秋月さんの小さな覚悟 2
生徒総会が終わり、放課後を迎える。
豊瀬先輩は青春を取り戻そうと言っていたが、引っかかる。ああやって生徒会長が生徒たちを引っ張って、校則やら教師やらという敵に立ち向かう。十分青春しているなあと思う。渦中にいた人間はすぐには気付かないのだろうけれど。
それはそれとして、校則が変わった。恋愛禁止ではなくなった。
私と輿石が恋人のふりをする理由もなくなったということだ。
輿石も気付いているようだった。
私の肩をちょんちょんと指先で突っついて「あとで時間くれ」と言ってきたのがなによりの証拠だ。
今後どうするのかを擦り合わせるのだろう。
付き合っているという設定を作ってしまった以上、そのまま放置する訳にはいかない。
放置してしまえば、その設定は一人で歩き始め、私たちの知らないところで肥大化し、手に付けられないことになってしまう。
だから、後処理はしっかりとするべきなのだ。
学校を出てから特に目的もなく歩き始める。
「どっか喫茶店とか入っちゃう」
と私が確認しても、輿石は首を横に振るだけ。拒否される。いいや、本人はそんなつもりないのだろうけれど。でも結果的に拒否されている。
一度拒否されると二度、三度と誘いにくい。しつこいヤツだなあ、とか思われるのは嫌だし。そこまでして行きたいとも思わないし。
黄昏時。金色に空は染まり、鮮やかなその色は徐々に勢いを落としていく。ゆったりと、でも着実に金色はグレーへと移り変わり、やがて薄暗さが明確になって、風前の灯火のように弱々しくなる。
意味もなく歩いているこの間にも空はどんどんと表情を変えていく。
最終的には星々が顔を出すのだ。
気付けば学校の最寄り駅を過ぎていた。ロータリーを突っ切って、歩いている。歩いているその方向は輿石の自宅付近なのだが、家に連れて行かれているような感じもしない。じゃあ他にどこへ連れて行かれているのかって言われるとわからないのでやっぱり輿石の自宅に向かっているのかも。
結局私はどこへ向かっているのか。歩きながら思案していると、輿石はふと足を止めた。私は数歩通り過ぎてしまって、時間を巻き戻すかのように数歩戻る。
私たちは街灯に照らされる。
名前も知らぬ無数の虫たちが、街灯の明かりに寄って集る。
その下で私と輿石は向き合っていた。
まるでスポットライトの明かりに照らされるかのように、街灯の明かりは輿石の顔と身体とそして心を照らす。
住宅街の細い道。車も人も通らない。静寂が私たちを包み込む。
お互いに口を開かなければ、この静寂はどんどんと膨らんでいく。
そう理解した上で、私は口を開かない。
いいや、違う。もう開くことができなくなっていた。
だから私は輿石の瞳を……瞳の奥を見つめる。この状況を作ったのは輿石だ。
輿石が私の袖口を摘んで、立ち止まったのが事の始まり。
すなわち、会話の火蓋を切るべきは私ではなくて輿石である。
息をすることすら憚られる。もちろんしないと死んじゃうのでするのだけれど、そのくらい緊迫した空気が漂う。
一分ほど目を合わせて、押し負けたように輿石は私から目を逸らす。俯いて、天を仰ぎ、ふうと深々としたため息を漏らす。そして、また俯いて、もう一度ため息を吐く。
「偽りの恋人の関係はこれでおしまい」
捻りだしたような声。なにに怯えているのか、震えている。
「そうだね」
私はその震え声を見て見ぬふりをしてそう答える。
「あの人があそこまで大胆に舵を切るとは思わなかったわ。いやー、この世の中なにがあるかなんてわかったもんじゃないな」
ケラケラ笑う。声は笑っているのに、楽しそうに思えない。まるで義務的に笑っているような。笑わなきゃという使命感のもと笑っているような。
「小説とかだったらご都合主義とか言われちゃうんだろうな。ああいうのって」
街灯をぼーっと見つめている。
「事実は小説よりも奇なりとは良く言ったもんだ」
うんうんと頷く。
自分自身で考えると都合良くこの世界はできているとは思えないけれど、客観的にみると都合良いなと思ったりする。
都合の良さとは自分では気付かないものなのだろう。だからこそ、第三者の都合の良さを妬んだりするし、創作の物語にそういうのを求めたりする。自分が持っていないものであると考えているから。持っていることに気付かないから。
