まるで捨てられた子犬みたいな目をした女の子
その後、僕はうわの空のまま放課後まで過ごしてしまった。親父の一件が気に掛かっていることもあるが妙に心がざわざわする
「天音のやつ。僕に早く帰ってこいって言ったのに、自分が部活で遅くなるってどういうことだよ」
家族専用のメッセンジャーアプリの通知を眺めつつ、文句を言いながら自宅の玄関ドアを開けた。
「なんだ、この大量の荷物は!?」
玄関先には見慣れない白いバッグや段ボール箱が所狭しと置かれていた。親父が新しい犬用のグッズでも購入したのか。やっぱり大事な話って天音の予想が
先代の亡くなった愛犬の姿が不意に脳裏をかすめ、思わず怒りで頭に血がのぼってしまう。
「親父っ!!」
「宣人、おかえり。天音から話を聞いたんだな」
僕の親父、
「なんで僕に直接言わないんだよ。新しい生き物を飼うなんて大事な話をさ」
「……お前に話すとすぐに反対されると思ってな」
「当たり前だろ!! 聞いてたら反対するさ。親父は僕との約束を忘れたのかよ」
「まあ、落ち着け。宣人、お父さんは約束を破っていないぞ。ある意味ではな。詳しい話を聞く前にまずは離れの部屋に行ってみろ。そこに答えがある」
「こんな状況で親父お得意のなぞかけかよ。ああ、そっちがそういう出方をするなら僕にも考えがあるぞ」
どうせペットショップで生体購入したか保護犬のどちらかなんだろう。僕は新しい犬なんて絶対に家に迎え入れるつもりはないからな!! いまからでも購入先に返却してやるんだ。
「宣人、今日からお前が世話をしろ。それが部屋を使う条件だ」
「ふざけんなよ!! 誰が新しい犬の世話なんかするもんか」
親父の顔を
常夜灯のみがかすかに照らし出す部屋の中に慎重な動作で身体を滑り込ませる。室内にいるのがもしも子犬だとしたら慣れない環境で分離不安になっている場合も多い。先代の愛犬も家に初めて迎え入れた日はそうやってしばらく怯えていたな。
目が暗がりに慣れてきて室内の状況が次第につかめてくる。
「おいおい白いモフモフな犬を僕のベッドの上に
……子犬にしてはずいぶんと身体のシルエットがでかくないか。まさか白い大型の犬種とか? 落ち着け、布団が掛かっているから実際より大きくみえるのかもしれない。
「どうかいい子でじっとしていてくれよ。興奮して噛みつかれたらかなわないからさ」
ゆっくりとベッドの脇に立ち、布団ごと慎重に犬を抱きかかえようとしたその瞬間。
「わん!!」
突然起き上がった犬から身体に抱きつかれ、僕は予想外の力でベッドに思いっきり押し倒されたまま完全に馬乗り状態に組み伏せられてしまった。やっぱりこの人間並みの身体のサイズは大型犬か!? 暗がりにぼんやりと浮かび上がる白いモフモフの頭、その激しい動作のなかでピンと立った耳の中の淡いピンク色がかすかに見てとれる。暗がりに少しずつ慣れてきたこちらの視界に相手の身体のシルエットが飛び込んできた。
「おい!! やめろ。僕の顔を舐めるな。くすぐったいだろ」
人間の顔を出会いがしらに舌でペロペロと舐めるのはよくある犬の特性だ。だけど親愛の表現ではない場合が多い。極度の
「ちょっと待てよ。鳴き声がまるで女の子の
大型犬から噛みつかれると思い気が動転してしまったのか、最初の違和感を僕は見過ごしていた。そしてこちらの首にまわされたきゃしゃな腕はいったい!?
「うわあああっ!! い、犬じゃない。人間の女の子が僕のベッドにもぐりこんている!?」
手探りでベッドの枕元に接地されたセンサーライトに指先をかざす。LED照明が僕に馬乗り状態になっている相手の顔を完全に照らし出した。
「わん……?」
「き、君は誰なんだ!? なぜこの部屋のベッドで寝ているの!!」
大型犬だと勘違いしていたその正体は白いもふもふファーの犬耳付きパーカーを着込んだ女の子だった。
ちょうどいいタイミングでパーカーのフードが頭から脱げ、見上げた僕の視線の先に顔がはっきりと見えた。思わず息をのむような美少女が子犬のように軽く小首をかしげながらこちらを見下ろしていた。年のころは僕と同じくらいに思える。陶器のようなまっ白い顔。その頬にほんのりと赤みがさしていた。
さらに首をかしげた拍子に彼女の長い黒髪の先端が垂れさがってくる。しなやかな毛先がこちらの頬に触れた。とてもくすぐったい感触にとまどいを覚える。
「ご主人様。あなたにもっと甘えてもいいですか?」
むぎゅっ!!
「か、顔に無理やり身体を押しつけるなぁ!!」
相手のもふもふした白いパーカー越しに感じるその服の感触よりもさらに柔らかな身体をこちらの顔面に押し付けられて、頭に血が上るのを自分でも分かる。予期せぬ女の子との身体接触に僕は完全に無防備な状態になってしまった。
「だめだ、相手と不用意に
例の
遮断が完全に間に合わない。僕は記憶の濁流にのみ込まれぬように身体をこわばらせ身構えた。彼女の中の悲しみがこちらの脳内に勢いよく流れ込んでくる!! ……はずだった。
「なにも
ベッドの上で組み伏せられながらしばらく物言わぬ相手と見つめあった。重苦しい空気が部屋の中に漂う。
「……オリザ」
最初に沈黙を破ったのは彼女のほうだった。薄桜色の唇がゆっくりと三文字をかたどる。
「えっ、オリザって、もしかして君の名前?」
「そう私の名前。……あなたがご主人様なの」
「き、君はちゃんと話せるんだね」
あたりまえだが彼女は人間の言葉をしゃべった。それよりも僕が驚かされたのは……。
相手の心の中を
「……オリザ、行く
まっすぐにこちらを見据える黒目がちな大きな目。うるんだ瞳には涙をたたえていた。彼女は必死で感情を押し殺しているのかもしれない。
これまで関わってきた人助けの中でも最大級の訳あり案件なのは、親父の含みがありそうな先ほどの態度からも、ひしひしと感じとっていた。だが僕には一寸の迷いもなかった。
彼女の悲しげな瞳の奥をのぞき込みなから僕はゆっくりと口を開いた。
「わかったよ、君を追い出したりなんかしない」
「……わん」
彼女は鳴き声とともにかすかな笑みをその頬に浮かべた。あまり感情の読み取れなかった表情に浮かぶ初めての女の子らしいしぐさ。それを目の当たりにして僕は湧き上がるような優しい気持ちに全身をつつまれた。この想いは以前にも経験したことがある。そうか、ずっと可愛がっていた愛犬と無邪気にたわむれたときに覚える感情とよく似ているんだ。
目の前の彼女が最大級の訳あり案件でも構うもんか。僕は決心した。
「いっしょにこの部屋で暮らそう。君のお世話係は今日から僕なんだから」
「ここが今日からオリザのおうちになった。ご主人様といっしょでとても嬉しい」
突然、腕の中に心地よい重みが加わる。白いもふもふファーの犬耳付きパーカー、そのフードをすっぽりと頭にかぶった彼女が僕の胸の中に飛び込んできたんだ。この柔らかいもふもふな毛の感触は本物の子犬みたいに感じられるな。
言葉を交わさなくてもオリザの喜びようがこちらに伝わってくる。
――まるで捨てられた子犬みたいな目をした女の子と僕の風変わりな同棲生活がいま始まった。
☆☆☆作者からのお礼とお願い☆☆☆
第三話をお読み頂きありがとうございました。
「面白い!!」「続きが気になる!!」
等と思っていただけましたら、★評価と作品フォローを何卒宜しくお願い致します!!m(__)m
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