僕にこれまで彼女が出来なかった理由
僕――
隣町にある有名な進学校に比べたら偏差値のランクは高くないが、有名大学への進学率重視な学校と異なり比較的自由な校風がとても気に入っている。生徒の主体性にまかせ明るく実りのある学園生活を三年間過ごしてほしいというのが学校の掲げるスローガンだ。
この高校を選んだのは建て前上、父親の母校に自分も通ってみたいという孝行息子を演じたかったのもあるが、本当の理由は僕の持つ例の
電車通学だけは絶対にしたくなかった……。
最寄りの高校は限られる。徒歩圏内でどうしても通学可能な学校にこだわった理由は、朝夕の通勤時間帯での電車内は大変込み合うからだ。他人が心の中に抱えるもっとも悲しい記憶が
意識的に相手からの記憶の流入を防ぐことが出来るといっても、満員電車の混雑した車内で複数の相手から身体を同時に押しつけられる状況ではとても無理だ。遮断が間に合わないのは過去の体験でいやというほど身体に叩き込まれていた。混雑の状況を体感した後は精神的にも肉体的にも疲労感でぬけがらみたいになっちまうから。
おっと朝からどんよりと暗い思考になるのはここら辺でやめにしておこう。今朝の僕はオリザとはじめての散歩をして機嫌良く家を出たんだから気分が下がるのはもったいないよな。
……表通りに面した大きな交差点で信号が変わるのを待った。朝の通りは通勤の車でいつも渋滞している。長い車列には路線バスも並んでおり、その車内が制服の色で埋め尽くされているのを窓越しに見かけて思わず寒気を覚えた。
電車だけでなくバスもだめだな。混雑する乗り物や場所にはなるべく近よらないのが自分にとっては得策だろう。
だから僕は人と触れたり、ましてや密着する状況を極端に嫌ってきた。まわりからはかなりの変人と思われていたはずだろう。
元来の僕の性格はお調子者のところがあり、友達と会話を交わしたりするのは大好きだった。そんな僕を慕ってくれる友達も過去に多く存在したが、何かの拍子でこちらの身体を必要以上に触れられた際の拒絶する反応にみんなが驚いた。そして怒りや悲しみの表情を浮かべて僕のまわりから離れていってしまう。高校に入学してひょんなきっかけからひとりだけ親友が出来たのは奇跡みたいなものだった。
今のままでは将来的にも仲のいい友達を増やすどころか、彼女を作るなんて絶対に無理に決まってる……。
幼稚園ではじめて自分の隠された能力が発動して女性が心の中にかかえたもっとも悲しい記憶、恋人から理不尽な暴力を振るわれるという状況を追体験した幼い僕は重いトラウマを抱えて、身内以外の女性に対してかなり臆病になっているのもこれまでの恋愛事情に拍車を掛けていた。
過去にも小学校、中学校と女の子からバレンタインや各種イベントで告白されることもあったが、すべて断っていたんだ。なんてもったいないと思うかもしれないが、どうしても交際をスタートする一歩が踏み出せない。これが恋愛映画やラノベの主人公なら相手の女の子が抱えるもっとも悲しい記憶をすべて引き受けてやれると優しく
はじめて恋した彼女を抱きしめたいのに、相手を傷つけてしまうのを極度に恐れるハサミの手をした人造人間の悲しいお話は何という映画のタイトルだったのだろう。子供のころ親父の所蔵していたDVDを天音とひっぱりだして一緒に観たはずだ。まだ家のどこかに置いてあるのだろうか?
物思いにふける僕をスマホの振動が現実へと引き戻した。制服のポケットから取り出して画面を確認する。
「なんだ
家族専用のメッセンジャーアプリに妹の天音から画像が届いていた。あいつは珍しく今朝は僕よりも後で家を出るはずなのにいったい何を送付してきたんだろう。
はっ、もしかして家で留守番しているはずのオリザが天音の通う中学校についていったとかじゃないよな!? ……自分を本物の犬だと信じこんでいる彼女なら突飛な行動もやりかねないぞ。僕が家を出るときもかなり駄々をこねて不穏な態度になっていたからな。天音がなんとかなだめすかしていた光景を頭に思い浮かべた。
胸騒ぎを覚えて送られてきた画像を確認しようとした矢先に、けたたましい車のクラクションで僕はおもわず手を止めてしまった。
「なんだよ、朝からやかましいな」
音のした方向に視線を送ると歩行者信号が青で優先のはずなのに、我先と急いでいるのか右折する車が横断中の自転車に対して
「あの車の運転手は何を考えているんだ!! 横断歩道は車より自転車が優先のはずなのに……」
胸の中にどす黒い怒りの感情が急速にこみ上げてくるのが感じられた。免許を持っていない僕でもわかる交通マナーだ。
車から威嚇され自転車は横断歩道の途中で停まっている。自転車から思わず降りたのだろう。制服姿の女の子が恐怖と戸惑いでその端正な顔をゆがませている。横断歩道には前かごから落ちたのが大き目のリュックがアスファルトの地面に転がっていた。リュックに
「おい!! ちょっと待てよ」
考えるより先に身体が動いた。横断歩道の中程まで進み、傍若無人な車の前に立ちふさがる。なおもクラクションを鳴らし続ける運転手とフロントガラス越しに真正面からにらみ合った。
車の運転席にいたのは白髪交じりの初老の男性だった。こんな行為をするのは暴走族みたいな若い兄ちゃんじゃないのかよ!?
驚きと同時に僕は情けなくなってしまった。自分の親父よりもどうみてもこの運転手は年上だろうに。きっと自分より力の弱い者にしか威張りちらせないのだろう……。
相手の目を見据えたまま膠着状態のにらみ合いが続いた。自分の中では長い時間と感じられたが実際には数秒だったかもしれない。
そんなこちらの態度に根負けしたのか、ばつの悪そうな表情を浮かべ、僕から視線を逸らした。
「君、大丈夫だった? とりあえず横断歩道を渡りきろう」
自転車の女子生徒にまず声を掛けてから、地面に落ちていたリュックサックの砂を手で払いながら拾いあげる。こちらの顔を見つめ一瞬驚いた表情を浮かべたが、相手はぺこりと会釈をしながらリュックを受け取り黙って僕の後をついてきた。
タイヤのけたたましい軋み
僕は緊迫した状況なのになぜかオリザの顔を思い浮かべていた。
もしもオリザがこの場所にいたら僕以上に不心得な相手に対して
同時にふと考えた。彼女の犬種はいったいどんな種類だろう? 大型犬それとも中型犬。もしくは小さな愛玩犬か。彼女の白いもふもふした可愛い衣装になにか重大なヒントが隠されているのかもしれないな。
「……あの、先ほどは危ないところを助けて下さって本当にありがとうございました」
鈴のような澄みとおった女生徒の声を背中に受けて、僕はまた余計なおせっかいを焼いてしまった
相手の身体に触れなければ誰彼かまわずに人助けをしてもいいってわけじゃないだろ!!
「何事もなさそうで良かったです。じゃあ僕は先を急ぎますので……」
湧き上がる自己嫌悪にさいなまれて助けた相手の顔を見るのもはばかれる。早々にその場を立ち去るのが得策だと踵を返そうとした瞬間、視界の隅に映る女生徒がおもむろに顔をほころばせるのがわかった。
「
えっ、なんで僕のことを知っているんだ!? いったい彼女は誰なんだ……。
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