【コミカライズ】悪役令嬢らしい高笑いを練習していたら、俺様皇太子に攻略されたのですが

新 星緒

悪役令嬢は高笑いの練習をする

 学校敷地の端にある、木々に囲まれた小さな池のほとり。

 辺りを見渡す。人影はない。

「どなたかいますか」

 声をかけてみても、返事はない。


 よし、大丈夫ね。


 水面に映る自分の姿を見ながら左手を腰に当て、右手を口元でそらす。

「お……ほほほほ……」

 蚊の鳴くような、細く頼りない声しか出なかった。


「どうしよう。もう一週間も練習しているのに、全然高笑いができないわ」

 水面の中の私が、しょぼんと肩を落としている。


「もっと正々堂々としないと」

 もしかしたら姿勢が悪いのかもしれないわ。胸を張り顎を上げ、視線を遠くへ向ける。


「これなら高飛車な感じが出ていそう」

 見えないから、自信はないけれど。

 んんっとのどをならしてから、再挑戦。


「おほほほほ。――今のはよかったんじゃないかしら。あとはもっと大きな声で笑うことよね」


 私がどうして高笑いの練習なんかをしているかというと。

 悪役令嬢だから。

 たぶん。


 数日前のこと。ちょっとしたきっかけで、今の私として生まれる前は、日本の女子高生だったということを思い出した。

 そして、すぐに心配になったのよ。

 もしかしてこれって異世界転生というやつなんじゃないかしらって。そして――


 私は派手な赤毛で鼻がツンと上を向いた綺麗系美少女。実家は公爵家で、同い年の第二王子と婚約中。これって悪役令嬢っぽくない?


 そして寮で同室のルチア。二学年下の彼女は零れ落ちそうな大きな目をした愛らしい系美少女。実家は男爵家だけど、庶民的な感覚をしている。どう考えても、ヒロインよね。


 私の婚約者であるケネスは、ちょっとばかり頭がお軽いけれど、絶世の美男子。きっと攻略対象だわ。


 そして、最近ルチアとケネスは急接近して、ふたりだけでよく話しているみたい。


 この状況からすると、ここは乙女ゲームの世界ということになるわよね。物語が進むためには、ルチアはケネス(もしくは他の攻略対象)と恋愛をしなければならないし、私は悪役令嬢としてそれを適度に邪魔をしなければならないはず。


 だけどルチアと私はとても仲良し。これではゲームが進まないわ。


 だから、物語の展開を修正しようと考えたのよ。

 悪役令嬢は悲惨な運命をたどるのが定番だから、怖くはある。けれど、私が怯んだせいでルチアが幸福を手に入れそびれたら可哀想だもの。


 それに現状を鑑みるに、命を失うほどのことにはならないと思うのよね。多少の問題なら自分で対処できるだろうし。


 だから私は見事、悪役令嬢を演じ切ると決めたのよ!


 ただ。問題がひとつ。私は人見知りの小心者。高飛車で意地悪な態度をとるなんてできない。

 仕方ないから、まずは悪役令嬢らしい高笑いを身につけることにしたの。意地悪な言動をするよりは簡単だろうと思ったから。

 でもこれが難しいのよ。


「もう一度やってみましょう」

 ポーズをとり直す。

「お――ほほほほ」

 うん、いい感じ。声量さえあれば。


「それはなんの練習なんだ?」

「ひあっ!」


 飛び上がった拍子に、しりもちをつく。

 こ、声がした!

 誰もいないと思っていたのに!

 あたりを見回す。でもやっぱり誰もいない。


「ゆ、幽霊?」

「誰が幽霊だ。上だよ、上」


 言われたとおりに上を見上げる。と、すぐそばの木の上に、幹にもたれるようにして座っている男子生徒がいた。


 クセの強い黒髪に黒曜石のような瞳、やや浅黒い肌。エキゾチックな美貌。

 同じ学年の隣国からの留学生、バルナバス皇太子だわ。

 攻略対象と思われる男子の一人!


 なんでこんなところにいるのよ。

 というか、登場の仕方がいかにもキャラっぽいわ。

 そうでなくても陽気そうで苦手なタイプなのに、どうしよう。


 バルナバス殿下が飛び降りる。華麗に着地すると、座り込んでいる私のもとに来た。


「ケネスの婚約者のミランダ・トラレス公爵令嬢だよな」

「そ、そうです、殿下」

「で? さっきの練習はなんだ。劇をやるなんて話は聞かないしな」


 ごくりとツバを呑み込む。ひとに見られたときの言い訳は考えてあるのよ。


「ええと、その、女神さまが夢枕に立って、こうしなさいと」

「なんだそれは」

 私を見下ろすバルナバス殿下。この人、私と違ってすごく大きいのよね。まるで壁がそびえたみたいで、怖い。でもがんばって答えなくちゃ。


「婚約解消をしたいのです。政略的な婚約とはいえ、どうしてもケネス殿下と夫婦になりたくなくて」

「なるほど、わかるぞ」とうなずくバルナバス殿下。「悪いヤツではないと思うが、男としての魅力は俺に劣るものな」

「そんな理由ではありません。とにかく、私からの解消は不可能なのですが、悩んでいたら女神さまが、性格の悪い令嬢になって嫌われなさいと教えてくださったのです。とはいえ急には難しいので、まずは笑う練習をしているのです」

「なるほど」


 バルナバス殿下がしゃがんで、目線を合わせた。


「無理がある。そんな小心者そうな態度で、誰を騙せるというのだ」

 がっくりとうなだれる。

「だからこその練習だったのです」

「だが、おもしろい。俺が手伝ってやろう」

「はい?」


 顔を上げる。

 次の瞬間、ふわりと身体が持ちあがる。

 立ち上がったバルナバス殿下が私の膝裏に両手をまわして、抱え上げていた。


「きゃああああっっっ!!」

 思わず悲鳴をあげて、殿下の頭にしがみつく。


「落ちます!!」

「ほら、大声が出た」

 楽しそうな声が胸の下から聞こえる。

「こ、こういう練習はいらないです! 怖いです!」

「落としはしないぞ」

「助けて!」

「意地が悪そうに見えないなあ」

「これからなるんです!」

「ああ、俺がみっちり指導してやろう」


 バルナバス殿下の楽しげな笑い声があたりに響く。

 どうしよう。

 大変なことになてしまったわ!



