第20話 決起
監督は慌て出した。
漁期が過ぎるなか、例年のペースと比べて、漁獲高ははっきりと減っていた。他の船の様子を聞いてみても、昨年よりももっと成績が良いらしかった。二千箱は遅れている。
——監督は、これはもう今までと同じくお釈迦様のようにしていては駄目だ、と思った。
本船は移動することにした。監督は絶えず無線電信を盗み聞かせ、他の船の網でもかまわずドンドン上げさせた。二十海里ほど南下して、最初に揚げた渋網には、蟹がモリモリと網の目に足をひっかけてかかっていた。たしか××丸のものだった。
「君のお陰だ」と、彼は監督らしくなく、無線局長の肩を叩いた。
ほかの船の網を上げているところを見つけられて、発動機船がやっとのことで逃げてくることもあった。他船の網を手当り次第に揚げるようになって仕事が尻あがりに忙しくなった。
―――――――――――
仕事を少しでも怠けたとみなしたときには大焼きを入れる。
徒党をなして怠けたものにはカムチャッカ体操をさせる。
罰として賃金を棒引き、函館へ帰ったら、警察に引き渡す。
いやしくも監督に対し、少しでも反抗を示すときは銃殺されるものと思うべし。
浅川監督
雑夫長
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この大きなビラが工場の降り口に貼られた。監督は弾を詰めっぱなしにしたピストルを始終持っていた。なんでもないときに、ふと、皆の仕事をしている頭の上でカモメや船のどこかに見当をつけて、威嚇のように撃った。ギョっとする漁夫を見て、ニヤニヤと笑った。
それは全く何かの拍子に本当に撃ち殺されそうな不気味な感じを皆にひけらかした。
水夫、ボイラー夫も完全に動員された。勝手に使いまわされた。船長はそれに対して一言もいえなかった。船長は看板になってさえいれば、それだけで立派な一役だった。
前にもあったことだった——領海内に入って漁をするために、船を入れるように船長が強要された。船長は船長としての公の立場から、それを侵すことはできないと頑張った。
「勝手にしやがれ!」「頼まないや!」といって、監督たちが自分たちで、領海内に船の錨をさしてしまった。ところが、それがロシアの監視船に見つけられて、追跡された。そして訊問になり、自分がしどろもどろになると、卑怯にも退却してしまった。「そういう一切のことは、船としてはもちろん船長がお答えすべきですから……」無理矢理に押しつけてしまった。
全く、この看板は、だから必要だった。それだけでよかった。
そんなことがあってから、船長は船を函館に帰そうと何遍も思った。が、それをそうさせない力が——資本家の力が、やっぱり船長をつかんでいた。
「この船全体が会社のものなんだ、分かったか!」ウァハハハハハと、口を三角にゆがめて、背のびするように、無遠慮に大きく笑った。
——「糞壺」に帰ってくると、吃りの漁夫は仰向けにひっくり返った。残念で、残念で、たまらなかった。漁夫たちは、彼や学生などの方を気の毒そうに見るが、何もいえないほど、ぐっしゃりとつぶされてしまっていた。学生の作った組織はクズ紙のように役に立たなかった。
——それでも学生はわりかし元気を保っていた。
「何かあったら跳ね起きるんだ。その代わり、その何かをうまく掴むことだ」といった。
「これでも跳ね起きられるかな」
——「威張んな」の漁夫だった。
「かな——?馬鹿。こっちは人数が多いんだ。恐れることはないさ。それにあいつらが無茶なことをすればするほど、今のうちこそ内へ、内へとこもっているが、火薬よりも強い不平と不満が皆の心の中に、詰まるだけ詰まっているんだ。——俺はそいつを頼りにしているんだ」
「道具立てはいいな」威張んなは「糞壺」の中をグルグル見回して、
「そんなやつらがいるかな。どれも、これも…………」
愚痴っぽくいった。
