第5話 師弟契約
「これは、いったい……?」
民家が、壊れている。その事実が意味するところは、つまり、オニキス率いるモンスターの群れが市街地まで到達したということだ。
「あっ……フードのお兄ちゃん!」
唖然と立ち尽くしていると、まだ幼い声が背後から聞こえてきた。声が聞こえてきた方向へ、振り返る。
「シア……!」
「お兄ちゃん! たきだし、に来てくれたの?」
「あぁ、そうだよ」
内心の動揺を隠して、なるべく平静を装い彼女の問いに答える。俺の目は、無意識に彼女の母親を探していた。
「シア、お母さんは?」
「お母さんは、今日はお家にいるの」
――生きている。シアの母親は、生きている。
オニキスが市民を虐殺するはずがない……そんなことは分かっているはずなのに、どうしてか、シアの言葉に――シアの母親は生きているという言葉に、安堵した。
「オズさん、ご無事でしたか」
「ルージュ……さん」
ホッと息を吐いていると、背後から声をかけられる。俺のことをこの名前で呼ぶのは、ただひとり、ルージュのみだ。
「オズさん、敬語も敬称も、無しで良いんですよ?」
「……それじゃあ、お言葉に甘えて。無事で良かった」
「ありがとうございます。オズさんこそ、ご無事で何よりです」
ルージュに倣って「ルージュこそ、敬語も敬称も無しで良い」と俺が言えば、彼女は「癖みたいなものですから」と、俺の提案を断った。
「オズさん、話したいことがあります」
ルージュがフードの下から、真っ直ぐに俺の目を見つめながら言う。
わざわざ話したいことがある旨を伝えてくるあたり、ここでは話しにくいことなのだろう。
広場に設置してある時計を確認する。炊き出しの予定時刻までは、まだ時間があった。
「分かった。移動しよう」
「お願いします」
広場と言っても、貧民街の広場は狭い。少し移動するだけで、路地裏に滑り込むことが可能だ。
窓が無い民家の隙間を縫って、さらに奥へと歩みを進める。俺の後ろを歩いていたルージュが足を止めたところで、俺も足を止めて彼女を振り返った。
「ここでいいの?」
「大丈夫でしょう。人の気配もしませんし」
きょろきょろと周囲を見回したルージュが、ひとつ頷く。
貧民街とは言っても、ここはスラム街ではない。この周辺は石造りの家が多く、家の中にまで俺たちの話が聞こえてしまう心配は無いだろう。
俺以外の人の目が無いことを確認できたからだろうか、彼女ははらりとフードを落とすと、その綺麗に編み込まれた赤い髪の毛を太陽の下に晒した。
「先日、私は悪魔と契約しました」
「……悪魔、ね」
――悪魔。プレイヤーの相棒にして、人を惑わすもの。
ゲーム内における「悪魔」の立ち位置は、あくまでナビゲーターだ。よって、悪魔に誘惑されてプレイヤーが闇落ちする、なんてことは無い。装備を与えることによって悪魔をレベルアップさせて、プレイヤーの戦闘能力を底上げする、というシステムも存在するくらい、悪魔はプレイヤーの相棒としての側面が強い。
「そこでなんですが、オズさん、私の師匠になってくれませんか?」
「……なんでそうなった?」
師匠というと、弟子をとる、あの「師匠」だろうか。
残念ながら俺は師匠だなんて器じゃないし、この国を離れることもできない。プレイヤーは今後、さまざまな国を渡り歩くことになるが、そんなプレイヤーの旅に付いて行くことはできないのだ。
「もちろん、オズさんの時間が空いた時に、ちょっと指導してもらえるだけで構いません」
「いや……えぇ……?」
なんで? なんで俺なの?
