第22話 ストライキ②
薄暗くなった頃だった。ハッチの入口で、見張りをしていた漁夫が、駆逐艦がやってきたのを見た。
——慌てて「糞壺」にかけ込んだ。
「しまったっ!!」学生の一人がバネのようにはね上った。見る見る顔の色が変わった。
「勘違いするなよ」吃りが笑い出した。「この、俺たちの状態や立場、それに要求などを、士官たちに詳しく説明して援助をうけたら、かえってこのストライキは有利に解決がつく。分かりきったことだ」
ほかの者も、「そりゃァそうだ」と同意した。
「我帝国の軍艦だ。俺たち国民の味方だろう」
「いや、いや……」学生は手を振った。余程のショックを受けたらしく、唇を震わせている。言葉が吃った。
「国民の味方だって?……いやいや……」
「馬鹿な!——国民の味方でない帝国の軍艦、そんな理屈なんてあるはずがあるか!?」
「駆逐艦が来た!」「駆逐艦が来た!」という興奮が学生の言葉を無理矢理に揉み潰してしまった。
皆はドヤドヤと「糞壺」から甲板にかけ上った。そして声を揃えていきなり、「帝国軍艦万歳」を叫んだ。
タラップの昇降口には、顔と手に包袋をした監督や船長と向い合って、吃り、芝浦、威張んな、学生、水夫、ボイラー夫たちが立った。薄暗いので、はっきり分らなかったが、駆逐艦からは三隻汽艇が出た。それが横付けになった。十五、六人の水兵が一杯つまっていた。それが一度にタラップを上ってきた。
あっ!銃の先に剣を装備しているではないか!そして帽子の顎紐をかけている!
「しまった!」そう心の中で叫んだのは、吃りだった。
次の汽艇からも十五、六人。その次の汽艇からも、やっぱり銃の先に剣をつけて顎紐をかけた水兵!それらは海賊船にでも躍り込むように、ドカドカっと上ってくると、漁夫や水夫、ボイラー夫を取り囲んでしまった。
「しまった!畜生やりやがったな!」
芝浦も、水夫、ボイラー夫の代表もはじめて叫んだ。
「ざまァ、見やがれ!」
——監督だった。ストライキになってからの、監督の不思議な態度がはじめて分かった。だが、遅かった。
有無を言わせない。「不届者」「不忠者」「ロシア野郎を真似する売国奴」そう罵倒されて、代表の九人が銃剣を突き付けられたまま、駆逐艦に護送されてしまった。それを皆、訳が分からず、ぼんやり見とれている。短い間だった。全く、有無をいわせなかった。一枚の新聞紙が燃えてしまうのを見ているより、他愛なかった。
——簡単に片付いてしまった。
「俺たちには、俺たちしか、味方が無えんだな。はじめて分かった」
「帝国軍艦だなんて、大きなことをいったって大金持ちの手先でねえか、国民の味方?おかしいや、クソくらえだ!」
水兵たちは万一を考えて、三日間、船にいた。その間じゅう、上官たちは毎晩サロンで、監督たちと一緒に酔っ払っていた。
——そんなものさ。
いくら漁夫たちでも、今度という今度こそ、誰が敵であるか、そしてそれらが(全く意外にも!)どういうふうに、お互いが繋がり合っているか、ということが身をもって知らされた。
毎年の恒例で、漁期が終わりそうになると、蟹缶詰の献上品を作ることになっていた。しかし乱暴にも、献上品にもかかわらず別に常に斎戒沐浴して作るわけでもなかった。そのたびに、漁夫たちは監督をひどいことをするものだ、と思ってきた。
——だが、今度は完全に違ってしまっていた。
「俺たちの本当の血と肉を搾り上げて作るものだ。フン、さぞうめえこったろ。食ってしまってから、腹痛でも起さねばいいさ」
皆そんな気持ちで作った。
「石ころでも入れておけ!かまうもんか!」
「俺たちには、俺たちしか味方が無えんだ」
それは今では、皆の心の底の方へ、底の方へ、と深く入り込んで行った。——「今に見てろ!」
しかし「今に見てろ」を百遍繰りかえして、それが何になるか。
——ストライキが惨めに敗れてから、仕事は「畜生、思い知ったか」とばかりに、過酷になった。それは今までの過酷にもう一つ更に加えられた監督の復讐的な過酷さだった。限度というものの一番端を越えていた。
——今ではもう仕事は堪え難いところまで行っていた。
「——間違っていた。ああやって、九人なら九人という人間を、表に出すんでなかった。まるで、俺たちの急所はここだ、と知らせてやっているようなものではないか。俺たち全部は、全部が一緒になったというふうにやらなければならなかったのだ。そしたら監督だって、駆逐艦に無線は打てなかったろう。まさか、俺たち全部を引き渡してしまうなんてこと、できないからな。仕事が、できなくなるもの」
「そうだな」
「そうだよ。今度こそ、このまま仕事していたんじゃ、俺たち本当に殺されるよ。犠牲者を出さないように全員で、一緒にサボることだ。この前と同じやり方で。吃りが言ったでないか、何より力を合わせることだって。それに力を合わせたらどんなことができたか、ということも分っている筈だ」
「それでもし駆逐艦を呼んだら、皆で——そのときこそ力を合わせて、一人も残らず引き渡されよう!その方がかえって助かるんだ」
「んかも知らない。しかし考えてみれば、そんなことになったら、監督が第一慌てるよ、会社の手前。代わりを函館から取り寄せるのには遅すぎるし、出来高だって問題にならないほど少ないし。……うまくやったら、これァ案外大丈夫だど」
「大丈夫だよ。それに不思議に誰だって、ビクビクしていないしな。皆、畜生!って気でいる」
「本当のことをいえば、そんな先の成算なんて、どうでもいいんだ。——死ぬか、生きるか、だからな」
「ん、もう一回だ!」
そして、彼らは立ち上った。——もう一度!
***
附記
この後のことについて、二、三つけ加えておこう。
イ、二度目の、完全なサボは、まんまと成功したということ。まさかと思っていた、面食らった監督は、夢中になって無線室にかけ込んだが、ドアの前で立ち往生してしまったこと、どうしていいか分らなくなって。
ロ、漁期が終わって、函館へ帰港したとき、サボをやったりストライキをやった船は、博光丸だけではなかったこと。二、三の船から赤化宣伝のパンフレットが出てきたこと。
ハ、それから監督や雑夫長たちが、漁期中にストライキのごとき不祥事を引き起こさせ、製品高に多大の影響を与えたという理由のもとに、会社があの忠実な犬を、無慈悲に涙銭一文さえくれず、漁夫たちよりも惨めに馘を切ってしまったということ。面白いことは、「あ——あ、悔しかった!俺ァ今まで、畜生、騙されていた!」と、あの監督が叫んだということ。
ニ、そして、組織、闘争——このはじめて知った偉大な経験を担って、漁夫、年若い雑夫たちが、警察の門からいろいろな労働の層へ、それぞれ入り込んで行ったということ。
——この一篇は、「植民地における資本主義侵入史」の一頁である。
(一九二九・三・三〇)
底本:「蟹工船・党生活者」新潮文庫、新潮社
1953(昭和28)年6月28日発行
1968(昭和43)年5月30日32刷改版
1998(平成10)年1月10日89版
初出:「戦旗」
1929(昭和4)年5月、6月号
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