「俺たちが愚痴っぽかったら——もう、終わりだよ」
「見ろ、お前えだけだ、元気のええのは。——今度事件起こしてみろ、命懸けだ」
学生は暗い顔をした。「そうさ……」といった。
監督は手下を連れて、夜三回まわってきた。三、四人が固まっていると、怒鳴りつけた。それでもまだ足りなく、こっそりと自分の手下を「糞壺」に寝かせた。
——皆の足どりは、頑丈な鎖が現実に脚に引きずっているように重かった。鎖が、ただ、眼に見えるか見えないかだけの違いだった。
「俺ァ、きっと殺されるべよ」
「ん。んでも、どうせ殺されるって分かったら、そんときゃァやるよ」
芝浦の漁夫が、「馬鹿!」と、横から怒鳴りつけた。「殺されるって分かったら?馬鹿ァ、いつだ、そりやァ。
——今、殺されているんじゃねえか。小刻みによ。
あいつらはな、上手なんだ。ピストルは今にも撃つように、いつでも持っているが、なかなかそんなヘマはしないんだ。あれはそういう手なんだ。
——分かるか。あいつらは、俺たちを殺せば、自分たちの方が損するってわかっているんだ。
目的は——本当の目的は、俺たちをウンと働かせて、万力にかけてギイギイ搾り上げて、しこたま儲けることなんだ。そいつを今俺たちは毎日やられてるんだ。
——どうだ、この滅茶苦茶は。まるで蚕に食われている桑の葉のように、俺たちの身体が殺されているんだ」
「んだな!」
「んだなも、クソもあるもんか」厚い掌に、煙草の火を転がした。「ま、待ってくれ、今に、畜生!」
あまりに南下してしまい、身体の小さい女蟹ばかりが多くなったので、場所を北の方へ移動することになった。それで皆は残業こそさせられたが、久し振りに少し早めに仕事が終わった。
皆が「糞壺」に降りて来た。
「元気ねえな」芝浦だった。
「こら、足ば見てけれや。ガクガクって。階段ば降りれなくなったで」
「気の毒だ。それでもまだ一生懸命働いてやろうってんだから」
「誰が!——仕方ねんだべよ」
芝浦が笑った。「殺される時も、仕方がねえか」
「…………」
「まあ、このまま行けば、お前ここ四、五日だな」
相手はその言葉に、イヤな顔をして、黄色っぽくむくんだ片方の頬とまぶたをゆがめた。そして、黙って自分の棚のところへ行くと、端へ膝から下の足をブラ下げて、関節を掌刀で叩いた。
——下で、芝浦が手を振りながら、しゃべっていた。「吃り」が、身体をゆすりながら、相槌をうった。
「……いいか、まァ仮に金持ちが金を出して作ったから、船があるとしてもいいさ。水夫とボイラー夫がいなかったら動くか。蟹が海の底に何億っているさ。
仮にだ、いろいろな支度をして、ここまで出掛けてくるのに、金持ちが金を出したからとしてもいいさ。俺たちが働かなかったら、一匹の蟹だって、金持ちの懐に入って行くか。いいか、俺たちがこの一夏ここで働いて、それで一体どのくらい金が入ってくる。
ところが、金持ちはこの船一隻で純手取り四、五十万円って金をせしめるんだ。
——さあ、んだら、その金の出所だ。無から有は生まれずだ。
——分かるか。なァ、みんな俺たちの力さ。
——んだから、皆そう今にもお陀仏するような不景気なツラするなっていうんだ。うんと威張るんだ。肚の底の底のことになれば、あっちの方が俺たちをおっかながってるんだ。嘘じゃない。ビクビクすんな。
水夫とボイラー夫がいなかったら、船は動かないんだ。
——労働者が働かねば、ビタ一文だって、金持ちの懐にゃ入らないんだ。さっきいった船を買ったり、道具を用意したり、支度をする金も、やっぱり他の労働者が血を絞って、儲けさせてやった——俺たちからしぼり取って行きやがった金なんだ。
——金持ちと俺たちとは親と子なんだ……」
監督が入ってきた。
皆まごついた恰好で、ゴソゴソしだした。
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