32 COMMON GOODNESS:悪意の中の小さな決意

「アルマ=イクス=フィリデイ。アナタとの婚約を────破棄いたします」



 青天の霹靂、だった。


 風がそよぐ午後の庭園で、オレはそんな宣告を受けていた。

 目の前にいるのは、ふわふわとした金髪をそよ風に靡かせた高貴な印象の少女。フラムジア=イクス=アンガリア──オレの暮らすこの王国の第一王女にして、オレの……婚約者。くっと口を真一文字に引き結んだその表情は、彼女の言葉が何の悪ふざけでもないことを物語っていて。

 視界の端にちらつく、紺色の髪をサイドテールにした少女の後頭部が妙に意識を搔き乱す。



「──な、ぜ……」



 ようやく絞り出したオレの声は、掠れてすらいただろう。

 思っていた以上に、オレの中で彼女との繋がりというのは大きなものになっていたのかもしれない。成り行きで結んだ婚約にそれほどの価値を見出していたことに、自分で自分に驚いたくらいだ。

 ……いや、本当に……オレって、そこまでフランさんとの婚約を自分の拠り所にしていたっけ?

 …………ん? 何かおかしくない?



 ────意識が、ザッピングする。



 ガッ!! と、胸倉を掴み上げられる衝撃で、オレはハッとした。

 我に返ると、目の前にはちょうどシュヴィアさんの顏がどアップになっていた。……その表情には、明らかな怒りが宿っている。

 それだけで、この真面目な人が許せないほどの何かをオレがしでかしたのだとよくわかった。



「お前が……!! 気付いていない訳がないだろう! あの人がどういう想いで婚約の破棄を申し出たのか……!!」



 胸倉を掴み上げられたせいで、息が苦しい。

 それでもオレはそんなことお構いなしに感情的になって反論する。



「分かっていたら、何だって言うんだよ!! フランさんの想いを無視して手を掴み続ける!? それが彼女の足を引っ張ることだと分かっていてもか!!」


「だからこそだろうが!! 何とかしてやってくれよ!! あの人が──っていう時に!! 婚約者のお前がどうしてその手をあっさりと放せるんだよ!!!!」



 ……へ? 廃嫡? フランさんが? …………いやぁー、流石にそれは……。

 いや、確かにあの人は敵を作りやすいタイプではあると思うけどね? 利害関係が明確かつ目的が極端だから。どう足掻いても利害調整がつかない人は敵になるしかない。性格が苛烈だから──、良くも悪くも理性的で誠実すぎるからこそ、敵が明確になりやすすぎる。

 でも、だからといって世渡りが下手という訳では全くないぞ? 少なくとも、次期国王街道は独走中だし、そんな状態でいきなり廃嫡なんていうゲームオーバーを引くほどフランさんの手腕は弱くない。

 少なくとも、現時点ではそんな兆候は一切……本当に一切ないくらいだ。


 ……………………あのこれ、ドッキリ?



「やめろシュヴィア! 今はそんな話をしている場合ではないだろう!」



 胸倉を掴み上げていたシュヴィアさんを突き飛ばして、経理のシュケルさんが割り込んでくる。突き飛ばされて尻餅を突いたシュヴィアさんを庇うように、ネヴィアちゃんやアズトリア先輩達、紺色の髪をサイドテールにした少女が駆け寄っていく。

 怒り心頭のシュヴィアさんを見下ろしながら、シュケルさんは息を荒げてこう続けた。



……アルマにばかり全てを押し付けるな!!!!」



 ……は?


 …………はぁ?



「いや、あの、ちょっと」



 実家が滅ぼされた? あのお母様がいるのに? ……ってところは置いておくとしても、そんな情報があったらオレが知らない訳ないよな? それって絶対におかしいよな?

