第6話 決別と共同戦線

 スラム街の壁に近付くと、より一層、轟音が響き渡っているのがよく分かった。

 轟音の発生源は、十中八九オニキスだ。俺は音がするほうへ、建物を縫いながら、人の波に逆らいながら走る。


「オニキス……!」


 館から走り続けて10分ほど経った頃だろうか、人とすれ違うこともなくなったとき、ようやくオニキスの背中が小さく見えた。


 俺の声が聞こえたのか、あるいは気配を感じたのか――互いの距離が2メートルほどまでに縮まったところで、オニキスが俺を振り返った。


「ジョンか。これは厄介なことになったな」

「それはこっちのセリフだよ」


 うつむき気味のオニキスから、表情は読みとれない。


「……オニキス、なにがあったの」


 オニキスが壁を壊している理由に、おおよその予想はついている。だが、どうしてこんな思い切った行動に出たのか、その直接的なきっかけや、今のオニキスが考えていることは分からない。


「トーマス殿は、暗殺されたんだ」

「……うん」


 スラム街の話題を議会で出したから、スラム街をつつかれたくない貴族、もしくは国王が、トーマスの暗殺を命じたのだろう。


「貴族とはそういうものだと知っていたはずなのに、同じ人間が、仲間である人間になすこととは思えなかった」


 自分の手は汚れないから。自分の視界の外のものだから。自分とは遠い世界の話だから。

 理由はさまざまだろう。だがきっと、貴族連中にとって、命は非常に軽いものだ。


「議会は、必ずしも公平ではないらしい」


 ――議会は、公平じゃないだけではない。厳密に言えば民主制とは結びつかないし、歴史的に見ても、あくまで議会は、国王が戦争や課税について意見を求める場だった。


「スラム街の現状を訴えた。でも、誰も見向きもしなかった」


 オニキスがそっと顔を上げた。疲れ切った瞳の中に、微かに怒りの炎が揺らめいている。


「貴族も、市民も、自分さえよければ良いんだ。その考えが、その生き方が、私には理解できない」


 国民は、そう簡単には成長しない。大衆社会における主権者意識の低下は、地球でも問題になっていた。政治はサービスと化し、貴族も市民も、そのサービスを受給するだけの客に成り下がる。


 分かっていた。この世界が、端的に言って「そういうもの」だということを、俺は知っていた。

 けれど、だからといってオニキスのこの行為を認めるわけにはいかない。それは正義だとか責任感だとか、そういう話でもなく、ただオニキス自身の破滅を回避するために必要なことだからだ。


「……生きることに必死なだけかもしれないだろ。それぞれ、生きるっていう行為に対する基準が違うんだ」


 何をもって生きていると呼べるのか――マズローの欲求階層だ。スラム街の住民も、市民も、貴族も、結局は自分が所属するコミュニティや社会の中で、死なないように生きているだけ。必死だから、他人を気遣う余裕なんてない。

 ……もちろん、そうじゃない、ただ私腹を肥やしたいだけの人間だっているだろうけれど。


「では、君は目の前に餓死しそうな子どもがいたとして、それを見捨てるのか?」


 オニキスが、剣の切っ先を地面に下ろした。うっすらと微笑みながら、俺に問いかける。


「……子ども、か……うーん、見捨てるかどうかは、分からないな」

「断言する。君は見捨てない。手の届く範囲で助けようとするだろう」


 君だって、生きることに必死なはずなのに――オニキスはそう付け足すと、俺をまっすぐに見つめた。


「たった、それだけのことなんだ。飢えた子供に水を与えるだけの行為だ。たったそれだけに……それが、遠い」


 オニキスは剣の切っ先を下げたまま、俺に歩み寄った。長剣が瓦礫と擦れて、甲高い音が小さく響く。


「壁を壊せば、スラム街がよく見えるだろう?」


 俺は近付いてくるオニキスをじっと見つめたまま、一歩も後ずさることなく、口を開いた。


「スラム街を見るどころの話じゃないよ。命の危機に瀕して、他人を気遣う余裕があるはずがない」


 命の危機に際した際に本性が出る、という話は嘘っぱちだ。本性が出るのではなく、出ているのは本能――生存本能だ。もし自分の命より率先して誰かを助けようとする人がいたならば、それは生存本能が薄れた現代人らしく、理性で動いているに過ぎない。

 だから、スラム街の壁が崩壊するというイレギュラーな事態に瀕した人間が発揮するのは、生存本能のみ。壁を壊せばスラム街までの見晴らしは良くなるだろうが、スラム街そのものを見ようとする者は、結局のところ現れない。


