第14話 筋肉は裏切らない
私は目を開けた。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
大会の次の日の朝、私はまだ生きていた。
前の人生では私はすでに死んでいた。今回はどうやら死なずにすんだらしい。体を鍛えたせいだろうか。きっと、そうだと思う。
昨日の夜、貴志は帰ってこなかった。桃香のところにでも行っているに違いない。
あそこまで私に言われて、おめおめと帰ってくることが出来る男だとも思わない。
生きているということは、また離婚に向けて動かないといけないとか面倒なことがたくさんあるな、とも思った。
でも、死ぬかも知れないからといって諦めないで探偵にも浮気調査を依頼していてよかった。
さすがにわかっているのに、そのままにしておくのも悔しいと行動を起こしたのが当たりだった。
「だけど、あの男、私の保険金とかも当てにしてたんだっけ」
本当に酷い男だと笑えてくる。
だけど、今度の貴志は慰謝料を払う方だ。
顔も見たくないけど、そこは逃がさない。
「あー」
私は伸びをする。
体がほぐれて気持ちがいい。
「よし! 今日も頑張ろう」
私はベッドから立ち上がる。
この家からも引っ越してしまおう。
貴志の気配がする部屋なんかに住んでいたくない。
生きているなら、これからまた何でも出来る。
◇ ◇ ◇
「小澤さん、おはよう!」
スポーツクラブに出勤すると、岸本コーチがいつものように元気に挨拶しながら近付いてきた。
いつの間にか、岸本コーチの私に対する話し方は少しくだけたものになっている。仲間だと思われているみたいで嬉しい。
「岸本コーチ、おはようございます」
「さっき、オーナーが小澤さんのこと探してたよ」
「え、私なにかやらかしました?」
「ううん、全然違うよ。昨日の大会のこと話したらね……」
岸本コーチが笑って話すその続きを聞いて、私は驚いた。
「私がトレーナーとして正社員に!?」
「別に全然おかしくないことだと思うな、私は」
「そうでしょうか」
「うん。本当に小澤さんは頑張ってるから。私も、もっともっと頑張ろうって思えてくるよ。そんな人が一緒に働いてくれたら、いいなって思う」
岸本コーチが微笑む。そして続けた。
「最初は、私のファンなんだなって嬉しくなって。今は、一緒に頑張れる仲間が出来てすごく、すごく嬉しい。私ね、小澤さんに出会えてよかった」
そんなの私も同じに決まっている。
「岸本コーチ……。私も、です。岸本コーチをあの日、テレビで見なかったら、私、どうなってたか。岸本コーチは私を救ってくれた人です」
「え? え!?」
岸本コーチは混乱しているみたいだけど、本当のことだ。一年前と同じままだったら、私はもう一度死んでいた。命を救ってくれた人。だけど、そんなこと言っても更に混乱させてしまうだけだ。
「すみません。わけわからなくて。でも、本当なんです。私も、岸本コーチに出会えてよかった。それと……」
「もちろん、筋トレに出会えてよかった、ですよね!」
「……はい!」
私たちは顔を見合わせて笑う。
言いたいことを先に言われてしまった。
前の人生なら考えられなかった出会いだ。
そして、そのおかげで私は今、こうして生きている。
正直、慰謝料はあってもバイトのままで離婚してその先がどうなるのか不安でもあった。それもなんとかなってしまった。
それもこれも、この一言に尽きる。
「やっぱり、筋肉は裏切りませんね!」
私が言うと、岸本コーチは拳を軽く握って私に向けてきた。
私も同じようにすると、
「もちろん!」
岸本コーチが私と拳をこつんと合わせて、輝くような笑顔で答えてくれた。
夫には裏切られても、筋肉は絶対に私を裏切らない 青樹空良 @aoki-akira
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます