第5話 運命のはじまり
「どういうことだ!」
オニキスは、憤慨していた。
オニキスは会議の最中も、どこかそわそわと落ち着きが無い様子で出入口のほうを見遣っていた。市民代表のトーマスが、いつ入室してくるかと待ちわびていたのだろう。だが、議会が終わった現在でも、トーマスの姿は見えない。
「なぜ来ない……いや、それよりも、なぜ」
――なぜ、トーマスを捜索する許可が下りないのか。
トーマスは、どうやら無断欠席をしたらしい。議長である国王の提案で議会の開始を少し遅らせたものの、いっこうに現れる気配の無いトーマスにしびれを切らした貴族が会議の開始を提案、その提案が採用された。
「スラム街についての話は、残念だが、また改めて行なうとしよう」
普通、無断欠席ともなれば家族やら何やらに連絡が行くはずである。そういった早馬的なことは、騎士団の仕事でもある。「もしかすると事件に巻き込まれている可能性もありますから、騎士団を遣いに出します」という俺の提案は一蹴され、議会が終了して一日が過ぎた今も、オニキスはトーマスとの連絡が取れていない。
「オニキス」
「……なんだ」
少し憔悴した様子のオニキスに呼びかける。
騎士団は王国に所属する、いわば国王の命令で動く団体だ。よって、国王の許可が下りていない現在、騎士団としては捜索できない。だが、一般的な騎士団員に比べて、役職持ち――俺やオニキスのような人は、かなり時間的な余裕がある。一日の仕事量が決まっているわけでもない。
騎士団を使ってトーマスを捜索することはできない。だが、俺個人の権力が及ぶ範囲であれば、そして騎士団の仕事をまぁちょっとくらい後回しにすれば、俺が個人的にトーマスを捜索することは可能なのだ。
俺の魔術の力量と、俺が持つ人脈をフルに使って捜索をする。
トーマスは事件に巻き込まれたか、あるいは、貴族の誰かと取引をした可能性もある。議会の結論に影響を及ぼすような賄賂のやり取りは法律で禁止されているから、その貴族の尻尾だけでも掴みたいところだ。
トーマスの身の安全を確保するためにしろ、貴族の尻尾を掴むためにしろ、捜索は早ければ早いほうが良い。そして、可能な限り大規模なほうが良い。
「父上に相談してくるよ。うまく行けば、大規模な捜索が可能になるかもしれない」
「ありがとう、ジョン。……その間、私も民間人に話を聞いてくるとしよう」
――嫌な予感がする。そう思いながら、俺は領主である父の元へ向かった。
***
「ダメだ」
父の第一声は、それだった。
「理由を、お伺いしても?」
思わず、低い声で問いかける。
「この件には首を突っ込むな」
「……なるほど」
頑なに頷かない父と、捜索命令を出さない国王、そして失踪したトーマス――なんとなく、繋がりが見えてきた。
トーマスは貴族という身分を持っていないとはいえ、議会の一員だ。議会は話し合いの場であり、武力による制圧を行なってはならない――だが、それがもし、表面上だけの掟だったとしたら?
結論――国王が率先して、スラム街の解放に反対している。
「スラム街には、一体なにがあるんです?」
俺からの問いに、領主は答えない。
「父上――」
「この件には、首を突っ込むなと、言ったはずだが」
沈黙が落ちた。古時計が針を刻む音が、やけに大きく室内に響く。
「俺が独自に調べることも、首を突っ込むうちに入りますか?」
「……調べるなと言っても、勝手に突っ走るのだろう、お前は」
父の中で、俺のイメージはいったいどうなっているのか。
やるな、と言われたのであれば、それを敢えてしようとは思わない。トーマスについては残念だと思うが、俺とトーマスは友人でもなんでもないし、直接話したことすら無いのだ。特段、思い入れは無い。
だから、「そんな問題児じゃありませんよ」――そう言おうとした時だった。
慌ただしいノックと共に、父の返事を待たず、執務室の扉が開かれる。何事かと思って振り返ると、騎士団の制服に身を包んだ若い男が、走ってきたのだろう、ドアノブに手をかけたまま息を切らしている。
相当な慌てようだ。俺は務めて冷静な声音で、騎士団員に話しかけることにした。騎士団は、父ではなく、俺の管轄だ。
「どうした?」
「だ、団長が……!」
「……オニキスが?」
――嫌な予感がする。
俺の顔を見てハッとした様子を見せた騎士団員の男は、ビシッと、お手本のように姿勢を正すと、敬礼のポーズをとった。
「報告します! 騎士団長、ご乱心です! つきましては、副団長に団長を止めていただきたく……!」
――は?