「でも、こんな危機に瀕してなお、君は気遣ってくれた。私は騎士団に『スラム街の人間を守れ』だなんて命令は出していない。……君が、出したんだろう?」

「……それは……たまたまだよ」


 オニキスはうっすらと微笑んで、足を止めた。俺とオニキスの距離は、まるで親しい友人同士のような歩幅で落ち着いている。


「どうして、破壊っていう手段を選んだの?」

「最後の、希望なんだ」


 言葉で訴えかけても届かないなら、武力で訴えかけるまで。それが、オニキスが出した結論だった、ということか。


 俺は思わずオニキスから顔を逸らした。きっと、しかめっ面をしていることだろう。

 オニキスは、俺の努力も虚しく、順調にデッドエンドへと向かっている。


「こんな方法、危険すぎる。民衆にまで、被害が及んでしまう」


 苦し紛れに述べた俺の意見に、オニキスは何を思ったのか、小さく笑い声を漏らした。


「私には、分からないんだ。彼ら民衆に、本当に守る価値があるのかどうか」


 ――あるさ、とは言えなかった。俺はテキトーに生きてきて、誰かを守るとか、誰かを守らないとか、そんな選択をしてきたことも、迫られたことも無くて。

 ただ、オニキスは民衆をないがしろにするような人ではなかった。原作でも、民衆に避難を呼びかけるために襲撃予告を出していたくらいだ。それが、どうして――。


「……なにが、あったの」


 俺の曖昧な問いかけに、オニキスは口元だけで笑った。


「スラム街の現状を知れば、少しは今の状況も改善されるだろう。助けようとしないのは、スラム街の住民を『同じ人間』だと思っていないからだ」


 オニキスはくるりと俺へ背を向けて、壁に向かって剣を構えた。なんとも、無防備な背中だ。


「私は、各街の壁を物理的に壊して回る」


 ――この街を守る騎士として、オニキスという反乱分子のこの背中を、斬るべきだ。

 俺の中に芽生えた責任感とかいう感情が、俺にそっと囁きかける。俺は剣の柄へ、そっと手を伸ばした。


「……君に、騎士団長としての最後の命令だ。内側から、壁を壊してくれないか」


 オニキスが剣を構えなおす。カチャリと、金属特有の音が鳴ったことに驚いて、思わず柄を握りしめた。

 殺すなら、今だ。オニキスを斬るなら、今しかない。


「ともに、世界を変えてくれないか」


 オニキスの剣技が、壁を切り裂いた。

 剣技――岩をも砕く、ファンタジーな芸当だ。目の前の壁が、音を立てて崩れ去る。まるで魔法のように、視界が開けた。


 脆い土壁に藁葺き屋根、逃げ遅れた母子が道とも呼べぬ道の隅に蹲っている。

 オニキスは母子に向かって歩きながら、青い空を見上げていた。


「……君が、それを望むなら」


 3ミリだけ引き抜かれた剣を鞘に納める。

 オニキスは俺のことを振り返ることなく、小さな小さなスラム街を通り抜けて、森の中へと消えていった。



***



 オニキスの処罰は、俺が思っていた通りのものとなった。

 まずは、指名手配。現在は器物損壊で済んでいるが、そのうち、オニキスが活動すればするほど、罪状は追加されていくだろう。

 次に、入国拒否。指名手配と似たようなものだが、彼女はもう、「オニキス」としてロメ王国に入国すること、そして何らかのサービスを受けることはできなくなった。オニキスに対してサービスを与えた者も罰せられることになる。


 ――戦いの火蓋は、切って落とされた。


 戦いはすでに始まってしまった。彼女は魔王への道を、ラスボスへの道を、死への道を歩み始めてしまった。

 ここで、俺の中にひとつの作戦が芽生えた。それは、「ジョン・カマルがオニキスにとって憎い人間になる」というものだ。


 俺が正しくない行動を取れば、オニキスはこう思うはずだ。俺が間違った道を進んでいると。俺が民衆を苦しめていると。そして、考えるはずだ。どうやったら「ジョン・カマル」という悪を倒せるかを。

 上手くことが進めば、オニキスは、あるひとつの結論に辿り着くだろう。プレイヤーと協力して、ジョン・カマルを打倒するという結末だ。

 手を取り合ったのならば、俺を打倒した後も殺し合うことは無いだろう。それ以外の道を、模索できるはずだ。


 オニキスは、失望するだろう。絶望するだろう。そして、俺は憎まれるだろう。


 内側から、壁を壊してくれないか。

 ともに、世界を変えてくれないか。


 信じて託した相手に、裏切られるのだ。その憎しみの大きさは、計り知れないものになる。


「まぁつまり、なにが言いたいのかというと」


 ――俺が、真の悪役になる。


 オニキスが倒したいと思うような……けれどプレイヤーと協力しなければ倒せないような、「真の悪役」に成るのだ。


「まぁ……推しのために命を捧げるのは、オタクとしては当然だよね」


 これは、「万能で努力家な悪役もどきが」「推しの死亡フラグを叩き折るため」「自らが真の悪役に成る」物語である。

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