楽しい行楽

 良い天気だ。絶好の行楽日和。

 杏子とはアミューズメントパークの最寄り駅で待ち合わせをしていた。開園する九時の三十分前、朝の八時三十分。さらにその五分前に駅の改札外に陣が到着すると、杏子が既に待っていた。

 ベージュのニットセーターに、チェックのフレアスカート。ふんわりとした温かみのある印象。ちょっと意外だった。彼女の私服は全身真っ黒だと勝手に思い込んでいたからだ。

「おはよう」

「おはようございます」

 陣の挨拶に杏子が静かな声を返してきた。彼女はいつも囁くような声で喋る。

「えっとじゃあ、どうする? そろそろ帰ろうか?」

 陣が冗談でそう言うと、杏子が黙って睨みつけてきた。怖い。彼女なら本当に毒でも盛って殺しかねないから。

 アミューズメントパークの入り口まで、モノレールで向かう。車窓から園内の景観が見えてワクワクしてきた。

 こうやって杏子と二人でどこかへ出かけるのは、初めてだ。少し緊張する。杏子も同じように緊張しているようだった。

 彼女はどういうつもりで誘ってきたのだろう? 単純にこのアミューズメントパークへ来たかっただけで、同伴は誰でもよかったのかもしれない。声をかけやすかったのが陣だったというわけだ。それとも、陣のことを特定の相手として見ているのだろうか?

「今日の朝何食べた?」

 モノレールの車両の中、向かいのシートに座っている杏子に陣は尋ねた。

「トーストと、目玉焼き。それにサラダも」

「へえ、目玉焼き。杏子は料理するの?」

「たまに。嫌いではないです。目玉焼きは」

「ん?」

「目玉焼きは、人間の目玉を焼いたわけではありません」

「……」

 もう少しで、今日彼女と過ごす予定を立てたことを後悔するところだった。

「面白くなかったですか?」

 杏子が意外そうな表情で陣を見た。

「はっ、はははは、ははは。なんだジョークだったのかあ。面白いねえ」

 陣は引きつった愛想笑いで対応した。彼女の場合面白さよりも怖さが勝ってしまう。

 杏子は唇を隠すように口を結んで、若干俯いた。彼女なりに気を遣い、場を和ませようとしたのかもしれない。結果的には逆効果だったわけだけど、その意思は尊重されるべきものだ。

「まっ、今日は楽しく行こうぜ」

 陣がそう言うと、杏子は顔を上げて小さく微笑んだ。



 入口のゲートの前では、開園前から多くの人が並んでいる。こんな朝早くから来るなんて、ご苦労なことだ。まあ自分たちもその中の一人なわけだが。

「入ったらまず何に乗る?」

 陣はチケットを買う列に一緒に並んでいる杏子に尋ねた。

「なんでもいいです」

「えっ。いろいろ乗りたいものがあったから来たんじゃないの?」

「私はキャラクターに会いたかったんです」

「ほう。一緒に写真でも撮りたいの?」

「キャラクターの着ぐるみ。表情が変わらないのに動いているんですよ。まるで死体が動いているみたいに思えませんか?」

「……」

 陣は今日彼女と過ごす予定を立てたことを、本格的に後悔し始めた。

 たまに、キャラクターの着ぐるみに恐怖を感じる人がいるという話を聞く。ピエロを見て怖いと思うのと似たようなものかもしれない。だけどそれを死体のように感じて愛着を持つ人間はなかなかいないだろう。

「まあいろいろ探索してたらそのうち会えるでしょ。もし会えたら俺が一緒の写真を撮ってあげるよ」

「ありがとうございます」

 チケットを購入し、パークに入園した。まず広場があり、噴水の中に巨大な地球儀が設置されている。

「久しぶりに来たな」

 陣は独り言を呟いた。大人になってから来たのは初めてな気がする。

 前に来た時は誰と一緒に来たんだっけ?

