サヨナラノウタ
穏やかな日差しが降り注ぐうららかな朝だった。
陣は斎場に入り、式場の中で告別式の準備をしていた。近くには浮かない顔で佇む白いワンピースの女の子がいる。
「大丈夫?」
陣は女の子に声をかけてみたが、彼女はうんともすんとも言わない。かなり思い詰めている様子だ。
告別式の時間が近づいてくると、喪服姿の男の子が姿を見せた。昨日この場で暴れた男の子だった。
男の子は陣を見つけると、迷った様子を見せた後、陣のほうへ近づいてきた。
「き、昨日は、ごめんなさい」
そう言って男の子が頭を下げた。昨日と打って変わって殊勝な態度だ。
陣は男の子に言葉をかけようとしたが、男の子が背中に背負っているものが気になった。
「それは?」
陣が尋ねると、男の子はショルダーを肩から外して前に置いた。それはヴァイオリンのケースのように見えた。
「これ、一緒に燃やしてほしいんです」
はっと息を吞む気配があった。振り返ると、女の子がすぐ近くにいた。口元に両手をあてて表情を隠している。陣は前を向いて男の子を見た。
「燃やすって、もしかしてご遺体と一緒に?」
「はい」
「これはきみのもの?」
「はい」
「どうして燃やすの?」
男の子は俯き、押し黙った。
「だめ」
女の子がそう言った。しかし男の子にはその声は届かない。
「約束したんです。一緒に弾こうって」
男の子の目尻に涙が溜まり出した。
陣は女の子が生前ピアノを習っていたことを聞いていた。コンクールにも出ていたという。
「それなのに、勝手にいなくなって」
男の子は袖で涙を拭う。
「約束破って」
男の子は両の拳を握り締めた。
「もうヴァイオリン弾く意味なんてない」
式場の入り口に人影が見えた。
「だから」
男の子の両親がやってきた。謝罪をし、男の子を連れていく。
陣はその場に残された女の子を見た。
女の子は両手で顔を覆っていた。
告別式が始まった。黒崎の案内のもと式が進められていく。
お経が唱えられ、お焼香をした。
男の子も式に出ていたが、ずっと項垂れていた。
陣は傍らの女の子を見た。気持ちの整理がつかず混乱しているような表情に見えた。
「大丈夫?」
陣は小声で尋ねたが、女の子は返事をしない。聞こえていないわけではないはずだ。
「きみは、どうしたい?」
そう尋ねると、女の子が顔を上げて陣を見た。
「俺なら、きみの願いを聞き届けられる」
女の子は目を開いてじっと陣を見つめた。
「さあ、言ってごらん」
女の子は迷っている様子だったが、やがて意を決して陣に囁いた。
陣は大きく頷いた。
それから司会をしている黒崎に静かに近づき、話をした。
黒崎はサングラス越しに陣を見据えた。この人は相変わらず何を考えているかわからないが、小さく頷き了承してくれた。
式が中断し、戸惑いの表情を浮かべる弔問者たちもいたが、陣は構わず行動に移る。
これは彼女のための式なのだ。
陣は男の子の前まで進み、言った。
「きみにヴァイオリンを弾いてほしい」
男の子は驚きの表情を浮かべた。
彼が疑問を口にする前に、陣は言った。
「彼女が聴きたがってる」
男の子の表情が目を開けたまま停止した。陣の言葉を飲み込んだ後、まばたきが再開される。
「本当に?」
「うん」
陣は式場の奥のほうを振り返った。
「彼女は今、祭壇の前にいる。きみの演奏を待ってる」
「……わかった」
男の子は立ち上がり、傍らに置かれたケースからヴァイオリンを取り出した。
会場内がざわつき出す。
男の子は前に進み出た。
ヴァイオリンを構える。
そして弓が引かれた。
軽やかに走り出す旋律。
切なげな音色。
情感に満ちた響きが空間を震わせた。
女の子は胸の前で両手を合わせた体勢で聴き入っている。
男の子は瞳を閉じ、緩やかに体を揺らせながらヴァイオリンを弾いた。