 思わず声をかけるが──その場の全員は、オレの言葉なんて聞こえていないみたいに素知らぬ顔だ。

 シュヴィアさんを助けに庇った紺色の髪をサイドテールにした少女だけが、こてんと小首を傾げている。ちょっと可愛いのが腹立つが──


 ──いや、違う。

 これ……素知らぬ顔なんじゃない。。時間が停止したみたいに──そよ風も、人の呼吸も、全てが止まっている。

 その中で、よくよく見ればとても見慣れた顔をした少女だけが──首をかしげている。『何を今さら、こんなことにリアクションしているんだ?』と言いたげな顏で。



「……っていうか」



 現実感の剥離した世界で。


 起きたカタストロフの追認ではなく、この後に起こりうる予見の中で。



「さっきからお前は何なんだよ!? オレの周辺人物で一っ度も出てきてないような外見しといて色々とウロチョロしやがって!!」


「あ? オレ? オレは…………未来で功績スコアが一〇〇〇点を超え『聖者』になったアルマ=イクス=フィリデイがこの時代で発現したリンカーネイトだけど?」



 …………………………。




「──そんなわけあるかあっ!?」



 ……がばっ!! と、オレはそこで目覚めた。


 …………ゆ、夢か。

 何だったんだ、今の夢……。本当に変な夢だった……。昨日の一件があったから、ナイーブになってんのかな……。オレ……。

 いや、実際『リンカーネイト:オーバーライド』が悪用される件については本当に色々と夢に出て来たんだよ。毎晩ではないけど、二晩に一度は夢に出て来てた。オレが関与できないところで『リンカーネイト:オーバーライド』が大々的に公表されたらどうしようとか、そういうことも色々考えていたからな……。思えば、学園に入学する前のオレはだいぶナーバスだったんじゃないかと思う。

 でもなぁ……未来でオレが『聖者』になるところまでは百歩譲ってあり得るとして、それが過去にあたる今の時代でリンカーネイトとして発現する? ……どうやって? あまりにも荒唐無稽すぎない?

 なんかあまりにもインパクトがありすぎて、他にも色々夢を見ていたような気がするけど全然思い出せないし……何なんだマジで。

 っていうか、功績スコアだって言うてオレはまだ九一二点だしね。生涯で一〇〇点稼ぐ貴族だって稀なんだ。早々『聖者』になんてならないっての。


 そう思いながら、オレは自分の功績スコアを確認してみる。


 功績スコア:九二五点。


 ………………増えとる…………。



 オレは不貞寝した。




   ◆ ◆ ◆



 あの後、オレは目覚めたアザレアと共にメイヴィスの構成式を修正した。

 メイヴィスの構成式そのものを取り払うのが正直なところ理想ではあったのだが(メイヴィスも同意してたし)、此処で『「リンカーネイト:オーバーライド」によって発現したリンカーネイトは術者の意志で解除できない』という特徴が絡んできてしまい……。

 ちょっとしたマイナーチェンジくらいの変更ならば通るのだが、リンカーネイトそのものを一度解除再発現しないといけないような構成式の変更は、リンカーネイト側が受け付けてくれなかったのだ。

 というわけで、メイヴィスの消滅は断念。アザレアは今後一生、死ぬまでメイヴィスをリンカーネイトとすることとなった。



「いやあ、昨日はお疲れ様でした☆」



 ──そんなわけで、本日も休講の『学園』にて。

 オレとフランさんとデーアは、三人でいつもの庭園のベンチに座っていた。いや、正確にはデーアはベンチの横に立っているだけだが。


 まずアザレアだが──実はまだ、結論が出ていない。

 当然ながら、彼女のやっていたことはかなりの大問題だ。罪、と言ってもいい。

 何せやったことが、『商工勢力』のボスの拉致になりすまし、自作自演パラダイスで『外交勢力』を唆して結果的にトップを陥落させ、挙句の果てに図書館で大戦闘である。幸いにも駄目になった本はなく乾燥と繊維補正の付与エクイップ魔法で事なきを得たので、そういう意味で深刻な物的被害はないが……人的被害は深刻だ。

 この責任は、当然ながらアザレア本人が取らなくてはならない。いくら彼女の母が世界の理不尽さの犠牲になったとはいえ、それはそれ、これはこれだ。

 だが──


 ──そうなると、必然的にメイヴィスのことが表沙汰になっちゃうんだよなぁ!!



「……あの、フランさん」


「分かっていますわ。アザレアの関与を知っているのは、我々のみですから」



 困ったようにフランさんに声をかけると、フランさんも心得ているようで、あっさりと頷いてくれた。

 そう。アザレアの身柄だが、今はメイヴィスが確保してくれている。結論が出るまでは自室に軟禁状態で、諸々の対応が決まったらアザレアにはその沙汰に従ってもらうつもりだが……。



「ぶっちゃけ、アザレアの罪については揉み消そうと思っているんですの」



 と。

 フランさんはあっさり、そんなことを言った。



「……え、良いの?」



 それが意外だったので、オレは思わず首をかしげてしまった。

 いや、正直オレとしてはそっちの方が助かるんだけどさ……。そういうのって、あんまりよくないんじゃないの?



