決意
キシキシ。
キシキシ。
それは、長い長い廊下を歩いていた。
等間隔に蛍光灯が光る一直線の廊下。
終着の無い、どこまでも伸びる道。
歩くごとに、視界が揺れる。
右に、左に、ゆらゆらと。
キシキシ。
足跡を刻むように、進むごとに記憶が剥がれ落ちていく。
自身を構成する意識を失っていく。
あとに残るのは、ただ深い哀しみ。
キシキシ。
終焉が近い。
自分が消えて無くなる前に。
一言。
あいつに。
さよならを。
陣は街中の公園にいた。満月が光る夜空の下、ベンチに座って何もせず佇んでいる。
視界に着物を着た女性の姿が見えた。彼女は黙って陣の隣に座った。
風が吹き、木々を揺らせる。
「あなたの知りたいことは、知ることができた?」
その皐月の声はこれまで聞いた中で一番優しい響きだった。
陣は一度皐月に顔を向けて、それから前を向いた。
「忘れてはいけないことを、思い出しました」
「そう」
木の葉の擦れ合う音が間を埋める。
「彼は、いつもあなたの傍にいた」
陣は再び皐月に顔を向けた。
「あなたは気づいていないようだったけど、私には初めから見えていた」
皐月は遠くを見ながら語っている。
「彼はとても不安定な存在で。時に少年の姿であったり。時に恐ろしい化け物の姿であったり。ただいつだってあなたを守ろうとする意思が感じられた」
風が止んだ。
「そして今は、いなくなった」
二人の間に静寂が流れる。
空に光る月はいつだって何も言わない。
兄は陣のもとから去っていった。
全てを知られてしまったから。
醜い姿を陣に見せたくないから。
「リミナルスペースは、トンネルのようなもの」
皐月が沈黙を破った。
「こちら側と向こう側。二つの想いが交差して、扉が開く」
陣が彷徨ったリミナルスペースでは、必ず化け物となった兄の姿があった。兄は自分と遊びたかったのかもしれない。姿も思考も歪んでいきながらも。
「これ全部、あの御仁からの受け売り」
「ごじん?」
陣は訊き返したが、皐月は答えなかった。
「あなたはこれから、どうするの?」
皐月が真っ直ぐ陣を見据えて、問いかけてきた。
陣の腹は既に決まっている。
「兄に会いに行きます。言いたいことがたくさんあるので」
「そう。でもあなた、今の自分の状況わかってる?」
「自分の状況?」
「もし次リミナルスペースに入ったら、あなたはもうこの世のものではなくなってしまうかもしれない」
「はい。それがどうかしましたか?」
皐月の面食らったような表情を陣は初めて見た。
「兄はたった一人で、ずっと自分を見守ってくれていたんです。そんな兄を、自分の身可愛さに放っておくことなんてできますか?」
「へえ。あなたたちってお互いブラコンだったの?」
「え、なんて?」
「いいえ、なんでも」
「あの化け物と接触して、感じました。兄は終わらせたがっています。その役目は、俺にしかできません」
「役目、ね」
皐月はふっと笑った。
「まあ勝手にしたら」
「はい、勝手にします」
「とりあえず、今日は帰って休みなさい。焦っても何も上手くいかないわ」
「はい。いろいろとありがとうございます」
「どうしてお礼を?」
「面倒見ていただいて」
「ま、あなたを見ていると心配になるから。彼の気持ちがちょっとわかる」
「皐月さん。今度あなたの話も聞かせてください」
「私の?」
「今の俺ならなにか力になれるかもしれないので」
「まあ生者とも死者とも話せる便利な存在なんてなかなかいないしね。でも結構よ」
「どうして?」
「気が乗らないってやつ?」
陣は皐月の想い人が誰なのか気になった。
陣はボロアパートの自宅に帰ってきた。
「ただいまー」
部屋に入り、明かりを点ける。
陣は部屋の中を見回した。
「小次郎?」
小次郎がベッドの上で寝ている
小次郎がいなくなっていた。
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