第3話 ルージュ・ソウシム

 炊き出しがあらかた終わった後、俺はルージュを探して広場を見渡していた。食器は返してもらうことになっているので、多くの人は、炊き出しが行なわれている広場で食事を摂る。


「私をお探しですか?」


 斜め後ろから聞こえてきた少女の声に、振り返った。赤い髪が、はらりとフードの隙間から覗いている。


「探していた、というほどではありませんが、少し興味をそそられたのは確かですね」


 にこりと笑顔を浮かべて言う。なんだか、とんでもなく胡散臭くて嫌味な奴になってないか、俺。


「奇遇ですね。私も、あなたと話したいと思っていました」


 立ち話もなんですから、と、適当な段差に腰かける。広場のベンチは、子供と老人に占領されていた。


「どうして俺を探していたんです?」

「聞きたいことがあって」


 聞きたいこと、と口の中で反芻した。

 名前についてはすでに話したし、炊き出しの経緯について尋ねられるのだろうか。彼女は空になった食器を小さく揺らしながら、真剣な表情で隣に座る俺を見上げた。


「いま、この国で起こっていることを、教えてくださいませんか?」


 彼女の真意を測りかねて、じっと目を見つめ返した。ルージュ……彼女が「現実世界の知識を持った」プレイヤーであるならば、本来のゲームとは違う現状について、情報を求めるのは正しい行為だろう。だが、どうして市民ではなく、俺に尋ねるのか。


「もちろん、周りの人にも聞き込みはしましたよ。でも、私が求めている情報は、誰も持っていなかったんです」


 俺の心のうちを見透かしたような言葉に、思わず片眉が上がるのを感じる。ふぅ、と息を吐いて、緊張した体を意図的にほぐした。


「分かりました。この国の現状について、お話ししましょう」


 ――曰く、国内では恐怖政治が行なわれている。

 ――曰く、国外からはオニキスの襲撃がある。

 ――曰く、周辺諸国の緊張が高まっている。


「今すぐにでも現国王陛下……女王陛下を操っているジョン・カマルを打倒したいところですが、彼は強い。彼がいるから、この国はなんとか周辺諸国からの侵攻を受けずに済んでいることも、また事実なのです」


 嘘は、言っていない。

 内戦が勃発すれば、それだけ国は疲弊する。国が疲弊すれば、周辺諸国から攻め入られる可能性が高くなる。さらに、侵攻してくる可能性が最も高い非同盟国のマンディンカ帝国は、このロメ王国と隣接している。

 現在の政策で疲弊しているのは民だけで、むしろ中流階級以上の一族は潤っている。貧富の差が激しい程度では、国が疲弊しているうちには入らない。


「なるほど……ジョン・カマルを打倒したい。けれど、ジョン・カマルを安易に排除すれば、それはそれで国が滅びる、と……そういうことですね?」


 ルージュの言葉に頷く。

 彼女は食器を脇に避けてから腕を組み、ひとしきり考え込んだ後、思い立ったようにいきなり立ち上がった。


「そっか! それなら仕方ないですね!」


 ルージュはそう言うと、俺に食器を押し付けて、悠々と歩き出した。


「……え? ちょっと、ちょっと待った!」


 まさか、話はこれで終わりということだろうか。なんとなく満足した様子の彼女――否、正確には何かが吹っ切れたらしい彼女の言動に焦って、思わず呼び止める。


「なんでしょう?」

「いや、その……」


 朗らかな表情で彼女が振り返る。俺は言葉に詰まった。


 ルージュには、ジョン・カマルを打倒してもらわなければならない。それも、オニキスと協力して。

 だが、今の彼女はどうだ? 俺には、彼女がジョン・カマルを打倒するどころか、この国を去ろうとしているように見えて仕方が無かった。


「君、強いだろ。もしかしたら、あの騎士団長に匹敵するくらい」


 ――だから、ルージュならば、ジョン・カマルを打倒できる。


「……え? 私は強くないですよ? しがない底辺冒険者ですから」


 ルージュが首を傾げながら、不思議そうな声音で言う。俺はルージュの目を真っ直ぐに見つめながら、口を開いた。


「……いや、君は確実に強くなる。確実に」


 きょとんとした表情をしていた彼女は、不意に考え込むように眉根を寄せて唸り始めると、その表情のまま、「あの、気になったんですけど」と言った。


「あなたはどうして、ここで炊き出しをしているんですか?」

「そうすべきだと、思ったからね」


 ……嘘ではない。民を犠牲にするわけにはいかないから、炊き出しを行なっている。無関係な人を巻き込んでいる、せめてものお詫びに炊き出しを行なっている。

 ただ、「俺の心が痛んだから」という理由のほうが大きいけれど。


「そう、ですか……あなたは、そうすべきだから、という理由で動く人なのですね」


 ルージュはどこか寂しそうに言った。その声の中に、若干の諦観と、憧憬が滲んでいる。


「別に、そういうわけじゃない。そうしたい、と思って行動することだってある」


 ――オニキスを死なせたくない。そんな身勝手な思いに身を任せて、頼まれてもいないことを必死にやっている俺は、さぞかし滑稽なことだろう。

 でも、そうしたい、と思ってしまったのだ。大好きなオニキスとよく知らない人を天秤にかけて、俺はオニキスを手に取った。……俺にとって、命の価値は等価じゃない。


「そうしたいと思って行動する、ですか……私は、あなたが羨ましい」

「羨ましい……?」

「……自分でも、よく分かりません。でも、そうしたいと願っても、私にはその思いを貫き通すだけの力が無いんです」


 ――しがない底辺冒険者ですから。


 ルージュの言葉が脳裏を過る。

 オニキスによる襲撃事件は、まだ起こっていない。オニキスは現在、モンスターをテイムして、襲撃に向けた準備を行なっている最中だろう。つまり、プレイヤーはまだ、レベルアップという能力を持っていない。悪魔と契約していない、正真正銘、ちょっと才能があるだけの、駆け出し冒険者なのだ。


 ルージュの瞳の奥に、諦観を見た。それを、勝手にもかつての俺自身と重ねて、放っておけない気がしたのだ。


「なら、特訓しよう」

「……特訓?」

「君が、なりたい自分になるために。……ある人から教わったんだ。行動を起こさなきゃ、何も変わらないって」


 教えてくれたのは、画面の向こうのオニキスだった。


 考えなしに行動するのだって良いことではないけれど、考えるだけで行動しないことだって、似たようなものなのだ。

 考えたうえで、行動する。そうすれば、生まれる後悔は清々しいものになるはずだ。そう、あのオニキスが、そうだったように。


 そんなことを、考えている時だった。


「緊急招集! 緊急招集!」


 街中に鐘が響き渡る。


「モンスターの大群が接近中! モンスターの大群が接近中!」


 戦える冒険者は、ただちに街の警護に当たれ――。


「……来たか」


 とうとう、この日がやって来た。


「ルージュ・ソウシム。頼みがある」


 突然の警報に混乱した様子のルージュに話しかける。


「この緊急招集に応じて、討伐作戦に参加してほしい」

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