 ◇◇



 私たちの通う王立学園は男女ともに全寮制で、部屋は基本的に異なる学年ふたりで一室を使うことになっている。人数の関係で三人になることはあるけれど、ひとりはない。


 なぜならちょっと変わった、師弟制度があるからなのよね。学校は三学年制なのだけど、先輩が後輩の師となって、マナーや生活規範、勉強までを教えるの。

 そんな訳で、自室では悪役令嬢の練習はできない。

 だから人気のない池のほとりでやるしかないのだけど、そこへバルナバス殿下が毎日来るようになってしまった。


「そ、そのような愚かな振る舞いをして恥ずかしくないのかしら。さすが低位貴族はレベルが低いわね。オホホホホ」

「いいぞ、だいぶ感じが悪くなってきた」


 バルナバス殿下が自分で用意した椅子に優雅に腰かけて、まるで劇の演出家のように私を指導する。


「だが、目が泳いでる」

「うぅっ。そんなに一気に上達はできません」

「のんびりしていて平気なのか?」


 痛いところをつかないで。

 ルチアの前ではがんばって演技をしているのだけれど、悪いものでも食べたのかとか、熱に浮かされているのかとか心配されてしまい、全然悪役令嬢になれていないのよ。


 ただ、私のことを相談するために、ケネスと会う頻度が上がっているみたいだから、ケガの功名とは言えるのかもしれないわ。


「おいで、ミランダ」

 ……イヤよ。

「来ないとケネスにバラす」


 いつもいつも、ケネスを引き合いに出して脅される。

 仕方なしに彼に近づく。すると、彼の膝の上に横座りさせられてしまった。

 これだからイヤなのよ。


「ほら、演技がうまくなる魔法の菓子だ。食べろ」

 殿下がそれこそ魔法のように取り出した焼き菓子を、私の顔の前に出す。

 諦めて、ぱくりと食べる。まるで鳥のヒナのように。

 どうしてかバルナバス殿下は毎回、これをやるのよね。なにが楽しいのかしら。


 きっとバルナバス殿下は、チャラくて女の子好き枠の攻略対象なのよ。そしてこのおかしな儀式はヒロインにやるものなのだと思う。

 私の高笑いの練習を見たせいで、展開が変わってしまったのだわ。


「こんなこと、ケネス殿下に知られたら申し訳ないのですが」

「婚約解消したいのだから、構わないではないか」

「どんな方法でもいいわけではないのです」


 このやり取りだって、もう定期だわ。


「バルナバス殿下の留学期間はいつまでなのですか」

「お前がのぞむならば卒業までいるぞ」

 ということは、それまでにいなくなってしまうということね。


 胸がチクリとした。


 ――今のはなにかしら。

 あまり深く考えてはダメそうな痛みだったわ。気づかなかったことにしなくちゃ。


「ミランダは面白い女だよな」

「どこがでしょう」

「小心者でおとなしいくせに、婚約解消のためといっておかしな演技の練習をする。どう考えても、面白いだろ」バルナバス殿下が楽しそうに言う。


「それにこのひと月観察していてわかったんだが、お前が意地悪なふりをしたいのは、同室のルチア限定だ」


 うそっ。どうして気づかれているの? 