「彼女の罪を立件する過程で『リンカーネイト:オーバーライド』の存在が公表される方が問題でしょう? ……わたくしは正直この技術、広く伝えたいと強く思いますが……あの脅威を見た後では、流石にアルマの言い分が正しいと認めざるを得ませんわよ」



 やれやれと、フランさんは肩をすくめる。

 ……ほっ、よかった。此処の部分でフランさんと対立するのが一番怖い部分だったからな……。ひとまずフランさんの理解が得られて本当によかった。



「ただ、もしも将来的に『リンカーネイト:オーバーライド』を公表しても、社会的に問題ない情勢になったなら。その時はわたくしの責任においてアザレアの罪を立件し、改めて沙汰を下そうと思いますわ」


「それは……妥当だと思いますね」



 沙汰を下すと言ったフランさんの瞳は、少しだけ苦しそうに揺れていた。

 だからオレは、そっと彼女の手の上に自分の手を重ねる。

 ……アザレアは、この世界の理不尽とそれによって歪んだ国内法によって母を失った訳だしな。国の頂点に立つ人間としては、その存在に対して少なからず思うところがあるんだろう。

 そこにくらいは、オレも寄り添ってあげたい。



「ただ、それによって生じる他の面々への不利益は解消しないといけませんわね」



 切り替えるようにして。

 そう言うと、フランさんは勢いよく立ち上がる。……色気も何もない人だ。まぁ良いけども。

 オレも合わせて立ち上がって、フランさんの横に並ぶ。



「具体的には、どうするの?」


「まず、イスラの濡れ衣については『真犯人は不明』としつつ晴らしましょう。彼女は囚われていて、それまでの彼女は替え玉だったと。被害者たる我々が証言すれば、少なくともイスラの失脚は撤回されるはずですわ」



 大分乱暴ではあるが、まぁ言う通りになるだろう。

 そうすれば『商工勢力』についてはある程度元通りに戻るだろう。細かな齟齬は出てくるかもしれないが、そこはこちら側が外部からフォローしてあげればいい話だ。



「じゃあ、『外交勢力』は?」


「…………」



 問いかけられて、フランさんは沈黙してしまった。……何も考えてなかったんかい。

 多分、濡れ衣を着せられたイスラの信用回復のことばっかり考えてたんだろうなあ……。



「……それはその、そもそも『外交勢力』は黒幕の策とはいえ自分の意志で口車に乗ったわけですし、そこはある種自業自得というか……?」


「没落した元トップ『派閥』に関しては、ウチの下働きとして拾おうね? そうすれば外聞もよくなるでしょ」


「分かりましたわ……」



 よかったね、リグドーン君。お先真っ暗にはならずに済んだみたいだよ。




   ◆ ◆ ◆




「という訳で、妾が今日からこの『派閥』付きの専属メイドとなったメイヴンだ。よろしくな」



 それからしばらくして。

 いつもの庭園にて『王女派閥』のフルメンバー(アザレア含む)が集まった後に、メイヴィスがそんな自己紹介をする。

 服装は昨日のような巫女服ではなく、この学園のメイド服だ。ちょっと横柄なのが玉に瑕だが、随分と似合っている。


 ──もちろん、メイヴィスのことをリンカーネイトだと紹介する訳にはいかない。

 だが、アザレアのことを拘禁することができない以上、だからといってメイヴィスをいつまでもどこかに隠していることはできないだろう。

 そんな時に、閃いたのだ。


 ある程度大きな『派閥』には、専属の従業員をつけることができる。

 これは『派閥』自体が生徒達の自学グループとして認められていて、『前世』で言うところの部活的な立ち位置を認められているからだ。

 いうなれば、同好会が部活に認められたから、相応の予算がつくというのに近しい。

 『王女派閥』は大立ち回りを経て新入生や上級生からの加入希望もそれなりに来ているし、『外交勢力』の元トップ『派閥』くらいなら組み込もうと思えば組み込める新進気鋭の『派閥』なのだ。つけようと思えば、メイドの一人や二人くらいはつけられる。

 そういう体でメイヴィスをメイドとして雇うことで、上手いことメイヴィスの死蔵を回避したというわけだ。



「メイヴンには、主に我々の溜まり場となっている庭園の管理を任せようと思いますわ。何かあれば彼女に確認なさい。シュヴィアには確認しないこと。いいですわね?」


「「「はーい」」」



 あ、フランさんの確認にアズトリア先輩とマーシャ先輩とキーエ先輩が元気よく返事した。あの人たちなんだな……何でもかんでもシュヴィア先輩に確認とって手を煩わせていたのは……。



「……い、いよいよ大所帯になるんだな。なんだか緊張してきただろ、下っ端なのに」



 状況の変化を感じ取ったのだろう。

 今まで六人という小規模『派閥』を率いて来たパトヴァシア先輩が、身震いをしてみせる……が。



「はぁ? 何を他人事みたいなことを言っていますの。アナタは元『パトヴァシア派閥』人員の管理と調整の為に我々オリジナルメンバーと同権限の幹部になるに決まっているではありませんの」


「はえぇッ!? 聞いてないだろ!?!?」



 そりゃそうだよ。だってフランさん、言ってないもん……。

 サプライズ人事はやめようねって、後で叱っておくから許してね。



「…………良かったの」



 そんな喧騒と、メイヴィスへの質問大会の狭間で──


 アザレアが、不意にオレの横に立ってきた。

 オレはふっと笑って、



「何が?」



 と問い返した。

 良かったかどうか怪しいことなんて、多すぎて特定できやしないよ。よくもまぁこんなグチャグチャな盤面になったもんだって、感心するくらいだ。

 アザレアは俯きながら、



「私のこと……。……みんなを裏切って、あんなに……」


「分かってるんなら、まず第一段階は良いんじゃないかなあ」



 深刻そうな声色のアザレアだったが、正直オレはもうこの件でシリアスな気分になるつもりもなかった。

 そこについては、オレの中では終わっているのだ。対外的には不問にする為に諸々隠すと決めたし。

 オレ自身についても……。



「それは分かってる。それが一番みんなの為には都合がいいんだって。だから私は決定に従うし、将来的にどんな沙汰が出ても異議はない。でも……アナタは……」


「私は今でも、アザレアのこと友達だって思ってるからさ」



 なんというか、『しまった! してやられた!』って気持ちにはなっても……『この野郎、裏切りやがって!』って気分には、ならなかったんだよな。不思議なことに。

 時間が立てば、裏切られたことに対して悲しかったり、ムカついたり、そういう気持ちになるかとも思ったんだけど……全然そんなことなし。アザレアは『アザレアさん』ではなくなったけど、だからといって友達でなくなった訳じゃなかった。少なくとも、オレの中では。

 ……いや、自分でも不思議なんだけどな。オレってもうちょっと薄情というか……冷酷じゃなかったっけ? って。少なくとも、一度謀られたならもう一度裏切られるリスクがあるからある程度の首輪をつけるべきくらいのことは言うタイプじゃなかったかなと、自分でも思いはするんだけど。



「だから、これでいいんじゃない? って私は思うよ。もしも、それだけじゃアザレアが納得いかないなら……その分頑張って働いてよ。私、なんかこの後この『派閥』の雑用役を任されそうなんだよね」



 ね? 頼むよ──と笑いかけながら言うと、アザレアの方も笑って、『仕方ないわね』と頷いてくれた。

 問題は、何も解決したわけじゃない。

 アザレアの母が世界の理不尽に殺された事実は変わらないし、彼女の世界への復讐心だってまだ燻っているだろう。

 でも。

 一度はぶつかり合ったオレ達がこうして笑い合えている──というのは、一つの希望になるんじゃないかと、オレは柄にもなく思ったのだった。




   ◆ ◆ ◆




 そう。

 問題は、何も解決していないのである。


 『リンカーネイト:オーバーライド』は相変わらず抹消できていないし、オレ自身の抱える人殺しの才能自体は依然として保たれている。

 後者については抗っていくと覚悟はしたものの──それってつまり開き直っているだけで、周りからしたら『何も変わっていない』と評価するのが妥当なわけだ。

 なので。



「──そういう訳だから、フランさんにはオブザーバーになってほしいなって」



 思い切って、オレは腹を割ってフランさんに話すことにしていた。

 自分の持つ、デーアに見初められるに足る『異能』──即ち人殺しの才能について、可能な限りの説明をして。



「はぁ。……オブザーバー、ですの?」


「うん。私だけだったら、一体どんな暴走をするか分かったものじゃないからね」



 オレが絶対に暴走しないのであれば、『リンカーネイト:オーバーライド』は生まれていないしパトヴァシアは危うく林の下敷きになったりもしない。

 今回の戦闘中はフランさんがやってきてくれたから良かったが、もしも来てくれていなかったら間違いなくウィラルドとイスラは戦闘に巻き込まれて惨死していただろう。

 ……でも、フランさんが来てくれたからどうにかなった。



「アザレアと私ってさ、似た者同士なんだよ。どっちも、世界に対して絶望してる。いや……世界そのものというより、世界の根底を支えているシステム自体にっていう方が適切かな」



 全部が全部を憎んでいる訳じゃない。

 関わる人のことは好きだし、心を動かしたりもする。魔法だって学ぶのは好きだし、料理に舌鼓を打つことだってある。この世界には楽しいことだってある。

 ……でも、根柢の部分には期待していない。

 巡り巡って不幸はやってくるものだし、幸せが長続きするほど都合よくはできていない。そもそもその証人たる邪神デーアが傍にいる。


 ただ、それに立ち向かうだけの力があることは自負している。

 戦えるんだ。オレも、アザレアも。自分なりの形で



「そうなると、形振り構わなくなるというか……そういうときの私は、有体に言って、デーアの言う通りのバケモノだと思う。自虐じゃなくて、客観的に見て──そうなってしまうと思う。今回のことで、抗うって決めたけど……やっぱり、一人だけだと自信がないんだ」



 そう言って、オレはフランさんを見る。



「だから、フランさんには私の傍にいてほしいんだ。私が道を踏み外しそうになったら、手を掴んで引っ張り上げてほしい。……こんなことは、フランさんにしか頼めないから」



 ──この人は、本当に凄い人だ。

 前世の分の人生経験──なんてことを、前世じゃガキのうちに死んだオレが今更言うつもりもないが……それでも、どんな密度で生きていればこんな人格が育つんだろうというくらい、フランさんは『強い』。

 この人が危ない敵に手を引いてくれるなら、オレもきっと最後まで抗える。そんな風に思える力が、彼女にはある。……だから。



「…………はぁ~」



 そこで、フランさんは呆れたように長い溜息を吐いた。

 ……あれ!? もしかして今の、駄目だった!? 駄目だったかなぁ!? フランさん的にはポイント減だった!?



「いや、別にいいですわよ。アルマが頼ってくれたのはかなり嬉しいですわ。テンパると突っ走りますものね、アナタ。……しかし、ですわね」



 フランさんはそう前置きして、





 ピッ、と。

 フランさんはオレのことを指差してそう言った。



「人殺しの才能? バケモノ? ──なら、わたくし達を襲い来る陰謀から守ったのは何なんですの? 名だたる『勢力』の崩壊からくる混乱から『学園』を守ったのは? 裏切られたはずのアザレアの命すらも救って見せたのは?」



 いや……それらは全部、理由がある。

 それも全部、合理的に説明がつく理由だ。全部、それがオレにとって都合がいいと思ったから選択しただけで……、



「此処の行動理由には、アルマなりの根拠があるんでしょうね。だから、アナタは自分の行動が善性からの行動じゃないと思っているんでしょうね」



 フランさんは、いよいよ言葉尻に怒りすら滲ませて言葉を続ける。

 どうしてこんな簡単なことに、お前が気付けないんだと言わんばかりに。



「でもそれは、アナタが勝手にそう思い込んでいるだけですわ」



 ………………は?



