見える
「陣さん、どこ見てるんですか?」
「えっ?」
式場の中。杏子に言われて、陣は彼女に視線を戻す。しかし寝巻き姿の老人が気になってしまいちらちらとそちらに目が向いてしまう。遺影の写真と同じ顔をした老人を。
「陣さん」
「な、何?」
杏子の語気が若干強くなっている。怒っているのかもしれない。
「今、私と話しているんですよね」
「あ、ああ」
「私を見てください」
「うん」
「私だけを見てください」
「えっ?」
なんか怖いぞその発言。
そこまで言われても、陣はつい老人のほうに目を向けてしまう。老人は設置されている祭壇をしげしげと眺めていた。
「杏子、そこに人がいるけど」
陣は杏子の後方、老人のいるほうに指を差した。
杏子はくるっと首を後ろに回して、それからまたすぐ陣のほうを向いた。
「もういいです」
杏子はプイッと首を振って陣から離れていった。よくわからないうちに怒らせてしまったようだが、今重要なのはそのことではない。彼女の反応から察するに、杏子にはあの老人の姿が見えていない。二人だけだと思っていた空間に突然見知らぬ人間が出現したら驚くはずだ。
もしかしなくても、あの老人は、幽霊というやつだろうか? 自分にもついに見えてしまったのだろうか? 現在あの老人の体は霊安室で保管されているはず。勝手に棺桶から出て動き出したわけではないだろう。今そこにいるのは、体から抜け出した魂なのか?
陣が老人を凝視しながら考えを巡らせていると、老人がこちらを向いた。
目が合った。
そして、老人は消えた。ぱっと。煙みたいに。
見間違えか? いや、そんなことはない。確かに寝巻き姿の皺くちゃ顔の老人がそこにいたはず。
「陣さん。サボっていないで手を動かしてください」
杏子からの風当たりが強くなっている。
「あのさ、杏子」
「口より手を動かしてください」
「ごめんって」
陣は祭壇の台の上に灯籠を設置した。すると台の上部からにょきにょきにょきと老人の頭が生えてきた。
「うわあああああ」
喪服を着た参列者たちが集い、式場で通夜が行われていた。
お坊さんがお経を唱えている。
その神妙な空気の中、遺影と同じ顔の寝巻き姿の老人が、盆踊りを踊りながら式場の中を愉快に歩き回っていた。陣は式場の隅で待機しながら、その様子を眺めている。
死んで体が軽くなったのだろうか。踊り回る老人は楽しげだ。まるで悲嘆に暮れる遺族たちをからかうようにふざけて笑っている。
その老人の姿は、陣にしか見えていないようだった。
祭壇の前には棺が設置され、その中には故人の遺体が収められている。しかしもはや故人の精神はそこにあらず、体から飛び出して踊り回っている。陣はその姿が気になって仕方なかった。
老人がお坊さんの近くに移動した。何をするつもりなのかと注目していると、老人がお坊さんの頭皮丸出しのつるつるの頭に手の平を置いてすりすりと撫でつけ始めた。
「お、おい」
陣は思わず声を出してしまった。近くにいる参列者たちが陣のほうを向いた。
「あ、すみません」
陣は頭を下げる。近くで待機しているサングラスの黒崎も陣のほうを向いていた。
陣は顔を上げて再度状況を確認する。老人はお坊さんの頭をすりすりしてご満悦の表情を浮かべていた。実際に頭に触れているわけではないだろう。老人には実体が無いのだから。誰にも咎められる心配がないためにやりたい放題である。ずいぶんとお茶目な死人だ。やられているお坊さんもまったく気づいていない。無理に我慢しているわけではないだろう。
見慣れているはずの葬儀の光景が、まったく別物に変化していた。葬儀の当事者である故人がほっつき歩くなんて。最近の自分の身には一体何が起こっているのか。陣は大きく溜め息を吐き、自身のこの先を案じた。
この日の仕事を終えると、陣はいつものように黒崎と杏子とともに中華料理屋の『
奇妙で不気味な空間に引き込まれることといい、幽霊らしきものが見えるようになったことといい、事件が立て続けに起こりすぎている。葬儀屋という特異な仕事をすることで、疲れているのだろうか。美味しい料理でも食べて、一度気持ちを落ち着かせたい。
「いらっしゃいマセ」
中国人留学生の王さんが明るく声をかけてきた。
「やあ、王さん、元気?」
陣は軽い気持ちで尋ねた。
すると王さんは不思議そうな顔で陣を見た。
「ん? どうかした?」
「えっと」
王さんは少し申し訳なさそうにこう言った。
「あなたのお名前は何デスカ?」
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