第17話 あれ、おかしいぞ

『すまない、すまない……。五十鈴いすず、この愚かな父をどうか許してくれ……』


 脳内で謝る父の声の余韻が響く中、少女はそっと目を覚ました。最初に目の中に入ってきたのは薄暗い室内、汚い灰色の天井である。家の綺麗なものとは真反対のものだ。


 ……ならばここはどこだ?


 がばっと一気に起き上がると、ぼんやりとした光に照らされた部屋の全貌が見えてきた。

 屋内には半分壊れたソファ、倒れた燭台、そして転がったブラウン管テレビなどのガラクタが埃を被っていた。だが、少女が一番注目したのは、呼吸に合わせて動く二つの布団の塊であった。


 誰……?


 怖くなった少女はそっと立ち上がり、布団に触れないまま、どうにかして寝ているその人物を見ようと目を凝らした。

 しかし、そこで真横から声が突然発せられる。


「なにしてるの?」


「きゃあッ!」


 驚いた少女はその拍子にすやすやと寝ていた弘人の上に転んでしまった。


「おえッ」


 結果的に弘人は、いきなり落ちてきた重みにより叩き起こされてしまう。


「ご、ごめんなさい!」


 少女はすぐに布団から飛びずさった。弘人はなんとか起き上がる。


「なんなんですか、朝っぱらから……」


 少年は不機嫌そうに師匠を見る。


「この女の子がじっと君のことを見つめていたからなにしてんのって聞いただけだよ」


 弘人は寝起きでまわらない頭で、師匠の言ったことをやっと理解すると、今度は目線を少女に向けた。


「えーと……こんにちは?」


「こんにちは……?」


「おはよう」


 二人はぎこちない挨拶をする。対してマティアスはいつもと変わらない。


「俺はマティアス。こいつは弟子の弘人。お嬢さんの名前は?」


 自分と対応するときとは違い、やけに丁寧な師匠を睨んだ弘人だったが、少女はもちろんこれがマティアスのもったいぶった態度とは気がつかない。


「あ、えと、畑中はたなか五十鈴いすずです……」


「五十鈴っていうんだね。で、ここにはいつ来たの? 病気は何段階目?」


「病気……?」


 青年の質問に、五十鈴はかなり面食らった様子だった。


「病気ってあれだよ、黒目病。忘れちゃったの?」


「え……?!」


 五十鈴は頭を抱え、しばし考える。やがてこの状況をやっと理解したのか、小さな悲鳴を上げた。


「なに、その反応」


「そ、そんな……ここはやっぱり……地下都市なんですか……?」


「そうだよ」


「ああ……ああ……ああああああああああ!! なんで!!!」


 五十鈴は髪の毛をかきむしって座り込んでしまう。そのまま泣き出した彼女に、マティアスは怪訝な顔をしていたが、気の利く弘人はすぐにコップに水をそそぎ、少女に飲ませた。


「大丈夫?」


「うん……、ありがとう……」


 彼女のお礼を聞いた弘人はふわりと微笑んだ。


「で、結局なんでそんな叫ばなきゃいけなかったんだい? 黒目病にかかった時点でここに来ることはわかっていただろうに」


「師匠、もう少し優しく上げてくださいよ」


 弘人は言うが、青年は気にも留めない。少女は俯き、ぼそぼそと呟く。


「だって違うんです……」


 彼女の声はひどく弱々しい。


「私、黒目病なんかにかかっていない……!」


「え?」


 弘人とマティアスは顔を見合わせた。






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