「彼女とケネスをくっつけたいのだろう?」バルナバス殿下が私の目をのぞき込む。

 嘘をつきとおせそうにないわ。


 仕方なしに、そうだと答える。

「ルチアはケネス殿下を慕っているようですから。彼女は大切な友人なんです。幸せになってもらいたいのです」

「色々な場所で誤解が生じているんだな」

「どういうことですか」

「知りたかったら、俺にキスをしてくれ」

「婚約者がいます!」

「構わないだろう? 婚約解消が目的なのだから」

「そのようなことをおっしゃるのなら、もう指導はお願いしません。ケネス殿下に知らせるなり、お好きにどうぞ」


 彼の足からおりる。

「待て」

 手首を掴まれる。

「冗談だ。そう怒るな。俺の指導のおかげで演技は上達している。ここでやめるのは悔いが残るのではないか」

「そうですが……」


 うつむいて靴の先をみつめる。

 ルチアがケネスと結ばれるまでは、演技を続けたほうがいいと思っている。でもバルナバス殿下とふたりきりの練習は、もうまずいような気がするのよ。


 ふわりと頭に殿下の大きな手が乗った。

「最後までがんばるぞ。ミランダを立派な『嫌な奴』にしてやる。それでみな、幸せになるのだ」


 殿下は眩しいような笑顔で私を見下ろしている。

「……はい」

 ドキドキとしている胸には、気づいてはダメ。

 私の目的は、ルチアの幸せよ。



 ◇◇



「いい加減にしろっ!」

 講堂にケネスの怒鳴り声が響き渡り、生徒も教師も凍り付いたように動きを止めた。

 三ヵ月に一度の、学校主催のダンスパーティー。 誰もが楽しく参加している中で、突然ケネスがルチアの細い肩を掴んでそう叫んだのだった。


「どうなさったのですか」

 慌ててふたりの間に割って入る。


 私が怒鳴られるのなら、わかる。このパーティはゲーム展開でキーになるものだと思うのよ。

 なのにどうしてなのか、ルチアはずっと私のそばから離れないのだもの。ケネスとケンカでもしたのかしらと心配していたところだったのよ。


「ミランダは黙っていろ!」とケネス。

「では私の友人を叱る理由をお教えください」

「その女が!」とケネスがルチアを指さす。「邪魔をするからだ!」

「なんのでしょうか」

「私とお前の仲だ!」

「……なんて?」


 ちょっと理解不能な言葉を聞いた気がする。


「ミランダ様っ」ルチアが私の腕にしがみついた。「もう苦しまないでくださいっ! わかってます、ここひと月の奇行は全部ケネス殿下のせいなんですよね。殿下との愛のない婚約のお辛さ……。ミランダ様の心中を思うと涙がでます」

「……どういうこと?」

「政略結婚なのはミランダも承知だ!」とケネス。「貴様が入学するまでは、私たちはそれなりにやってきたのだ。貴様がミランダをおかしくした!」

「いいえ殿下です!」


 ルチアとケネスが激しく口論をする。


「ちょっと、待って。なにがなんだかわからないわ」

「このくそ女!」とケネスがまたもルチアを指さす。「私からお前を遠ざけようとあの手この手で邪魔をしている!」

「この人」とルチアも負けじとケネスを指さす。「私を排除しようと、権力を使ったり学用品を壊したり、はては従者に暴行させようとまでしたんですよ」

「まさか!」

「し、していないぞ、そんなことは」ケネスの目が泳ぐ。

 いやだ、本当にしているのだわ。


「王子のくせにサイテイですっ」

 ルチアが私の腕にふたたびしがみついた。

「こんな男との婚約は破棄したほうがいいですよ」

「ふざけるな、たかが男爵家の娘のくせにっ。ミランダ! 付き合う友は選べ!」


 なんだか、おかしくないかしら。

 ふたりは仲睦まじく恋愛をしていたのではないの?


