LEVEL2
ショッピングモール
陣は足の裏から着地し、バランスを崩して床に転がった。体勢を立て直し、体を起こす。
ショッピングモールの一階だ。左右に衣類の店が立ち並ぶ、広い通路。
何の異常もない。ただ一点、人々が消えたことを除けば。
またか。またやってきてしまった。この不気味な空間に。
怖いほどに静かだ。陣はこのただっ広い空間にただ一人。不思議だった。同じ場所なのに、人がいないだけでこんなにも印象が変わるなんて。
陣は周りを警戒しながらゆっくりと歩き出した。自分の足音がやけに響く。
目についたブティックに入ってみた。メンズとレディースどちらもある。ハンガーを外してTシャツを手に取ってみた。ちゃんと本物だ。Tシャツをラックに戻して奥に進む。レジ付近にも誰もいない。わかっていたことだが。
ブティックを出て、左右を見渡す。
空間はただ静かに佇んでいる。
「おーい、ブタ。いるか?」
声がやけに反響する。返事はなかった。ブタがいてどうなるということはないが、一人は心細かった。ブタでもいいからいてくれたほうがましだ。
陣は静寂のショッピングモールを歩いていく。
人がいて、声が聞こえて、音楽が鳴っている。そういう普段のこの空間の雰囲気がないと、なぜだか目に見える光景が作り物のように感じられた。まるで映画のセットのような。現実感が気薄になるのだ。
ひとまず出口に向かってみよう。これまでの経験からして、そこからすんなり出られるとは思えないが。
陣は左右に並ぶ専門店を眺めながら進んでいく。
途中でトイレに繋がる横道があった。そちらに目を向けると、うねうねと動いているものがいた。
蜘蛛のような、烏賊のような、巨大な黒い化け物だ。
化け物は無数の細長い肢体を動かしながら、これまた顔のような部分にある無数の赤い瞳で、陣を捉えた。シュー、というガスが抜けるような音がした後、化け物は陣に向かって節くれだった黒い腕を勢いよく伸ばしてきた。
陣は回れ右をして駆け出した。ショッピングモールのつるつるの床をひた走る。
後ろから、ドタドタドタと、地響きのような振動と音が響いてくる。その振動は陣の体を揺らし、恐怖を煽った。追ってきている。
化け物から姿を隠したい衝動に駆られた陣は、先ほど入ったブティックに駆け込んだ。ラックの間を通り抜け、店の奥にある試着室の中へ。
陣は土足のまま駆け込み、サーとカーテンを閉めた。
胸を押さえ、はち切れそうな心臓を鎮めにかかる。恐怖のせいで呼吸が思うように治まらない。
ブティックの前辺りで、化け物が発生させる振動が止まった。
陣は折れ目の入った無地のカーテンを見つめながら、じっと耐える。
何の音もしなかった。そのことがかえって恐怖を増幅させていく。カーテンの向こう側で、化け物がこちらに注目している気がした。
陣は息を殺し、祈るしかなかった。ここに隠れていることに気づかれたら、もう逃げ場はない。
キシキシ。
情緒を不安定にさせる甲高い音が響いた。化け物が出す音だ。
キシキシ。
音が近づいてくる。握った拳が汗で滑った。
キシキシ。
化け物が試着室のすぐ外にいる気配があった。カーテンを隔てたほんの数十センチ。
陣はホラーゲームの登場人物にでもなった気分だった。そして疑問に思う。化け物の立場からすれば、さっさと開けて確かめてみればいいのだ。いないならいない、いるならいるで。にもかかわらず、ホラーの演出ではじっくりと恐怖を煽ってくる。陣はまるで化け物に弄ばれているような気がした。
まだゲームオーバーになりたくない陣は、試着室の中で恐怖に耐え忍んだ。ルビーを散りばめたような化け物の無数の目がこちらを窺っているイメージが浮かぶ。
陣は早くお家に帰りたかった。帰って、ベッドの上でブタと添い寝したい。
キシキシ。
化け物が動き出した。
キシキシ。
陣の願いが通じたのか、音は遠ざかっていく。
安堵した陣は、振り返って試着室の中にある鏡を見た。
「うわっ!」
陣は短く叫んでしまい、慌てて両手で口を押さえた。
鏡に映っている陣の姿は、骸骨だった。陣と同じ体勢で、同じ服を着ている骸骨が、こちらを見ている。
化け物の出す音が止まった。陣の声が聞こえてしまったかもしれない。
鏡の中には、みっともなく両手を口に当てて震えている骸骨がいる。
しばらくするとまた音が鳴り、化け物の気配は遠くに消えた。
陣は大きく息を吐き出す。毎度毎度なぜ自分はこんな目に遭わなくてはいけないのか。自分が一体何をしたっていうんだ。
怒りの感情が湧いて恐怖を若干緩和した陣は、試着室のカーテンをゆっくりと開けた。外には何もいない。陣は試着室から出た。元の世界に戻ってからも、しばらくは試着室に入りたくないと思った。
陣はブティックの入り口まで移動し、そこからショッピングモールの広々とした通路を見渡した。化け物の姿は見えない。
陣が移動を開始しようとすると、突然目の前に浮かび上がるものがあった。
二人の人間だ。
一人は陣より少し背の低い少年。もう一人は小学校低学年ぐらいの小さな少年。
二人とも、ぼさぼさっとした同じような癖毛。陣に背中を向けているので顔は見えない。二人の少年は向こうを向いて並んで歩いている。
「陣、迷子になるなよ」
大きいほうの少年が、小さいほうの少年に向かって言った。陣と呼ばれた小さい少年は、後ろから見ていて心配になるほどふわふわっとすぐにその辺に飛んでいってしまいそうな不安定な足取りだ。
大きい少年が、歩きながら黙って片手を横に差し出した。陣と呼ばれた小さい少年は、黙ってその手を掴んだ。
二人は手を繋いで歩いていく。
そして消えた。煙のように。
陣はその場で立ち尽くし、今目にした光景を整理しようとした。
しかし遠くのほうで黒い化け物が動いている姿を確認した。陣は反対方向へ急いで通路を移動する。
あれは、小さいころの俺? だけど、もう一人いた大きいほうの少年は誰だ?
できるだけ音を立てないように走りながら、陣は頭で考えた。
考えても、答えは見つからなかった。
自分は一人っ子のはずだ。脳がそう記憶している。
しかし、本当にそうなのか?
考えに夢中になりながら移動していた陣は、ショッピングモール内にあるゲームセンターの前にやってきた。
懐かしい場所だ。このショッピングモールに来たら必ず寄っていた場所。両親が買い物している間、ここで遊んでいた。
陣の足は自然とゲームセンターの中へ向かった。
入口付近はクレーンゲームがたくさんある。中にある商品を眺めていると、つい欲しくなってしまう。人は手の届かないものこそ欲しくなるのだ。
奥のほうへ行くと、バスケットのゲームがあった。本物のバスケットボールをゴールのリングにシュートして得点を稼ぐゲーム。
陣の前で、二人の少年の姿が浮かび上がった。
大きい少年が、バスケットのゲームに挑戦していた。連続でどんどんシュートを決めていく。
傍にいる少年がすごいすごいとはしゃぎながら手を叩いて飛び跳ねている。
大きい少年は、普通ではなかなか到達することのできない三ステージ目に突入していた。
今なら自分だってそれぐらいできるぞ、と陣はなぜか大きい少年に対抗意識を燃やした。
二人の少年は消えた。
キシキシ。
近くから化け物の音がして、陣は体を強張らせた。
クレーンゲームの器械の向こう側に化け物の頭が見えた。何かを探るようにゆっくり移動している。幸いまだこちらに気づいてはいないようだった。
陣は腰を曲げて頭を低くし、化け物の死角になるように動いた。
化け物はゲームセンターの中に入ってきた。
陣は息を殺しながら、化け物と対角線上になるように移動していく。
じわっと全身から汗が吹き出してきた。こんな追われる者の恐怖は、日常生活では味わわない。陣はサングラスをかけたスーツ姿の男たちに追いかけられるテレビ番組の出演者にでもなった気分だった。
集中を切らさないようにして、慎重に化け物から隠れていく。ゲームセンター内は死角となる物が多くて助かった。
キシキシ。
化け物はゲームセンターをぐるっと一周回るように動き、そして通路へ出ていった。
陣はふーっと大きく息を吐いた。
そしてその音が聴こえた。
ピーンポーンパーンポーン。
『涼風陣様、涼風陣様、至急三階の■■■■■■までお越しください』
ピーポーパーポーン。
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