疑問符が脳内を駆け巡る。
原作ではプレイヤーに師匠なんて存在しないし、強いて言うならプレイヤーが契約した悪魔こそがプレイヤーの師匠だ。そもそも、ちょっと忘れかけていたけど、俺は本来、オニキスと共に行動しているはずの「悪役」である。まかり間違ってもプレイヤーと良好な関係を築くようなキャラクターじゃない。
「まぁ、たしかに……オズさんがとんでもない人だった場合には、弟子をやめるかもしれませんが」
「あ、はい」
なんというか、ルージュは非常に正直な子であるらしかった。
「でも、私は……私には、オズさんを追いかけなければならない理由があるんです」
「……うーん?」
「だって、オズさん、相当お強いでしょう? ――もしかしたら、あの騎士団長に匹敵するくらい」
――君、強いだろ。もしかしたら、あの騎士団長に匹敵するくらい。
いつかの俺がルージュに向かって言った言葉を、そっくりそのまま返されてしまった。
「それだけの強さがあっても、オズさんは身動きがとれない……でも、冒険者である私は違います。……どうですか? 弟子として、私をうまく使ってみては、いかがでしょう?」
彼女の瞳には、挑発じみた好奇心が映っていた。
「……教えることなんて無いと思うけどなぁ」
「見て、盗みます」
「わぁ、たくましいね!」
リスキーだが、魅力的な条件ではあった。条件だけ見ても、俺にデメリットは無い。ただ、俺の正体がジョン・カマルであるという懸念材料があるだけだ。
「嫌だなぁ。人に教えるのは」
「見て、盗みます」
「……まぁね、それはそうなんだけど」
……人にものを教えるのは、好きじゃない。俺は人に何かを教えることができるほど何かを極めたわけでもないし、俺はどうしても、見返りを求めてしまう人間だからだ。誰かに教えるなんて、圧倒的に向いてない。
先生だとか師匠だとか呼ばれて天狗になるかもしれないし、「どうして分からないんだ」とか、「さっき言ったじゃないか」とか、そんな言葉を浴びせてしまうかもしれない。俺は、それが、嫌だった。
「傷付けちゃうかもしれないよ?」
「構いません」
ルージュの言葉に、思わず苦笑した。彼女は強い、強い精神力を持っている。きっと、俺がなにか間違ったことを言えば、臆することなく反論してくるだろう。師匠だとか弟子だとか以前に、彼女は自分という、強い芯を持っている。
構いません、という言葉は、きっと、言葉通りに受け取ってはいけない。彼女のこれは、「傷付けても構わない」という意味ではなく、「私を傷付けたら弟子をやめる」という意味だろうから。
「……分かった」
「良いんですか!?」
いいよ、と答える。ルージュは目に見えて嬉しそうに満面の笑みを浮かべていて、俺の心には哀愁にも似た諦めが広がった。
教えを乞われる立場なんだから、俺が教える立場なんだから何をしても、何を言っても許される、なんてバカげた稚拙な考え方は持っちゃいない。
教えるということは、それ相応の責任を背負うということだ。弟子が師匠に応えるのは、師匠そのものに対してではなく、その責任の重さに応えているのだ。
彼女はそのことが分かっているからこそ、曇り無き眼で、俺に向かって「構わない」と言ってのけた。きっとそうなのだろうと、俺は思っている。
――彼女は強い。俺と違って。
傷付くことを恐れない。その強さが、俺は羨ましい。
傷付くことは構わないのだろう。ただ、泣き寝入りするだけの弱さを、彼女は持っていないだけだ。
「あっ、けっこう時間が経っちゃいましたね」
もっと慎重に決断しろ、だとか、教えるほうだってタダじゃない、だとか、彼女を批判する言葉はいくらでも世の中に溢れているだろう。でも俺は、彼女の「この人がダメでも次がある」ような考え方を、「盗めるだけ盗んでやる」という貪欲さを、「なりふり構わず強さを求める」その在り方を、好ましく思う。
彼女はきっと、素直なのだろう。どこまでも前を向いている。どこまでも陽の光の下を歩いている。陰気な俺とは、正反対だ。
「炊き出しの時間だな。せっかくだし、手伝ってもらっても大丈夫かな」
「もちろんです!」
やる気に満ち溢れている様子のルージュを横目に、広場に向かって歩く。
こうして、俺は人生で初めて、弟子をとったのだった。
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