「私は知っているんですよ」とルチアがケネスを睨む。「あなたの浮気の数々を!」

 ケネスの顔が強張る。


「ミランダ様。この人は一年生の子たちを何人も毒牙にかけているのです!」

「人聞きの悪い言い方をするな! 好みのタイプにちょっと声をかけただけだ!」

「あら、無理やりキスされそうになったと泣いている子たちがいますけど?」

「名誉毀損で訴えるぞ!」


 だけどケネスの顔には脂汗が浮かんでいる。


「本当ですか、殿下」

「泣かせてはいない! たぶん」ケネスは自信なさそうに言葉を弱めた。「断られたら、すぐに引き下がったから」

「……すみません。ちょっと大袈裟に言いました」とルチアも弱々しく言う。「でも、こんな人はミランダ様にふさわしくありません」


「確認したいのだけど」ルチア、ケネスと順に見る。「ふたりは相思相愛なのではないの?」

「「まさか! こんなヤツ、冗談じゃない!」」

 見事なほどに言葉を重ねるふたり。


「でも、ふたりだけで会っていたでしょう?」

「ミランダ様を苦しめるなと伝えていただけです!」とルチア。

「ミランダとの仲を邪魔するなと文句を言っていただけだ」


 あら。


「では、ふたりは好きあっては……」

「「いない!!」」


 またも重なったわ

 なんていうことかしら。私は誤解していたのね。

「てっきりそのような仲だと思っていたから、私はふたりがうまくいくように、意地悪な敵役を演じていたのよ」


「「え、あれは意地悪だったんですか」」

 またふたりで口をそろえる。


 いやだ、全然通じていなかったのね。あんなに練習をしていたのに。

 だけどまずいのではないかしら。このままではルチアはケネスと恋愛ができずに終わってしまうわ。

 それともほかの攻略対象と愛を育んでいたりするのかしら。


 ルチアを見る。

「そうなのね。誤解をしていてごめんなさい。もう意地悪なふりはやめるわ」

「演技でよかったです! 可愛かったからずっと見ていたくはありましたけど、お心の傷が深いのかと心配でした」とルチア。「婚約は解消しますよね?」


「どうして。必要ないでしょう?」

「だって、こんな浮気者!」

 ルチアは叫び、ケネスは勝ち誇った顔でルチアを煽っている。


「続きは外でしましょう。パーティーの邪魔になっているわ」

 参加者全員が私たちに注目しているもの。周囲に謝るとふたりを促して、扉に向かう。


 それにしてもバルナバス殿下をみかけないわ。お休みをしているのかしら。

 と、前方の扉から当のバルナバス殿下が颯爽と入ってきた。


「おや」とバルナバス殿下。「三人揃ってどうした」

 私が経緯を簡単に説明し、ルチアとケネスにはバルナバス殿下に演技指導をしてもらっていたと明かした。


 ルチアがきつい目でバルナバス殿下をにらむ。

「ぽやぽやしたミランダ様ならともかく、バルナバス殿下は事実に気が付いていたのではありませんか。どうして彼女に演技なんてさせたんですか」

「面白かったから」


 その返答って……。

 もしかしてルチアの言うとおりに、知っていたということなのかしら。


「さて。ケネスに朗報だ」と笑顔のバルナバス殿下。「ミランダとの婚約は解消になった」

 ええ?

「どういうことだ!」とケネスがバルナバス殿下に迫る。


「ミランダは俺がもらう。案ずるな、ケネス。陛下とミランダの父親には相応の見返りを提供して、喜んでいただいている。お前にもよい縁談を用意する。お前の好みのタイプのな」

「ならばいい」とあっさり引き下がるケネス。


 ちょっと待って。

「バルナバス殿下、訳がわからないのですけど!」

「簡単だろ。ミランダは俺のものになったということだ」


「よかったな、ミランダ」と良い笑顔のケネス。「君は第二王子の妻ではもったいない。ぜひとも幸せになってくれ」

「うぅん、ケネス殿下よりはバルナバス殿下のほうがマシかしら」と呟くのはルチア。

 ケネスは『それじゃ』と一言、去って行った。


 これは一体どういうことかしら。


「もしかして下僕として仕えろということですか?」

「なぜそうなる」

 おかしそうに笑うバルナバス殿下。

「じゃあ、おもちゃ?」

 わたしをからかって遊ぶため、とか。


「お前なあ」

「だって、私が必死に練習をしているのを見て、面白がっていたのでしょう?」

 目に涙がにじんだ。

 この人が面白がっていること自体はわかっていた。けれど、私の目的を叶えるためという大前提はあるのだと思っていた。なのに。


「まったく。鈍すぎる」

 ぐい、と引っ張られ、次の瞬間キスをされていた。


「わかったか」とバルナバス殿下。

 いえ、胸が破裂しそうにドキドキしていて、なにがなんだかわからないわ!


「面白いというのは方便だ。黙っていたのは、状況を整えるのに時間がかかったのと」殿下が意地悪い顔で私の目をのぞきこむ。「ミランダを俺に惚れさせるのに手間取ったからだ」


