第四十二話 母親という生き物

 閉じ込められたのかと思える程長い時間駆動していたエレベーターを降り、「4007」と書かれた部屋のインターホンを押す。扉の向こうから声がし、キャミソールのパジャマを着たフランが六を出迎えた。職場とは違い髪は結んでいない。


「もっとまともな布面積の服、無かったんですか」


 六は目を細めてそう言い、視線を肌色の多いフランから逸らした。


「えー……良くない、このえっちなパジャマ? 人妻がオトコノコを部屋に誘うシチュエーションっぽくて」

「そういうの職場にバレたらセクハラ認定されて懲戒免職ものですよ。帰って良いですか?」

「いやあごめんごめん、日本の我が家への来客なんて初めてだからさあ、ちょっと張り切っちゃった」


 フランはそう言って六をリビングへと通した。

 壁の殆どを窓に支配され、東京の街並みが一望できる部屋。居住区の一角である自分の部屋との違いに、六は思わず立ち尽くした。かえって安心感があるのは、部屋の広さと絶景が霞んでしまうほど物が散らかっている事である。


「六君ももう少し偉くなれば、ここみたいなトコに住めるよ。今の時点で同年代の子の何倍もお給料もらってるんだから」


 ローブを羽織ったフランが二人分の茶を運んできて言った。


「四桁の部屋番号なんて初めて見ましたよ。というか、ここ本当にプライバシーとかあるんです? 盗聴される可能性が一番少ないっていうからわざわざ来たのに……」

「ああ、今日みたいに天気がいい日以外はカーテン下りるから大丈夫。何てったって地上百三十メートルだよ? まさに天空の城だ」


 フランが小さなリモコンのボタンを押すとベージュ色の電動式カーテンが駆動し、目下に広がる青と白のジオラマを隠した。二人はソファに隣同士座り、病室でフランに言われた通り、六は冥界での経験をできるだけ仔細に話した。


 話が終わったとき、フランは片手で口を覆って固まり、絶句した。


「その……神様みたいなヤツや君のお母さんが向こうに居たってのは、全部本当なんだよね?」

「はい。ヨダキウムの話では別に『神』という存在が居るらしいので、奴らは神ではないんですが……箱も契約も、支配律のことも確かに聞きました。何一つ忘れる筈ありません」

「驚いた。我々人類は冥界の事を一パーセントも知らなかったんだな…………それに、希海ちゃんの事も」


 フランは急いで白紙を用意し、テーブルに散乱したDVDやぬいぐるみ、ゲームのコントローラーなどを無造作に床に落とし、それから得た情報を箇条書きで書き連ねた。


「局長も、うちの組織が怪しいと思いませんか」

「そうだね、まさにそうだ。まずヨダキウムの奴『ら』って言い方……冥界に到達したのは一人じゃないってことでしょ? 世間に知られてなかったぐらい、彼らは極稀な存在だ。それが複数人……政府の力無しで集めるなんて、不可能だと考えるべきだ」


 フランはテレビをつけ、チャンネルをニュースに切り替えた。丁度猟犬襲撃についての記者会見が行われており、理事の男達がカメラのフラッシュに襲われながら説明を述べていた。


「このおっさんの言葉……いや、彼の手元にある説明文では、あの夜私達が知った真実が何倍にも希釈されて、溶けて無くなっている。六君もわかっただろう? うちは善良な人々が信用できる組織じゃない。世界は私達の手で守らなくちゃいけないんだ」

「世界中が敵になろうが何だろうが、俺は希海が無事ならそれだけで良いです。局長、その使命感はどこから来てるんですか?」

「どこからって、私は特務順位一位で冥対機動局局長だからね。卓越した力を持つ者にとって、人類を守るのは当然の義務であり権利だ。それ以外に理由なんて要るかい?」

「違います。俺が知りたいのは、その為に政府や冥対を相手にしてまで行動する理由です。本当に政府が情報を隠蔽しているとしたら、下手な事すると俺達まで局長の敵になるかも知れないんですよ。俺を拾ってくれた時もそうだ。人殺しのガキを無理矢理司法から取り上げてすぐ組織の一員に、なんて他に例が無かった。あなたは何か狂気じみた使命感に支配されている気がする。大人しく組織に報告して、全部任せたら駄目なんですか? まず国際理事会ICかどこかに確認するのも……」


 六がそう言い終わる前に、フランの右手が光に包まれた。それは仄暗い部屋で最も眩しい光源になった。


「任務外での能力使用は禁止でしょう。組織へのささやかな抵抗ってことですか?」

「抵抗か……この光を見たいから出してみただけなんだけど、面白いこと言うね六君」


 フランは光を眺めながら笑ってこう言った。


「六君は私が研究所で育ったことは知ってるでしょ? 実は私さ、小さい頃の記憶が無いんだよね。一番古い記憶は何人もの人達が押しかけてきて、目の前で研究員だったママが頭を銃で撃たれて死ぬとこ。なんで殺されたのか、誰に殺されたのかは知らない。ただあの場で、『その力で、セラフィム・システムで人類を守るのがあなたの使命』って言葉を残して死んでいったのだけははっきりと覚えてる。何もかも忘れたのはその時のショックが原因らしいけど」


 六はその景色を想像し、泣きじゃくる少女を自分と重ね合わせずにはいられなかった。どうも母親というのは子供に何かを遺さなければ死にきれない生き物らしい。それが言葉でも、呪いだとしても。


「ママは世界一優しい人だったけど、それ以外何も思い出せない。だからママの意思を継いで使命を全うすれば、ママや自分自身について何か思い出せるんじゃないかって思ってるの」

「『イザヤ』……でしたっけ? その研究機関の名前。公的な組織なら、情報なんていくらでも手に入るんじゃ?」

「里親の話だと、イザヤはある日突然姿を闇に消した。原理の一切不明な人類兵器だけを私の体に遺して、ね。だからセラフィム・システムには再現性が無いんだ。私だけにママがくれた、綺麗に光る一番の贈り物。こんな素敵な物もらっといて、使わないなんて勿体ないでしょ?」


 そう言って無邪気に笑うフランの視線の先が、宙に儚く消えていく光の粒であるのを六は見逃さなかった。


「とにかく、今の最優先はヴェロニカ・ロウエの身柄。彼女が生きていて逆にラッキーだったかも知れない。帰冥できる彼女は確実に何か重要な事を知っている。殺すんじゃなくて、生きたまま手に入れないと。何とかして冥対に知られずに私達でできないものか……」

「私達って、局長の独断に俺も加担させられるんですか?」


 フランは六の目を真っすぐ見つめて言った。


「六君、君はどうしたい? 無理について来いとは言わないし、私がまずくなった時には勿論君の名前は出さないよ」

「もし……俺が局長のやってる事を喋ったらどうするんです?」

「殺す」


 目だけは笑っていなかった。

 ──ああ、この人は既に歯車が狂ってしまっているんだ。おかしくなったまま嚙み合ってしまっているから、ここまで生きてこれたんだ。六は本能でそう理解した。


「断っても、どうせ局長命令とか適当な理由つけて地獄まで付き合わされるんでしょ……分かってますよ。本当に、あなたが味方で良かった」

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冥界より、美しきパンドラ達へ @Minowa_Han

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