第3話 束の間の休息

 数か月後――オニキスとは、少しずつ話をするようになった。もともとオニキスは騎士団長で俺は副団長だから、まぁまったく話をしないわけではなかったのが、最近ではオニキス自ら、例の「活動」について、詳しく聞かせてくれるようになった。

 そして今、俺たちは適当な居酒屋で、酒を酌み交わしながら雑談をしている。飲み会ができる程度には仲良くなれた。


「あんまり上手くいってないみたいだね」

「そうだな……こうして話を聞いてくれるのも、ジョンくらいのものだ」


 スラム街の解放運動は、あまり上手くいっていないようだった。民衆に訴えかけようにも、貴族の反発があるかもしれない状況で声をあげる人は少ないだろうし、仕方のないことかもしれない。


「だが、少しだけ前進したんだ!」


 バン! と、酒が入ったジョッキを机に置いてから、オニキスが言う。


「今度の会議で、市民代表のトーマス殿が、スラム街についての話を取り上げてくださるらしい」


 トーマス――たしかに、現在の市民代表はトーマスという名前だった。


「へぇ、どうやって交渉したの?」

「交渉、と言えるのかどうかは分からないが……ジョン、お前のおかげだ」

「俺のおかげ?」


 特にトーマスと関わった記憶は無いのだが、はて、いったい俺が何をしたと言うのだろう?

 オニキスはぐいっと大きなひとくちで、しかし上品な仕草で酒を飲むと、頬杖をつきながら俺の目をまっすぐに見た。


「ジョンのアドバイスのおかげで、私はトーマス殿に話をしてみようと思えたんだ。トーマス殿は、私の話を聞いてくださった唯一の議会メンバーだよ」


 首を傾げる俺に対して補足するように説明したオニキスは、そこまで言うと満足したのか、ジョッキの中の酒を飲み干した。


 どうやら、オニキスは貴族に訴えかけるばかりで、議会に爪痕を残すことは考えていなかったらしい。

 民衆に訴えかけて議会、ひいては政治を動かす――そういった政治的な考えに至るきっかけとなった俺のアドバイスに、相当感謝しているようだ。


「俺は思ったことを言っただけだよ。行動に移したのはオニキス自身だ」

「それでも、突破口をくれたことは間違いじゃないだろう? もちろん、私自身の功績も客観的に評価している。そのうえで、とても感謝しているんだ。ジョンがいなければ、私はいまだに、議会に訴えかけるという発想には至っていなかったはずだ」


 なんだろう、なんか、そこまで言われると、ちょっと照れる。

 俺が照れ隠しに頬を搔いている間に、オニキスはさっさと次のビールを注文していた。


「飲みすぎじゃない?」

「そうか?」


 どうやらオニキスは酒豪らしい。俺はこの辺で飲むのをやめておこう。


 ちなみに、この世界においては、飲酒が可能になる年齢は18歳からだ。今年18歳になりますよーという17歳も、18歳として見なされる。すでに18歳である俺はともかく、17歳であるオニキスが酒を飲んでいるのは、その「見なし」制度のおかげだ。