 それって――


「いや、はっきり言わないとお前はわからないか」

 バルナバス殿下は私の手をとると、口づけた。

「友人のために、性格と真逆の女になろうと必死になっているミランダに一目ぼれした。この俺を惚れさせたんだ、覚悟して愛されろよ。返事は?」


 こんな都合のいいことが起こるものかしら。

 どうしよう。

 はいと答えていいのかしら。


「どうした」バルナバス殿下が眉を寄せる。「返事をきかせろ」


 答えに迷いながら、口を開いたそのとき、ガラスが割れる音が講堂内に派手に響いた。いくつもの悲鳴が上がる。


 振り返ると窓ガラスが割れ、そこから顔を隠した不審者が複数人入りこんできていた。

 逃げ惑う生徒たちがこちらに殺到する。


「いたぞ!」と叫ぶ侵入者。

「や、やめてくれ! なんなんだお前たちは!」

 人波に隠れて見えないけれど、聞こえた声は間違いなくケネスだった。


「大変だわ」

 彼のもとに駆けて行きたくとも、向かってくる人が多すぎて前に進めない。

「どこへ行くのですか、ミランダ様!」ルチアに手を掴まれる。

「あなたは逃げて。私は殿下を助けに行くわ」


 今日のことは全部おかしい。

 まるで悪役令嬢の断罪シーンのようなことが起きた。

 悪事を暴かれ、糾弾され、婚約が解消となる。

 でもその対象は私ではなく、ケネス。

 もしかしたらなにかの手違いで、彼が悪役令嬢のポジションにいるのかもしれない。

 だとしたらこのあと彼に起こるのは、悲劇的な運命ということになってしまう。


「貴様は国王に対する切り札にする!」

 そんな声が聞こえてきた。

 急がなければ。


「ミランダ!」

 今度はバルナバス殿下だった。

「すみません、殿下。ケネス殿下を見捨てるわけにはいきません。政略的な関係でしかなかったけれど、長い付き合いですもの」

「危険だ!」

「ですから殿下は急いで警備を呼んでください」


 彼の手を振り切って、奥に向かう。

 人は減り、逆行はだいぶラクになっている。

 ケネスを連れて、窓から出ようとしている侵入者が見えた。全部で三人。足りないから何人か、先に外に出たのかもしれない。


「待ちなさい!」

 叫ぶとケネスも侵入者たちも、一斉に私を見た。

「殿下を連れて行くなら、私も共に行きます!」

 叫びながら彼らに駆け寄る。


「はっ、純愛気取りかよ」

 ケネスを後ろ手にして拘束している侵入者が、嘲る。


 その男の顎に頭突きを食らわし、よろめいたところでお腹を蹴り飛ばす。

 すぐに方向転換し、剣で突いてきた二人目の足元にしゃがんで脛に蹴りを入れる。すぐさま床を転がり、振り下ろされた三人目の剣を避ける。立ち上がり攻撃しようとしたら――

 バルナバスがちょうどまわし蹴り蹴りを決めたところだった。

 三人目の体が吹っ飛び、窓から中へ入ろうとしていた仲間に激突する。


 タイミングを見計らったように、窓から扉から警備兵が走り込んでくる。立ち上がりかけた二人目の侵入者をバルナバスが蹴飛ばして、私を見た。

 ものすごく驚いているわ。


「……強い令嬢なんて、嫌いになりましたか」

 恐る恐る尋ねる。

 と、バルナバスは破顔した。


「最高だな! ますます愛しい!」

 大股で歩み寄ってきた彼に抱き寄せられる。


「さあ、返事を聞かせろ」

「……ええと。質問はなんでしたっけ」

 大立ち回りをしたら、忘れてしまったわ。好きかどうかだったかしら。微妙に違うような気がするのだけど。


「ほう。この俺の問いかけを忘れるとはいい度胸だ」顎を掴まれ、上を向かされる。黒曜石のような瞳が楽し気にきらきらと輝いていた。「もうさっきの返事はいらぬ。俺のことをどう思っているかを自分の言葉で教えろ、ミランダ」


 またも心臓が破裂しそうになっているわ!


