Altar.02 壊れかけの神笛

「まあ、これはこれは。おっしゃる通り汚いですこと!」


 散らばる服、学校から持ち帰った教材にくしゃくしゃのプリント、菓子類のゴミ――。キルステンの部屋に上げられたヘルは開口一番、先ほどの嫌味をお返しするように清々しく罵倒を放った。


「ひとの家来てそれ一番言っちゃダメだからね? 王といえども、ね?」

「あら、ごめんなさい。ヒトの文化には疎いもので」


 口角が上がって震えた。冥界に帰れ、とキルステンは強く思った。


「それで。先ほどから隅っこでうずくまって震えていらっしゃるのは」


 手を口にあてがいひとしきり優雅に笑ったあと、ヘルはすんと澄まし、部屋の隅をびしっと指さしながら言った。

 キルステンはそう言われるまで知らなかった。まさかこんな、ホコリまみれの部屋の隅に――


「あ、……か、神を指さすのはやめてほしいな……」


 こんなにも自信がなさそうで、覇気のない神様がいたことを。

 その男神はじっと体育座りをしていた。白銀の頭髪に、白を基調とした軍服にも似た洋装。黄金のマントが煌めいているが、俯き気味な陰鬱とした彼にはあまり似つかわない。色合いもあってか、雪のようにはらりと儚い印象を受けた。


「……あんた、ずっとここに⁉︎」

「そっ、そうだよ……なかなか気付かないから、どうしようかと」

「じゃあ着替えとか全部見てたわけ⁉︎」

「そ、れは……ゴメン」


 キルステンが慌てたように声を荒げると、男神はびくっと肩を震わせたあと、深々と申し訳なさそうに俯いてしまった。両膝に顔をうずめている。彼の神格たる雰囲気は十分に感じられたが、あまりに信憑性がない。


「ええ、やはり。この男が証明となりますわ、キルステン」

「ヘルちょっと喋んないで。通報してるから」

「話を最後までお聞きなさいまし!」


 躍起になったキルステンが伝書鳩に「不審者情報」と記した紙を咥えさせようとすると、ヘルがぐいと腕を引っ張った。


「ずいぶんあなたの知る神話で描かれた姿とは違うと思いますけれど、彼はヘイムダル。光の神、虹の橋の番人そのものです」

「え、そうなんだ……いや、あたし、ヘルに出会った時点で神話生物にそこまで驚かないけども、その……」


 キルステンは冷ややかで死んだ魚のような目を、じろっとうずくまるヘイムダルに向ける。また彼の肩がわずかに震えた。


「……覗き趣味があるとは思わなんだ」

「な、ないッ! 決してないとも、なるべく目はそらし――ごめんなさい……」


 キルステンに無言で凄まれ、肩身が狭そうなヘイムダルをヘルはほんの少し哀れんだ。それからくすくすと笑った。


「そ、それでね、あの……僕がその角笛――ギャラルホルンの所有者だったってことは、知ってる?」

「え?」


 キルステンは棚の角笛に目を向けた。

 ギャラルホルン――ヘイムダルが所有する、終末を告げる角笛。父の土産物と伝えられていた、ひび割れたこれがギャラルホルン?

 兎にも角にもキルステンは彼の言葉を呑み込むしかなかった。到底常人には理解できないような難解な小説を、読んだまま理解するように。


「ああ、取り返しにきた感じ?」

「ううん、そうじゃないんだ。もう僕にはソレを所有する資格がない。歴史から逸れてしまったからね……」


 歴史から逸れる。

 ヘルが帰り道に話していた、神話の誤った終結による影響のことだろう。この世界に於ける神話とは歴史に等しい。


「だから、キルステン――きみに託した」


 ヘイムダルはようやく顔を上げ、裾のホコリを払って立ち上がり、強い声色で言い放った。

 キルステンは強い向かい風が吹いたように圧倒された。ようやく彼が伝説をのこした神格であることを、身体と神経すべてで理解した。


「……ふ。あたしがあんたに選ばれと」

「きみは……ああ、これは後々わかることだよ。とにかく、今は時間がない。僕たちはきみしか頼れるひとがいないんだ」


 キルステンは話の呑み込みこそ早かったものの、そうそう理解できたものではない。引きつったように笑う彼女に、ヘイムダルは深刻そうな顔をした。

 ――彼女のような、あくまでふつうの人間に、このような使命は課したくなかった。


「カミサマふたりにそこまで言われちゃあ、人間風情は従いますとも」


 キルステンはあくまでも、面倒な長期休みの課題を出されたような、長くにわたるボランティア活動を任されたようなスタンスでいた。深く考えてしまっては体は動かないだろう。

 ……そういうものだ。人間というものは。

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終戯の心臓 式咲チエ @actloid

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