「陣さん」

 杏子に呼ばれて顔を向ける。

「あれに乗りましょう」

 杏子が指差しているのは、上階のほうが幅の広い歪な形をした高い建物だった。大きなホテルのような。

「いきなりそれかあ」

 陣はあまり気が進まなかった。それはフリーフォール型のアトラクションだ。急降下する浮遊感のあるものは少し苦手なのだ。それにアトラクションまでの道中も演出が不気味で、さらにその中で杏子の隣を歩かなければならない。

「嫌ですか?」

 陣の不満そうな顔を見て、杏子が心なししょんぼりした。

「いや、大丈夫だよ。それにしよう」

 二人はそのアトラクションに向かった。



 まだ開園したばかりなので、それほど並ばずにすいすいと建物の中を進んだ。様々な装飾品の並ぶ通路を歩いていく。途中で呪いの人形のようなものの演出があり、雰囲気が引き立てられた。

 アトラクションの入り口に到着し、キャストから説明を受ける。荷物はどうするやら、シートベルトを締めるやら。シートベルトを締めろと言われた時点で、それ相応の何かが起こると言われているのと一緒だ。

 エレベーターを模した空間のシートに着き、従順にシートベルトをした。一緒にアトラクションに乗るゲストは二十人ぐらいか。陣は隣に座る杏子の顔を覗いた。

「機械の故障による事故で、ここにいる全員死んだりしないですかね」

 陣は杏子から顔を逸らせた。今の発言は聞こえなかったことにしておこう。

 アトラクションが始まり、人形の演出が入る。それからエレベーターが上昇していった。周囲から悲鳴が上がり始める。

 前方に現れた窓からパークの景色が見えた。かなり高い。これも怖がらせる演出の一つだ。

 それから一気に急降下。周りからは悲鳴。

 浮遊感の最中、ぎゅっと何かに左の手首を掴まれた。

 見ると、杏子が歯を食いしばって恐怖に耐えながら陣の腕を握り締めていた。他のゲストたちのように悲鳴を上げたりせず、健気にじっと耐え忍んでいる。彼女がこんなに怖がるなんて、意外だった。

 エレベーターは何度か急上昇と急降下を繰り返す。その間杏子はずっと陣を掴んで離さなかった。

 待ち時間の長さに比べ、アトラクションはあっという間に終わる。建物から出て、お日様の下に来た。

 パークの明るい景観に戻ってきたところで、陣は杏子を振り返った。

「どう? 怖かった?」

 陣が尋ねると、杏子が小刻みに首を何度か上下に振った。

「へえ。なんか」

「何ですか?」

「怖がる杏子、可愛いね」

 杏子は目を見開いて陣を見つめ、パッと頬が赤く染まった。それから恥ずかしそうに顔を逸らせた。

「そういうところ、もっと出していっていいんじゃない?」

「そういうところって何ですか?」

 怒ったように言う杏子も女の子っぽくて可愛らしかった。死体は得意でも、浮遊感は得意ではないようだ。

 開園から時間が経ち、園内にいる人の数も増えてきた。とても賑やかで、楽しい雰囲気。陣はパーク全体のこの雰囲気が好きだ。仕事ばかりの憂鬱な毎日に、一筋の陽光が差し込んでいるかのよう。

 その後も二人は様々なアトラクションを楽しんだ。火山の中を駆け抜けるジェットコースター。潜水艇に乗って見る深海の世界の冒険。3D眼鏡をかけて観る迫力のマジックショー。

 楽しい気分にどっぷりと浸かっていく。

 そろそろ昼食時だということで園内のレストランを探していると、アトラクションもない場所に人だかりができていた。何かのイベントなのかと覗こうとすると、突然音楽がかかりみなが踊り出した。パークのキャストだけでなく、一般客も一緒になって愉快な踊りを踊っている。観客巻き込み型のダンスイベントだ。そして輪の中心に声を出して場を盛り上げるキャストと、着ぐるみのネズミのキャラクターがいた。

「おーい杏子、いたぞ」

 陣はキャラクターに会いたがっていた杏子を呼んだ。

 陣も周りの振りつけに合わせて一緒に踊り出した。こういう時のノリは良いほうだ。杏子はさすがに恥ずかしいらしく、黙っておとなしく成り行きを見守っている。

 陣は輪の中心にいるキャラクターを見た。大きな黒くて丸い二つの耳に、鼻の穴のないまん丸の鼻。縦長の大きな目に、まるでハート型のように口角の上がった笑顔の口元。

 キャラクターを眺めていると、なんだか妙な感じがした。

 なんか来そうだ。

 周りから音が消えていく。

 潜在意識に意識を奪われていく。

 既視感がやってきた。

 視界に亀裂が入った。

 キャラクターの顔がすぐ目の前にあった。鼻と鼻がくっつきそうなほどに。

 陣は体の自由を失った。

 そして落ちた。

 更なる階層へと。

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