「だって、そうでしょう。本当に欠片も善性がないのなら。合理でしか動かない、人殺しの才能と人外の倫理をなけなしの良心で抑え込んでいるだけの人間なら。それしか、アルマ=イクス=フィリデイという人間を構築している素材がないのなら──」



 フランさんは、言う。



「全部、無視して捨ててしまえばいいだけでしょう」



 そんな、身も蓋もない話を。



「平穏が欲しいなら、全部を断ち切ってしまえばいいのですわ。魔獣も人類も全部切り捨てて、自分が平穏に暮らせるだけの城をどこか好きな場所に構築してしまえばいい。アナタはそれをやれるだけの能力がありますわよね?」


「…………それ、は」



 できない──とは言わない。

 実際に、それをやるだけの能力はあると思う。もちろん多少の準備はいるだろうが、現実的にその絵図を描くだけの材料は、今の時点でもぱっと思い浮かぶ。



「なのに何故、そんなにも悩み苦しむのです? 『リンカーネイト:オーバーライド』なんてものまで生み出して、自分の──ひいては世界の平穏も望むのです?」


「…………、」


「それは、ひとえに自分だけでなくからでしょう。誰かのことを思いやれる心があるから、悩むし苦しむし……世界が許せなくなるのでしょう」



 ……そういえば。

 オレはどうしてあの日……あんなにも怒り狂ったのだろうか。

 友人の死を前にして、初めて自分の才能を開花させて──それでアイツらを皆殺しにした時の原動力って、何だったんだっけ。

 考えたこともなかったが、それは──。



「……まぁ多分、わたくしに話していないどこかで何かしらの嫌な記憶があるんでしょうけど、そこについては触れませんわよ。……ですが、本当は素直に善性に従いたいくせに、半端に頭が回るから理由をつけ足したくなる。合理性で動いているように見せかけたくなる。そんなことをしているうちに、それが本当になってしまう」



 そう言って、フランさんは人差し指でコン、とオレの額をつついた。



「──だからアナタは、のですわ」



 ……フランさん。

 小突かれた額を抑えて、そんなフランさんの言葉に何かを返そうとしたとき──



「……と婚約者はそう思うのですが、アナタはどう思いまして?」



 と、フランさんが理外の発言を口走った。

 は? へぇっ?


 弾かれたように振り返ると、そこには物陰から顔を出してこちらに呑気に手を振るデーアの姿が。



「いやあ、私はなんとも☆ リンカーネイトはただご主人様の意のままに働くだけですのでえ☆」


「…………なんか段々、コイツが諸悪の根源のような気がしてきましたわね……」



 あっそれ正解!! 正解ですよフランさん! そいつがラスボスだから、絶対に!!



「……ともあれ、です」



 こほんと咳ばらいを一つして、フランさんはオレに向き直る。

 炎の様に真っ赤な瞳が、オレのことを見据えて、



「もうちょっと素直になっていいんですのよ、アルマ。過去にアナタが受けた心の傷は、わたくしにはまだ分かりませんけど。そんなもので煤けるほど、アナタという人間の魂の輝きが小さくないことは──わたくしが一番よく分かっていますから」



 そして、フランさんは手を重ねる。



「……具体的には、ほら。もうちょっとデレてみたりとかしてみませんこと? 実は今週末に『学園』主催の夜会があるのですが、そこで仲睦まじいアピールとかをですね……ハグとか、キスとか……」


「実家に帰らせていただきます」


「急に手厳しいですわっ!?」



 意図的に冷たい声色で拒絶してみると、フランさんは露骨にショックを受けて声を上げた。

 いや、出てくる仲睦まじいアピールがハグとかキスって、どこの中学生やねん。ちょっと色々と溢れすぎでしょ、フランさん。

 軽く笑いながら、オレはくるりと回って、改めて自分からその手を取ってみせる。


 まぁ、婚約者になる以上はそういうことにも参加する覚悟はあるよ。必要ならその中で、仲睦まじさをアピールする為に頑張ったりもしよう。そこに異論なんかないさ。

 少しばかり仰々しく跪きながら、オレは婚約者のことを見上げてこう返す。

 ちゃんとした笑みを浮かべてみたつもりではあるんだけど、しかしやっぱり、どこか引き攣って見えているかもしれない。なぜならば。



「……まずは一曲、ダンスとかから始めてみない? そういえば私、そういうお作法とか全然分かんないんだけど……」



 何せ、ド田舎の辺境伯から一度も出て来たことなかったからね。


 ──というわけで、次なるミッション。

 恥ずかしくない夜会のマナーを頭の中に詰め込め!! 期限は今週末まで!!



 ……平穏なスローライフに辿り着くまでの道程は、まだまだ先が見通せないほどに長いらしい。




   ◆ ◆ ◆




   リンカーネイト:オーバーライド 了

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【完結】リンカーネイト:オーバーライド||女神に騙されて修羅の世界に転生したけど平穏スローライフを目指します。 家葉 テイク @afp

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