都市伝説
歩いているうちに日が暮れた。陣は着物姿の女性、皐月と一緒に公園の中を歩いている。皐月の姿は普通の人間には見えないので、陣は一人で歩いているように見えるだろう。
陣は皐月について、まだ名前ぐらいしか知らない。しかし彼女は陣について何かしら知っているようだ。少なくとも、自己紹介をする前から陣の名前を知っていた。
皐月が公園の散歩路にあるベンチに座った。近くに人けはない。遠くに犬の散歩をしている人間が見えるだけだ。
陣は皐月の隣に腰を下ろした。皐月は美人だが、おそらく陣より一回り以上年上だろう。相手は幽霊のはずだが、緊張した。
「今、私の年齢のこと考えたでしょ」
見事に言い当てられ、陣は反応に困った。その反応が図星であることを伝えてしまっている。
「当ててみて。いくつだと思う?」
困った質問だ。何が正解なのかわからない。実際の年齢を当てるべきなのか、それより若干低く見積もるべきなのか。どう答えるにしろ、博打にしかならない。
「年齢を感じさせないほどお綺麗です」
「はあ? なにそれ、遠回しにババアだって言ってない?」
「言ってません。どう考えても褒めてます」
「じゃあ、いくつ?」
「今はそんなこといいでしょう」
「そんなこと?」
「あ、いや」
口を開くたびに墓穴を掘りそうな気がして陣は押し黙った。
「まあ、まだ綺麗なうちに死ねたほうかな」
悲しみを含んだ声がして、陣は皐月に目を向けた。
「やっぱり、亡くなっているんですね」
「そりゃそうでしょ。あなたにしか見えないんだから」
皐月は陣にビッと人差し指を向けた。
「さて、あなたの話をしましょうか」
風が吹いて、木の葉の擦れる音がした。
「今日一日過ごしてみて、どうだった?」
皐月はまるで全てを知っているかのような口ぶりだ。彼女は一体何者なのだろう?
「いろいろありましたよ」
「まるで自分の存在を忘れられたみたいだったり。自分の姿が認知されていないみたいだったり」
陣は目を見開いて皐月を見た。彼女がずばり言い当てたからだ。
「どうしてわかるんですか?」
「私のことはいいの。あなたの話をしなさい」
「はい。あなたの言った通りのことが起きています」
「今日が初めてではないでしょう? これまでにも起きていたことがあるはず」
「少し前には名前だけを忘れられました」
「そして?」
「幽霊が見えるようになりました。それでさらに声が聞こえ、会話できるように」
「そう。そしてそのきっかけとなった出来事は?」
「……リミナルスペース」
「正解」
皐月は楽しげに笑っていた。
「あなたはリミナルスペースに行くたびに、近づいてるの」
「近づいてる? 何に?」
「今日の出来事を振り返ってごらん。あなたは普通の人間から認知されなくなってきている。逆に、親密になったものがあるはず」
「……もしかして」
「そう。あなたは今、幽霊になる過程にいるの」
そんな馬鹿な話があるだろうか? しかしそう考えるとしっくりくるものがある。
「それに、あなたが向かっているのは、死ではない。ただの幽霊になることではない。もっと残酷なもの」
「何ですか?」
「この世に存在しなかったことになる」
そこで話の内容が陣の思考の許容範囲をオーバーした。一気に情報が雪崩れ込みすぎだ。
「あなたは初めからいなかったことになるの。姿が見えなくなるだけじゃない。あなたにまつわる記憶が人々から消え失せることになる」
陣は思考の停止した虚ろな瞳で皐月を見つめることしかできなかった。
「ここまでの話、理解できた?」
「いいえ」
「そう。まあ仕方ないか」
「あなたが言っていることは本当なんですか?」
「どう捉えるかはあなた次第。自分で考えなさい。そうね」
皐月はぺろっと舌を出して考える素振りをした。
「明日、あなたにとって重要となる真実を教えてあげる」
「何ですかそれは」
「だから、明日教えるって言ってるでしょ。今日はもう家に帰って、考えを整理しなさい。そして、明日の仕事終わりでまたこの場所に来るように」
和風の装いに反するように早口で話した皐月は、口を閉ざした。これで本当に話は終わりのようだ。
彼女に訊きたいことはたくさんあったが、今は頭がパンクしている状態だ。彼女の言うように一度整理する必要があるだろう。彼女は明日もまた会ってくれると言っているのだから、訊きたいことは明日訊けばいい。