「……乱心?」
もう少し詳しい情報が欲しい。そう思って聞き返すと、男は元気に「はい!」と返事をした。騎士団としては正解なのだが、その元気さがなんだか恨めしく思える。人間の心とは、複雑だ。
「スラム街の壁に向かって剣技を用いております! 民が混乱に陥っている模様です!」
男の言葉に、外の状況を把握しようと窓へ近寄る。ゲームの時代設定に似つかわしくない綺麗なガラス窓の外――眼下に、人々が逃げ惑っている様子がよく見えた。
外であれだけ騒いでいるにも関わらず、この部屋は実に静かなものだ。
「この部屋、防音性能が高かったんだな」
「はい……?」
考えていることをうっかり口に出してしまうあたり、俺もだいぶ、混乱しているらしい。
理解が追い付かない。いや、正確には、心が追い付かない。
何が起こったのか、オニキスが何を考えているのかは分かる。おそらく、なんらかのきっかけで、オニキスが実力行使に出たのだろう。実力行使で以て、スラム街を解放しようとしているのだ。
「……まずいことになったな」
俺がやるべきこと。それは、オニキスの暴走をいったん落ち着かせることだ。
今は過去の功績や普段の行ないの良さのおかげで「ご乱心」程度の騒ぎで収まっているが、おそらくオニキスは本気だ。もちろん乱心なんてしていない。
スラム街の壁を壊したら、彼女は逃亡するだろう。一度逃亡してしまえば、国は彼女を罪人に指定するはずだ。
だから、彼女の逃亡を阻止する。そして、なんとか説得して、穏便にコトを済ませるのだ。
濡れぬ先こそ露をも厭えとはよく言ったもので、一度でも武力行使に出てしまえば、その後のハードルは下がるものだ。
一度、武力で以てスラム街の壁を壊せば、彼女がモンスターの大群を引き連れて、各国の「スラム街と都市の境界となる壁」を破壊して回ることは想像に難くない。
それはつまり、原作通りの展開ということで、原作通りの展開であるということは、オニキスは「いずれプレイヤーに倒される」という運命を歩むことになってしまう。
――なんとしても、阻止しなければ。
俺が決意と共に足早に退室しようとすると、騎士団員の男に「あの!」と呼び止められる。
「なんだ?」
「騎士団は、どうすれば……!?」
男の言葉に、思わず言葉を詰まらせた。副騎士団長としての責務よりもまず、オニキスを優先してしまった。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
非常時のマニュアルなんて、あってないようなものだ。今この場で、オニキスを最も刺激しないで、色々と穏便に済ませるためには、何をすればいいのか。
まず、オニキスの周囲に人がいてはいけない。彼女が乱心したのではなく正気のうえで壁を破壊したなど知れてしまえば、公共物破壊の容疑で投獄待ったなしだ。何らかの原因があって致し方なくスラム街の壁を攻撃した、というシナリオを作らなければならないから、そのシナリオのすり合わせをしている間、俺とオニキスはふたりきりでなくてはならない。
穏便に済ませようと思うならば、俺とオニキスは言葉を交わすだろう。その時にオニキスがうっかり「実力行使に出ちゃったテヘペロ」なんてことを言って、それが他人に聞かれてもアウトなので、ふたりきりにならなければならないのは決定事項だ。
「騎士団は住民の――スラム街の住民も含めた、すべての住民の警護にあたれ。オフィシエより上の階級の騎士は、要人を警護すること。俺は騎士団長オニキスの確保にあたる。その間の指揮はグラントに任せた」
「はっ! かしこまりました!」
「危険だから、オニキスの近くには寄らないように」
そのようにグラントさまに伝えてまいります! と言った男が、挨拶も忘れて慌ただしく去っていく。俺は父上のほうを振り返ってから、軽く頭を下げた。
「待て、ジョン」
「……なんでしょう」
こんなに急いでいるときに何の用だ、と、思わず眉を顰める。
父はそんな俺の様子にも構わず、マイペースに、優雅な手つきで執務机の引き出しを開けた。
「これを持っていきなさい。役に立つはずだ」
父が俺に向かって差し出したのは、シンプルなデザインのネックレスだった。ダイヤモンドらしき白い石が、中央にはめ込んである。
困惑しながらも、ネックレスを受け取る。
「……失礼します」
いろいろと気になることはあったが、質問の言葉を飲み込んで、俺は今度こそ執務室を去った。
今はとにかく、オニキスを止めなければならない。一刻をも争う状況だ。悠長に問答などしている余裕は無い。
屋敷を出る。騎士団はきちんと動いてくれているようだ。
俺は騎士団の制服を翻しながら、遠くに聳え立つスラム街の壁に向かって、一目散に走ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます