秋月さんの小さな覚悟 3

 人を振るという行為を初体験した前日。

 罪悪感というものが時間経過とともに肥大化していく。目を逸らし、触れられないように心の奥底に追いやっても隙間からしゅるしゅると抜けてきて、脳みそを攻撃する。

 その攻撃は重たい。攻撃を喰らうたびに、私がなにを偉そうに……とネガティブになってしまう。生理の時に精神が不安定になったような感じだ。鬱の方が近いのかな。後者に関しては私にはイマイチわからないのだけれど。

 なにはともあれ、私は輿石を振った。好きだと言ってくれる人の想いを踏みにじった。

 私は「気になる人がいるから」という理由で人を振ったのだ。

 であるのなら、その気になる人である豊瀬先輩に想いを伝えるべきであるだろう。

 豊瀬先輩に想いを伝える。輿石に対する一番の誠意であると思う。



 『今日生徒会前に時間ください。ショートホームルームが終わったら三階の屋上入口前に来てください。来てくれないのなら今日は生徒会に顔出さないので。待っています』



 と昼休みに連絡を入れておいた。

 今日伝える。伝えなきゃいけない。私の性格を鑑みるに今日伝えないとあれやこれやと言い訳を並べて逃げてしまう。私は弱い人間だから。

 豊瀬先輩から返信が来たがメッセージは確認しない。スマホの電源を切ってしまう。

 これで良いのだ。怖いから。伝える前から拒否されるのが怖いから。開かなければ拒否されていても拒否されたことにはならない。これはそう、弱い私の弱い逃げ方である。



 放課後。

 ショートホームルームが終わった瞬間に教室を飛び出す。


 「おーい。秋月。荷物―」

 「いらなーい。あ、生徒会室にしばらく来なかったら持ってきて」

 「おい、どこにだよ」

 「うーん、学校のどっか。かな」


 輿石の引き留めを背に私は走った。廊下をただひたすらに走った。私よりも先に豊瀬先輩がいる。そんな展開にならないように……ただ全力で走った。

 目的地に到着する。

 屋上へと続く階段の踊り場で私は待機する。息が切れる。ふぅはぁと肩で息をする。


 「あ……先にいたのね。お待たせ」


 膝に手をついて息を整えていると、豊瀬先輩が目の前に現れた。思ったよりも早い到着だった。今何時何分なのか。スマホで時間を確認しようとするも手元にないことに気付く。


 「今来たところなので」


 アハハ、と私は誤魔化す。

 心臓がバクバクと鳴る。恋に気付いたからか、それとも走って疲れたからか。判断がつかない。


 「それでどうしたのかな。わざわざこんなところに呼び出したりして」

 「そうですね。話があるんです」


 言って良いのかなと迷う。躊躇してしまう。あと一歩踏み出すだけなのに、その一歩がとても重い。足枷でもつけられているような感覚だ。踏み出そうとしても鎖がしゃりんと鳴り響くだけでビクともしない。

 私自身こんなにも臆病だったのかと驚く。


 「生徒総会に関連する話ですね」


 直線距離なら本当にすぐなのに、私は遠回りをしてしまう。遠回りというか、目的の場所の周囲をぐるぐると練り歩く。逃げないだけマシか。


 「生徒総会に関する話なのね……」


 少し考え込むように豊瀬先輩はゆっくりと目を瞑る。

 そしてなにか思い出したかのようにハッと目を開けた。


 「もしかして怒っているのかしら」


 不安そうに確認する。


 「怒っているってなにをですか。私がわざわざ呼び出してまで怒るようななにかありましたったけ」


 的外れな答えに苦笑する。

 凝り固まっていた心はほぐれる。ただ想いを伝えるだけなのに緊張しているのも馬鹿みたいだなあと思う。


 「恋愛禁止の校則ですよ」


 さっさと答えを明示した。さらに私は言葉を紡ぐ。豊瀬先輩に喋らせる隙すら与えない。


 「校則違反じゃなくなったので言おうかなと思いまして――」


 畳みかけるつもりだった。だけれど、豊瀬先輩は踊り場までやってきて、私の唇に人差し指を軽く当てた。乗せた……の方が表現としては適切かもしれない。


 「待って」

 「ふぁい」


 唇に指を当てられているせいでまともに喋れない。首肯したのだけれど伝わっているのだろうか。不安になる。


 「ふふ、ありがとう」


 私の不安や心配は杞憂であった。

 豊瀬先輩はゆっくりと私の唇から指を離す。


 「もしかしたら私の思い上がりかもしれない。もし私の思い上がりだったとしても、きっと……これは何かの縁であって、良い機会だと思うの。恥ずかしいけれどね。それにもしも思い上がりじゃなかったときに私は一生後悔することになるはずだから。後悔するよりは恥をかいた方が良いわ」


 会話の主導権を気付けば手放してしまう。完全に豊瀬先輩へと渡ってしまった。

 無視して私が喋り続けるべきだったと後悔する。そんな念を抱いている間にも豊瀬先輩は言葉を続ける。


 「気付いたのよ。秋月さんが輿石さんの彼女になったって聞いた時に。ああ、私は秋月さんの彼女にこんなにもなりたかったのね、って。重たいと思うかもしれないけれど、校則を変えたのも秋月さんの彼女になるためよ。私情で生徒会長の権限を乱用したことになるわね。ふふ、でも後悔はないわ。そのお陰でこうやって私の心中を明かす機会ができたのだもの。幸甚なことだと思うわ」