陣はしばらく放心したように虚空を見つめた後、重い腰を上げた。
「そうそう。一つ言い忘れてた」
陣は皐月を振り返る。
「走ってる車とかに気をつけてね。今あなたの存在は気薄になっているから。轢かれてもただ死ぬだけよ。まあでも……いえ、なんでないわ。おやすみなさい」
陣がその場を去っていった後、皐月は元来た道を戻った。
すれ違う人間は誰も彼女に気づかない。体が接触してもそのまま通過する。
この世に存在することを許されていないように、世の理からはみ出した存在だ。
皐月は生前、舞台役者として活動していた。着物もその名残だ。
皐月は葬儀社の近くにある、中華料理屋の『
店内の一角に、サングラスをかけた黒崎の姿があった。中国人留学生の王さんがテーブルに料理を並べている。
「今日はお一人なんデスネ」
「ん、ああ」
「珍しいデス」
王さんが去っていき、黒崎は一人で料理を摘まみ出した。
皐月は黒崎の正面の席に座った。まったくの無表情で料理を食べている黒崎を観察する。
皐月の生前の旦那は、こんなに近くにいても彼女に気づくことはなかった。
皐月が生きていた時は、よく二人でここで夕食を食べた。皐月の死後、自宅で一人で食事をしたくない黒崎は、職場の後輩を誘ってここで食事をするようになった。皐月はその楽しげな様子を、いつも黙って傍で眺めていた。
黒崎はこれまでに何度も自殺を試みている。自室でロープを使って首を通す輪っかを作るが、毎回ぎりぎりのところで怖気づいて実行することはない。皐月は意気地なしな彼を見ていると可笑しくて笑った。
黒崎がいつまでも葬儀屋の現場で働き続けているのは、彼が死に魅入っているからだ。それは自分のせいでもあると皐月は思っている。生きているうちに、もっとちゃんとした言葉で気持ちを伝えておくべきだった。黒崎は皐月の後を追おうとしている。死んだら会えると思っているのかもしれない。だが皐月はそんな自らの意思で死を選ぶような男と会うつもりはなかった。醜くてもいいからせいぜい生き抜いてみせろ。
死に憑りつかれた黒崎の思考は、思わぬ余波を生んだ。
黒崎はリミナルスペースに関する掲示板に投稿を行っている。それはネット上で各々が考えた怪談を持ち寄って話を作っていく掲示板だった。都市伝説を作り出している場と言っていい。
黒崎が考えたリミナルスペースには、「LEVEL」という概念があった。仮に放り込まれたリミナルスペースから脱出できたとしても、その「LEVEL」が繰り上がっていく。死者へと近づいていくかわりに、死者との接触が可能になっていく。
そして最終的に、その者は人々から忘れ去られ存在しないも同然の状態となるというものだ。
そんなものはただの素人が考えただけのオカルト話だ。
ただ果たしてそうだろうか?
人々の記憶から消え去られるということは、生きている人間はその者の存在を認識することができない。姿形が見えないものはもちろん、そんな人間がいた痕跡も見つけることができなくなる。そのため、そんな与太話が絶対にないと言い切るのは不可能だ。気づかないうちにそういうことが起こっても、その者の全てを忘れてしまうから。
涼風陣は、可哀想な青年だった。いや、違う。本当に可哀想なのは彼ではない。
明日、彼は真実を目の当たりにするだろう。
皐月は正面に座って料理を口に運ぶ黒崎を見据える。
黒崎が掲示板に残した話に意味があるかどうかはわからない。だけど皐月は、このサングラス姿の御仁を一発ひっぱたいてやりたかった。尻拭いをさせられるこちらの身にもなれ。
きっと黒崎は皐月に会いたいのだろう。だからあんな胡散臭い都市伝説を考えた。自分も死者へと近づいていき、会話をしたい。それが黒崎の願いだ。
皐月から話を聞いた陣は、まだ公園にいた。散歩路を歩きながら、考えを整理しようとしていた。
その時突然背後から足音が聴こえた。ダッダッダッと勢いよく走ってくる足音だ。
陣は後ろを振り向いた。女性らしいシルエットが見えて陣にぶつかってきた。
杏子だった。両手に何かを握り、それを陣の腹に押しつけている。
陣の体にナイフが突き刺さっていた。
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