「アタシにもそのご都合主義が少しでも回ってくれば良いなって思うんだ」
「ん?」
輿石の言葉に私は疑問を抱く。もう十分ご都合主義の恩恵を受けているのではないだろうか。
豊瀬先輩のあの行動は明らかに輿石にとって利のあるものだった。校則を変えたい。そう思う輿石にとって重要な一歩目だったとさえ思う。
やっぱり自分では気付かないものなんだなあ。
こういうのは後々になって、あの時は出来すぎだったなと気付くのだ。後になって気付いたって遅いのだけれど。
「アタシのワガママを聞いて欲しい」
切に願う。藁にすがるように。奈落の底で一本の蜘蛛の糸を掴むように。
「ワガママ?」
「ああ……」
最後にデートをしたいとかだろうか。お金をくれとか言われたら困っちゃうけれど。そうじゃないのならできる限りそのワガママとやらに力を貸してあげたいと思う。
別に偽の恋人としてとかじゃない。一人の友達として。そこまでやってあげようと心底思えるのだ。
「私にできることなら」
私はそう答える。
「じゃあ……」
覚悟を決めたような眼差し。私の心の奥深くを見つめているような感覚。なぜか背筋がぞわっとする。
「アタシと付き合ってくれ」
唇を噛みしめる。
私は輿石の言葉を一度胸に落とし込む。落とし込んでから、理解しようと努める。
「付き合ってくれ……?」
言葉の真意が掴めない。考えることを諦めた。
恋人になってくれということだろうか。今の関係に落ち着いた時も同じような言い方だったな。
となれば、今回もなにかしら考えがあるのだろう。
「どういうことよ」
考えても答えは出てこないので、問う。少し考えて答えを出せるのなら苦労しない。
「アタシと付き合ってくれ。そのままだよ」
「付き合うってのは恋人的な意味でってことかな。あー、それともなにかを手伝って欲しい的な感じかな」
「前者。恋人として」
頬をピンク色に染める。輿石が冗談を言っているわけではないというのが表情から伺えた。
冗談だったらどれほど良かっただろうか。
深々としたため息を吐きたくなる。もちろんグッと堪えるのだけれど。
「私、女子だけれど」
「うん。知ってっけど」
「輿石にそういう趣味があるようには思えないけれど……」
同性を恋愛対象として見るのがおかしいと言っているわけではない。
輿石は異性を好きになるノーマルな人間である、と。私は思っている。
だから抱いて、出てきた質問であった。
「そうだなあ。今もアタシは女を好きになったと大きい声では言えねえな」
悩むような仕草を見せた輿石はそんなことを口にする。
やはり私の見立ては間違っていなかった。間違っていなかったからこそ、なぜ私に告白のようなものをしてきたのか。疑問は一層大きくなる。
「じゃあ……なんで」
この言葉に私の感情は集約される。なんで。その一言以外適切な言葉は見つからない。もうちょっと語彙力が欲しい。
「アタシが好きなのは女じゃねぇ。秋月が好きなんだ」
ストレートに言われる。
面と向かって好きと言われた経験はない。多分。しっかりと思い出せばあるのかもしれないけれど、あってもそれは輿石の心の中にある想いとは違う意味の好きだと思う。
ドキマギしてしまう。
「だから付き合ってくれ。頼む。アタシこんなに人を好きになったのは初めてなんだ」
ドキドキしている。これを世の人は恋と言うのかもしれない。
恋であるのなら付き合えば良いのだろう。
けれど、決断できない。付き合うという選択ができない。
同性と付き合う。同性に恋をする。彼女ができる。
そう考えると頭の片隅に豊瀬先輩の顔が朧気ながら浮かんでくるのだ。
ギリギリ手は出されていないが、それでも押し倒されたのは事実。
あの時の恍惚としていて、蕩けそうな表情が忘れられない。
きっと私にとってあの環境はあまりにも刺激が強かったのだろう。どうしても忘れられない。ずっと脳裏に過ってしまうのだ。
輿石のことは嫌いじゃない。むしろ好きに近しい感情を抱いている。
でも付き合えない。
この状況で付き合うのはあまりにも不誠実である。少なくとも私はそう思う。
周囲に相談したら「気にせずに付き合えば良いじゃん」と言われるかもしれない。
そうして周囲に流されて付き合い始めたら罪悪感を抱くだろう。でも、そう助言してくれた人は後悔しなければ、私の代わりに罪悪感を抱いてくれるわけでもない。