 豊瀬先輩は私の手を両手で掴む。包み込むように掴む。


 「だから、秋月さん。私の彼女になってくれませんか」


 豊瀬先輩から飛び出した言葉は私が口にしようとしていた言葉だった。覚悟を決めて、緊張して、不安になって、心配になって、それでも耐えて言ってやろうとしていた言葉だった。

 力が抜けてしまう。表情が弛緩してしまう。


 「豊瀬先輩ずるいですね」


 私の覚悟は無駄になってしまった。想いを伝えようと思ったのに。

 いいや、私の覚悟があったから、こうやって想いを告げられたのか。私の覚悟がなければモヤモヤしたまま生活を送っていたのだろう。

 そう考えると、案外覚悟は無駄になっていないのかもしれない。


 「私の彼女になってください。そして私を豊瀬先輩の彼女にしてください」


 この瞬間に私は正式に豊瀬先輩の彼女になった。そうして、豊瀬先輩は私の彼女になったのだった。





 私の彼女はやんちゃさんだった。

 今、私は踊り場で押し倒されている。

 手を握られ、股の間には膝があって、鼻の頭と頭が擦れている。

 だけれど、私は冷静だった。一度こうやって押し倒されていたから驚いても、それ以上の感情は湧き出てこない。


 「なにしてるんですか」

 「えへへ、押し倒しちゃった」

 「見られますよ。誰かに」

 「大丈夫、大丈夫。ここは誰も来ないから」

 「たしかにこのフロアに用がある人なんてあんまりいないですよね」

 「そう。だから大丈夫なのよ」

 「でも先輩。この世の中には絶対なんてないんですよ」

 「ふふ、それは脅しね。わかるわよ。恥ずかしいのよね。可愛いところあるじゃない」

 「彼女にそんなこと言われるのは照れますね」

 「良い響きだわ。彼女……幾度となく想像したことか……」

 「うわ……というか、本当にこの体勢のままなんですか」

 「意図的にしたのに戻すわけないでしょう」

 「さっきもいましたけれど、豊瀬先輩が後輩を襲っているところ見られますよ」

 「常識的に考えればわかることじゃない。放課後に、特別教室しかない別棟。三階。この棟を繋ぐ渡り廊下からは一番遠い場所。そして誰も使うことのない屋上へと続く階段の踊り場。偶然、このタイミングで誰が来るのかしら。そんな都合の悪いこと起こるはずがないのよ」


 豊瀬先輩は勝ち誇ったような表情をしている。身の危険を感じる。まあ、純潔を汚されることぐらいはとっくに覚悟しているので良いのだけれど。でも、学校でってのはちょっとどうかなあと思う。生憎私は背徳感で興奮するような特殊性癖は持っていない。

 せっかくなら最初はしっかりとした場所で、ちゃんとした雰囲気を作りつつ、周囲の環境を気にすることなく、気の赴くままに体験してみたいものだ。


 「豊瀬先輩。彼女として良いこと教えてあげますね」

 「ふーん。なーに」

 「常識は絶対じゃないんですよ。例えばほら……」


 私はクイっと顎を動かす。

 豊瀬先輩は頬を緩ませながら振り向く。

 彼女の後ろには私の荷物を持った輿石とスマホを構えている笹森先輩が立っていた。


 「先輩。アタシの友達になにしてるんすか。これは看過できないっすね」

 「あーあーあー。こししちゃん。こーれはもう捕まえるしかないよね」

 「おす。そうっすね。可愛い後輩に不埒な行為を働く先輩を捕まえるしかないっすね」

 「おお、こししちゃん。良い勢いじゃん。うおー、行くぞお」


 輿石と笹森先輩は私たちの方へと駆け寄ってくる。


 「ちょっ、え、なんで二人がいるのよ……まっ、待って」


 私のことを押し倒していた豊瀬先輩を確保して、私から引き剥がす。

 そして四人でクスクスと笑う。




 入学式前の私へ。

 友達千人はできなかったけれど、自由奔放な先輩と、厳つい見た目の優しい親友と、真面目の皮を被った変態な彼女に囲まれながら楽しい高校生活を送れています。

 幸福を噛みしめる私より。



――――――――――――――――――【完】―――――――――――――――――

本文は以上となり、以下はあとがきとなります。


ここまでお付き合いして頂いた皆様。まずは感謝申し上げます。誠にありがとうございました。そして初めまして「白河夜船」と申します。「しらかわよふね」ではないです。「しろかわやせん」です。カクヨムさんには小説家になろうさんのようなあとがきシステムはないのでこのタイミングでの挨拶になってしまいました。終わりでの挨拶お許しください。

また皆様にはいいね、フォロー、レビューと目に見える形で支えて頂き感謝いたします。

自己満執筆なので、皆様にどれだけ刺さる作品になったかはわかりませんが、私個人としては大満足です。一人でも面白いと思ってくださっ方が居れば嬉しいなと思う次第です。

さて、ここからはちょっとした宣伝になってしまいます。遅くても二月の頭には新作を投稿する予定です。もちろん百合です。次回作はガールミーツガールを強めた作品になっています。この作品を「面白い」と思っていただけた方であれば楽しんでいただけるものに仕上がりそうです。「そこまで言うなら読んでやっても良いよ」という方がいらっしゃいましたら、ユーザーフォローをしてお待ちいただければと思います。SNSをやっていないのでご不便おかけしますがご了承ください。


最後に改めまして。

ここまで読んで頂いた読者の皆様、誠にありがとうございました。

また次回作でもお付き合いいただければと思います。

某SNSで「ハンドルネームを既存の物や言葉にするのやめろ」というバズ投稿が心にずさずさ刺さってしまった白河夜船より。

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秋月さんは知らずして両手に百合の花を持つ こーぼーさつき @SirokawaYasen

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