キャからジョブチェンジなんてあり得ない話なんだけどね。
屈託なく笑う彼女と僕との間には先ほどの重苦しい空気は存在しなかった。お互いを自然と見つめ合う状況が生まれる。
「あっ、この腕時計についての話でしたよね。……でもお兄さん、これからする話を絶対に笑わないで聞いてくれるって約束してくれますか?」
僕が未亜ちゃんの話を笑う? 何を彼女はそんなに心配しているんだ……。
「誰にも話したことのない未亜の秘密なんですから」
彼女はまるで子猫のような上目づかいで僕の顔をじっと見つめていた。
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