全部言い訳がましい。今から私のすることを正当化しようしているだけ。私はなんにも悪くないと己に言い聞かせているだけ。
「ごめん……私、気になる人がいるから。輿石の想いには答えられない」
人を振る。人の好意を踏みにじる。突き放す。そういう行為は初めてだった。
小説や漫画、ドラマなんかではこういうシーン幾度となく見てきた。人を振ることで高揚感を得ているようなシーンもあったりした。
現実はそんなことない。誰も幸せにならない。
振られる方はもちろん辛いだろうけれど、振る方も辛い。
相手の心に鋭利な刃物を突き付けているような感覚に陥るのだ。
「アタシのワガママ聞いてくれんじゃないのかよ……ねえ。嘘だったのかよ。聞いてくれよ、アタシのワガママをさ」
輿石は拳を作り、小刻みに震える。瞳は潤む。
私の両肩にその拳を置く。そして体重を私の方へ寄せる。輿石の髪の毛が私の口と鼻を覆う。それでも輿石は気にしない。私の胸に顔を埋める。
「……んで。なんでだよ」
声も身体と同じく震えている。
背中に手を回して抱きしめるべきかと考える。腕を動かすが途中でその手は止まった。
「アタシじゃあダメってことか」
私の制服を掴む。じんわりと私の制服は湿る。
「ダメ、だね」
「なんでだよ」
「私にも気になる人がいるから」
「アタシは秋月の気になる人になれなかったんだな」
「そうだね。そうなるね」
「なんでアタシは秋月の気になる人になれなかったんだ。同性だから恋愛対象じゃねぇーってことか」
「そういうわけじゃない……」
「じゃあなんでアタシはそこに立てなかったんだ。なんで」
「なんでって……言われても……」
困ってしまう。
理由と呼べる理由なんてない。恋なんてそんなものだと思う。
「タイミングかな」
「タイミング……」
輿石はゆっくりと顔をあげる。目元には水滴をためて、目を真っ赤にしている。
「本当に、本当にそれだけなのか」
儚さが漂う声色。針で刺したら萎んでしまいそうなほどに。
しっかりと理由を探せばきっと他にもあるのだろう。けれど、どれも言語化するのは難しくて、できても私の価値観や思考が百パーセント伝わるとは言い切れなくて。
だから嘘を吐く。これは優しい嘘だと……私は思う。
「そうだね」
「そっか。タイミングかあ……」
涙が頬を伝い、目を充血させ、ずずずと鼻をすする。そんな子が見せる笑顔は私の心を抉る。あまりにも痛々しくて、目を覆いたくなるほどだった。
けれど、私に逃げる資格はない。逃げることは許されない。
「それじゃあ、また今度告白したら付き合えっのか」
「多分付き合えないかな」
「タイミングなんじゃねえのかよ」
「そのタイミングは多分来ないから」
見えない未来を無理矢理覗こうとすることはあまり良いことではない。そういうことならば、きっぱりと断ってしまった方が良い。私の中にある誠実さとはそういうものだから。
「ほんっと、残酷だね。この世界は」
私はなにも言えなかった。
ただ輿石のことを見つめるだけ。それしかできない。なにを言っても同情紛いの言葉になってしまうし、お前が言うな状態になる。
「秋月。アタシたちの関係はもうおしまいってことだよな」
「おしまいって、そんな」
「アタシの心の内バレちゃったわけで友達なんて今更無理だろ」
「友達なら良いんじゃないかな。私は輿石のこと友達として好きだし」
「ほんとか」
「友達の恋路をとやかく言う権利は私にはないしさ。ちっちゃい女の子とか男の子が好きで好きで仕方ないとかじゃないなら良いんじゃないって思うけれど」
友達という部分を強調させておく。きっと、そうしないと微かに期待させてしまうから。
無責任なことはしたくない。
「じゃあ、今まで通り友達でいてくれ。アタシのワガママだ」
「うん。良いよ。なろっか、友達に」
心の中にあった罪悪感は水でも入れたかのように薄まる。
友達として、優しく輿石のことを抱きしめる。薄まった罪悪感は倍になって帰ってきた。
恋で壊れた友情は二度と戻ることはない、と誰かが言っていた。もしかしたら言っていなかったかも。気まずさが生まれるのが原因だろう。気まずくならないと良いなあ。そんなことを思いながら罪悪感は見て見ぬふりをした。
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