会場はすぐにその音色に引き込まれた。
伸びのある高音。
山場に向けさらに舞い上がる。
風のように。
陣は鳥肌が立った。
男の子の閉じた目の端から、涙が滲み出した。
それでも力強く弦を震わせていく。
女の子の体が動いた。合わせていた両手が解かれ、指が開かれていく。
女の子はそこには無い鍵盤を叩いていた。
二人がメロディを奏でていた。
男の子はぎゅっと歯を噛みしめ、頬には涙が伝っている。
想いを音に込めて。
響いた。
陣はここではない情景が浮かんだ。
風に飛ばされた花びらが舞っている。
色鮮やかな花畑。
二人だけがそこにいた。
男の子は顔をくしゃくしゃにして。
涙でいっぱいにして。
それでも手を止めなかった。
彼女に届けようと。
女の子が男の子に近づいた。
彼女は穏やかな表情だった。
男の子は最後の音を弾き切った。
そして目を開けた。
目を見開いた。
男の子はそこに何かを見た表情をしていた。
「ありがとう」
女の子が男の子の手を取った。
彼女の体が光に包まれていく。
男の子の開いた目から涙が流れ続けていた。
そっと風に吹かれるように、光が散っていく。
女の子の体が消えていく。
男の子は口を開けて何かを言おうとしたが、それは声にはならなかった。
二人の光景を眺めていて、陣は一つのことを悟った。
自分がなぜこの仕事に就いたのか。
きっと心のどこかで、その日が来ることがわかっていたのだろう。
さよならをしなければならない。
だけどそれは、忘れることではない。
忘れないために。
送らなければならなかった。
大切なあの人を。
女の子の葬儀を最後まで終えた後、陣は黒崎と杏子を呼び出した。斎場の廊下で二人と話をする。
「今までお世話になりました」
陣は二人に向けて言った。
黒崎が虚を衝かれたような顔で陣を見た。
「えっと、陣くん。だったよね。お世話になりましたって、仕事辞めるってこと?」
「辞めるつもりはないんですけど。もしかしたらもうお二人に会えなくなるかもしれないと思って」
「旅にでも出るのかい?」
「まあそんなようなものです」
「一応冗談のつもりだったんだけど」
「ありがとうございました。王さんにもよろしくお伝えください」
皐月の話だと、次リミナルスペースに入るようなことがあれば、人々の記憶から陣の存在は消えてしまうだろう。これが彼らと話せる最後のチャンスかもしれなかった。陣はもう覚悟を決めたのだ。
挨拶を終えて陣が去ろうとすると、上着の袖を掴まれ引っ張られた。
振り返ると、悲しそうな杏子の顔が見えた。
「行かないでください」
杏子が猫のように大きな瞳で陣を見据えている。
陣は穏やかに笑った。
「大丈夫だよ。ちゃんと帰ってくるから」
杏子の瞳が揺れる。
「離して」
「嫌です」
「離して」
「嫌です」
「離して」
「嫌です」
「ごっつあんです」
黒崎がいらぬ口を挿んできた。
杏子が自分を引き留めてくれることは、陣は嬉しかった。だけど行かなければならない。
「杏子」
「はい」
「ジャンケンポイ」
陣はグーを出した。杏子は反射的に掴んだ袖を離してチョキを出した。
「あっち向いてホイ」
陣は指を差す。杏子が横を向いた。
陣はその隙に回れ右をして歩き出した。
また三人で『
近くに陣たちの様子を眺めていた皐月がいた。
「いってらっしゃい」
陣がすれ違った時に、皐月がそう声をかけてくれた。
「行ってきます」
陣は斎場を出た。
向かうべき場所は決めていた。兄がいるところの見当はついている。
陣は澄んだ空を見上げた。
あの女の子は無事に旅立つことができただろうか。
天国に行けただろうか。
残された者にできることは、ただ祈ることぐらいだ。
せめて安寧に。
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