帰郷

 陣は長い間電車に揺られた。

 夕焼けは紺の空に変わり、背の高い都会の景色は平坦でのどかな景色へと変わっていった。まるで少しずつ過去へタイムスリップしていくような錯覚を受ける。

 途中のターミナル駅で路線を乗り換えるために列車から降りた。ホームから階段を下っていき、連絡通路に出る。人が多かった。東京で仕事をして帰ってきた人たちがたくさんいる。陣に対して向こうから道を開けてくれる人間はいない。前ばかり気にしていると後ろからぶつかられる。人込みの通行は一苦労だ。だけどその苦労ももうすぐ終わりになるかもしれない。陣は誰かに殺されることすら不可能になる。

 一度改札から出て、駅構内を移動する。何かお土産でも買っていこうかとも思ったが、受け取ってくれる人はいないだろう。

 別の改札から再び中に入る。都会の人は名前も知らないマイナーな路線だ。しかも陣が上京した後に名称が変わったらしい。シンプルな名前だったのが聞き慣れない横文字の名前に変わっていた。もはや懐かしさすらない。こうやって過去の思い出は廃れていく。

 陣はホームに上がり、終点で折り返し待機をしている列車に乗り込んだ。乗客はだいぶまばらだ。

 発車時刻になり、ドアが閉まって静かに発車した。

 窓から見える夜の景色は、都会に比べて光が少ない。心なし車内も薄暗く見えた。駅と駅の間隔が長く感じる。実際長いのだろう。

 目的の駅に到着し、陣は列車を降りた。ホーム上には数えるほどしか人がいなかった。階段を下っていき、改札から出る。

 静かな駅前だった。半数ほどしか営業していない商店街を通る。それからマンションの横を通り、坂を下った。そして今度は坂を上がっていく。自転車でよく通った道だ。下りはよいのだが上りがきつい。陣はいつも自転車から降りて歩いて押さなければならなかったが、兄は必ず立ち漕ぎで坂の上まで上っていった。そこで勝ち誇ったような顔で陣を待っている。

 兄の背中は大きかった。

 小さい時よく通ったチェーン店ではないコンビニの横を通る。道行く人はほとんどいないのに、通過していく車の数だけはやたらと多い。車社会の土地に帰ってきた。

 陣は記憶を確かめるように道を進んでいく。歩行者信号が青になるのを待ち、交差点を渡った。

 その先はもう信号もなかった。ひたすら住宅が立ち並ぶ。

 細い道を通り、奥まった場所に進む。

 二階建ての住居が見えた。ついこの間やってきた場所だ。

 それなのに、今はその建物がどこか不気味に見えた。

 まだ寝るには早いだろうに、家のどこにも明かりが点いていない。母は出かけているのだろうか? 父は退院しただろうか?

 ただ陣が会いにきたのは、その二人ではない。

 兄はきっとここにいる。自分たちの思い出が一番詰まったこの場所に。

 陣は実家の門の前に立った。

 家は城のようにそびえ立っている。陣はそこから見えない圧力を感じた。空の月は雲に隠れて見えない。

 インターフォンを押した。しばらく待ったが、反応がない。家の中から物音もしなかった。

 陣は門を開けて中に入り、段差を上がった。玄関のドアの前に立つ。

 ドアの向こう側で、誰かが息を潜めてじっとこちらを観察している気がした。それが妄想にすぎないとしても、陣の恐怖をかき立てた。

 風が凪いでいる。周囲から何の音も聴こえない。

 陣の手の平にじとっと手汗が滲んだ。

 時が止まっているような気がした。

 外にいるのに、閉じ込められている感覚があった。

 陣の右手がドアの取っ手に伸びていった。まるで操られているかのように。

 陣は心を決め、自分の意思でドアの取っ手を引いた。ドアが手前に開く。鍵がかかっていない。

 中はやたらと暗かった。靴置き場からフローリングに上がる段差がかろうじて見えた。その先は闇に溶け込んでいる。

 陣は家の中に一歩足を踏み出した。

 だがその足が床につく感覚がなかった。床に穴が開いている。

 重心が崩れ、陣は闇の中へ落ちていった。

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