「……惹かれています、殿下」

「ん? 聞こえないぞ」バルナバス殿下は悪い顔をする。

 すうっと息を吸い、大きな声が出るよう願って口を開く。

「とても意地悪です!」

「そうきたか」

「でも」また声が小さくなってしまう。「そんなところも、好きです」


 囁くような声量。だけどしっかりと届いたみたい。バルナバス殿下は満足そうに笑ったのだった。



 ◇◇



 誘拐犯は、国王の命で一網打尽にされた犯罪組織の残党だったらしい。学校の警備体制が問題になったけれど、一応は、落着した。


 私との婚約が解消になったケネスは、のびのびとナンパに明け暮れている。けれど成果は芳しくないようね。

 そしてルチア。ほかの攻略対象と恋愛を進めるのではないかと考えていたけど、その兆候はないみたい。


 もしかしたらこの世界が乙女ゲームの世界という想定が、間違っていたのかもしれないわね。



 ◇◇



 バルナバスの帰国に合わせて、私も彼の国に移住した。毎日、皇妃になるための教育を受けている。大変だけれど、バルナバスがいてくれるからがんばれる。


 ときには二人だけの秘密の場所で落ち合って、悪役令嬢の練習をしていたころを懐かしんだりする。

 今日もその予定だったのだけど。

 王宮の中の秘密スポット、池のほとりには先客がいるみたい。


「とんだ番狂わせだな。ミランダのせいか」

 との声が聞こえてきたのよ。発言主は低木のむこうに座っているのか、姿が見えない。足音を忍ばせてそちらへ近づく。


 茂みを覗くと、そこにいたのは第二王子だった。

「どういう意味ですか」

 王子がギャッと叫ぶ。


「私のせいというのは聞き捨てなりません」

 王子はため息をつき、めんどくさそうな表情で私を見た。

「言ってもどうせわからないさ。兄上はお前の国の学校で、悪役王子として断罪される可能性があったという話だ。意味不明だろ?」


 それって……


「殿下も前世の記憶があるのですか?」

「お前もか? だからこんなことになったのか!」

「いえ、記憶はあるのですが、状況はまったくわからないのです」

「なんだ」

 と、第二王子はがっかりとする。


「結局俺には運がないということか。兄上が死んでくれれば、俺が皇太子になれたものを」

「告げ口しましょうか」

「しらを切るさ」


 王子は笑い、だけど悪い人ではないみたいで、いやな感じがするものではなかった。


「ここはなんの世界だと思う」と王子が訊く。

「最初は乙女ゲームだと思っていたのですけど」

「惜しい。ここは乙女ゲームを模した百合ゲームの世界だ」


 百合とは女の子同士の恋愛だ、と王子が教えてくれる。


「ヒロインは」と王子。「新入生の男爵令嬢ルチア」

「やっぱり!」

 そこは間違っていなかったようね。

「攻略対象その一は公爵令嬢ミランダ」

「私!?」

「そうだ。悪役はふたり、ミランダの婚約者ケネス王子と、隣国からの留学生バルナバス王子」


 なんてこと。ケネスが悪役だったなら、辻褄がすべてあうわ。バルナバスに悪役の要素なんてこれっぽっちもなかったけど。


「運がよければ兄上は断罪されて、絶望から自ら死を選ぶはずだったんだ。なのに元気いっぱい、上機嫌で帰ってきやがった」


「だから、私のせいということですか」

「そうだ」

「ならば良かった! バルナバスもケネスも断罪されるような悪人ではないですもの」

「あんたが、そうしたんだろ。いい迷惑だぜ」


 王子はそう言うと、億劫そうに立ち上がった。


「兄上が来た。邪魔者は去るよ。――俺は自分で暗殺を企むほど度胸はないから、安心してくれ」

「姉弟として仲良くしていただけたら、嬉しいです」

 王子は肩をすくめ、離れていった。

 入れ違いでバルナバスが来る。

 すごく不機嫌そうだわ。


「あいつとなにを話していたんだ」

「あなたが留学から、元気いっぱい、上機嫌で帰ってきたお話」


 バルナバスがは現金にも笑顔になる。

「当然だな。最愛の伴侶を手にいれたんだ。幸せでなにが悪い」


 こんな彼が絶望して自死だなんて。

 あの日あの時、高笑いの練習をしていて本当によかったわ。


 伸びあがって、バルナバスの頬にキスをする。

「私もとても幸せよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【コミカライズ】悪役令嬢らしい高笑いを練習していたら、俺様皇太子に攻略されたのですが 新 星緒 @nbtv

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