「そういえば、次の議会……オニキスは初めてか」


 俺が呟くように言うと、オニキスが俺を一瞥した。


「そうだな。実は、少しだけ緊張している」


 オニキスは楽しそうに笑うと、新しく運ばれてきたジョッキの中の酒を煽った。


「大丈夫、俺たちの仕事は護衛だけで意見を求められることは無いから、話を聞いておく必要は無い。ぼーっとしてるだけで給料が貰えるんだ、楽な仕事だよ」

「そう言うことで、お前は私を励まそうとしてくれているのだろう? ジョン、お前がしっかり真面目に仕事をこなす男だということは、よく知っているぞ」

「なんのことだか。楽な仕事だって伝えただけだよ」

「不器用なやつめ」


 ニヤニヤと笑うオニキスに、思わず片眉を上げる。俺はそんなに真面目なやつではないと思うのだが、オニキスの目には真面目な男として映っているらしい。


「さぁ、そろそろ明日に備えて帰ろうか」


 オニキスが酒を飲みほしてから、おもむろに立ち上がった。オニキスの言葉に頷いてから、俺も彼女に続いて立ち上がる。


「今回の議会は、荒れそうだな」

「普通、議会は荒れるものではないのか?」


 オニキスの言葉に、まさか、と返す。


「議会は基本的に、出来レースなんだよ。すでに根回しは終わった状態で議会が始まるんだ」


 重要な議題であれば、議会の場で議論が巻き起こることはまず有り得ない。それぞれの議会メンバーが、すでに根回しを終えた状態で議会に臨むからだ。


「でも、今回の議会はイレギュラーだ」


 ――重要な議題についてはすでに結論が出されているので出来レースのようなものだが、稀に、「さほど重要ではない議題」が議論に上ることがある。この「さほど重要ではない議題」こそが「スラム街の解放」だ。

 特に、市民代表による議題の提案ともなれば、貴族らにとっては、初めて耳にする内容になるはずだ。


「なるほど、それはたしかに、面白いことになりそうだな」


 オニキスは実に楽しそうに、くつくつと喉の奥で笑う。なんだか、今日は彼女の機嫌が良い。


「今日のオニキスは、上機嫌だね?」

「そうか? ……うん、たしかに、そうかもしれないな」


 月明かりと、中世ヨーロッパ風の街並みには少し不釣り合いな近代的な装飾のガス灯が、夜道を照らしている。


「なにかが、大きく変わりそうな気がするんだ」


 彼女の予想は的中した。

 ――俺たちが、想定していなかった形で。



***



 議会当日――。


「やぁ、オニキス。おとといの酒は、ちゃんと抜けた?」

「当たり前だろう。仕事に支障の無い範囲でしか飲んでいない」


 立派な建造物の前で、俺たちは軽く言葉を交わした。

 周囲には、騎士団の面子のほかに、貴族の付き人だったり、議事録をとるための役人だったり、議会のアシスタントだったりが、ピリリとした緊張感とともに忙しなく歩き回っている。


 議会は、三か月に一度、正午から夕方にかけて行なわれる。開催期間は2日間――その間、騎士団の面々は基本的に会議場の周囲に散らばって警護に当たっているが、騎士団長と副騎士団長のみは会議室に入っての護衛任務となる。


「そろそろ行こうか。……緊張してる?」


 隣に立つオニキスに問いかける。俺は副騎士団長として何度かこの任務をこなしているが、オニキスにとっては初めての任務だ。それも、彼女にとってはかなり特別な意味を持つ議会での任務である。


「緊張……そうだな。緊張しないほうが難しい」

「たしかに」


 会議室に向かって、ゆっくり歩く。緊張していることを自覚したからだろうか、正面ばかり見ていたオニキスは、少しだけ周囲にも興味を示し始めた。壁にかかっている絵画を目で追いかけてみたり、照明の精巧さに目を輝かせたりしている。


「ところで騎士団長さま、バレないように寝るぶんには、まったくもって問題無いですよね?」


 俺の仰々しい物言いに、オニキスが足を止める。怪訝そうな表情で俺の目の奥を見つめていた。


「どういうことだ?」

「瞼に目を書くんですよ。油性インクで」

「……まったく、つまらんことを言う男だ……」

「えー!?」


 俺の渾身のギャグだったのに! 彼女のお気には召さなかったらしい。


「そんなに……つまらない?」

「くだらん」

「そんなぁ……」


 俺が項垂れていると、オニキスがふっと頬を緩める。


「だが、嫌いじゃない」


 ありがとう、と感謝を述べた彼女に、俺は例のごとく、「なんのことやら」と答える。

 議会の開始まで、あと1時間を切っていた。

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