第5話 お昼時

 夏の頃よりも低い位置から眩しい陽光を放つ太陽。その光に照らされる時計の中で、時針は真上を向いて一番高いところを指している。数分前までは定年間際の日本史教師の話し声しか聞こえなかった教室も、昼休みとなれば彼方此方あちこちから色んな声が聞こえてくる。


 例えば中庭の方からは誰かが騒ぐ声が、教室の黒板の方からは教師に質問、もとい内心稼ぎに勤しむ女子の甘い声が、廊下からは男子の耳に響く笑い声が。


 そしてもう一つ、俺が座る席の隣からは、聞き馴染みのある彼女の声が。

 

 「お弁当一緒に食べようよ」


 黒い質素なデザインのランチバッグとグレーの小さい水筒を両手に持つ冬霧から、昼食のお誘いがきた。


 「おう」


 二つ返事で快諾して、鞄の中から弁当と水筒、それとスマホを取り出す。スマホをポケットに入れてから、弁当と水筒を手に持って席を立つ。


 さぁ行こうかというところで冬霧を見ると、既に机に座って弁当を広げようとしている。


 「「え?」」


 目を合わせる俺たちはお互いが何をしているのか分からずに、時が止まったように固まっていた。


 「何でもう食おうとしてんだ?」


 「文月くんこそ、何処へ行くつもりなの?」


 そこでようやく俺たちはすれ違いに気づく。


 「えっ、ここで食うのか?」


 「そのつもりだけど…」


 何を当たり前のことを言っているんだと言わんばかりに、首を傾げて頭にハテナを浮かべる冬霧。


 いや、無理だろ。恥ずいって。絶賛思春期真っ只中の高校二年生、周りの目が少しばかり気になるお年頃だぞ?流石にハードル高すぎないか。


 いつも昼飯時には何処かへ消えるボッチが、教室で誰かと飯を食っているだけでも違和感が漂うのに、その相手が昨日転校してきた女の子だって?そんなの絶対に注目の的になるじゃないか。しかもそういう場合に限って男である俺の方が主に視線の集中砲火を喰らう羽目になる。


 流石にそれは避けたいので冬霧に場所の移動を提案することにした。


 「他の場所で食わないか?教室だと、なんだ、うるさいだろ?」


 どうやら俺にプレゼンテーションの才能は無いらしい。


 「まぁ、私はいいけど」


 「よし行こう」


 俺の提案を呑んでくれた冬霧は不思議そうな顔で弁当をバッグに戻して、席を立ち、椅子を戻す。


 俺は冬霧に背を向けて、着いてこいと言わんばかりに教室の外へと歩き出す。最中、また酒井と一瞬だけ目が合う。


 …見られてる?まぁ、そりゃそうか。


 俺は気に留めないようにして廊下に出た。


 *


 教室から廊下へ出て、中庭を見下ろせる渡り廊下を通って階段を登る。


 「ちなみにどこに向かってるの?」


 俺の後を着いてくる冬霧が尋ねる。


 「俺がいつも飯を食べている場所」


 「…私男子トイレで弁当は食べたくないんだけど」

 

 「便所メシじゃねえよ」


 「違うの?」


 真顔でキョトンとしている冬霧を見るに、こいつは本気で俺がいつも便所で飯を食っていると思っていたのだろう。なんて失礼なやつなんだ。


 「特別棟の四階に空き教室があんだよ」


 うちの学校は三つの校舎が並んでいる。北の方から順に一号棟、二号棟、それから俺らが今向かってる特別棟だ。特別棟には職員室や進路指導室、他にも図書室とか文化部の部室とかがある。


 元々人通りの少ない特別棟に加えて、今では四階の教室はほとんど使われていないため、滅多に人が来ないのだ。


 「へぇ、いつもわざわざそんな所まで移動して食べてるんだ」


 「今日は毒が多いな」


 そうこうしているうちいつもの場所に着いた。ドアを開けて中を確認する。中に誰がいるわけでもなく、そこにあるのは積まれた古い椅子や机、そして心地良い静寂だった。


 俺は積まれている二台の机と二脚の椅子を下ろして、それらを寄せて席を用意する。


 「ありがと」


 「おう、早く食べようぜ」


 俺たちは席に座り、向かい合いながら弁当を机に広げた。


 「ねぇ文月くん、ここって本当に誰も来ないの?」


 「約二年ほどここで飯を食っているが、人が来たのは一回だけだな」


 「どんな人だったの?」


 冬霧は箸で形の整った卵焼きを掴みながら話題を振る。


 俺はその疑問への答えを冬霧に提示すべく、脳内ファイルの中からその時の記憶を探し出す。幸い、俺の学校での思い出ファイルは殆ど空だったのですぐに思い出すことができた。


 「それはまぁ仲の良さそうなカップルだったな。教室に入ってきて数秒経っても、俺に気づかないくらいには互いに夢中だったぞ」


 その後俺の存在に気づいたそいつらは悲鳴を上げてからどこかへそそくさと逃げていった。人の顔見て「うわぁ!?」とか言ってやがったし、今でもそいつらの顔は覚えてる。


 「それは気まずいねー」


 「冬霧でもそんなこと考えるんだな」


 「私を何だと思ってるの?」


 眉を下げてジト目になる冬霧は不服だと言わんばかりに異議を唱える。

 

 「私だって、邪魔しちゃって申し訳ないなぁ、くらいは思うよ」


 「…まじか」


 「…文月くんは本当に私のことどんな人だと思ってるの?ちょっと聞いてみたいな」


 口角を上げて尋ねる冬霧、しかしその瞳に笑顔は感じられない。彼女の問いかけに、俺は少し切り込んだ回答を選ぶ。


 「…他人に対して異常に冷たい女の子だと思ってる」

 

 「………」


 俺が口にした言葉を聞いた瞬間、少し驚いた顔をしていたが、次第に冬霧の表情は自嘲気味の微笑みを浮かべ始めた。


 「そう、だね」


 「冬霧は友達欲しくないのか?」


 「文月君がいるじゃん」


 「…俺以外にだ」


 「いらないよ」


 以前と何も変わらない。平行線のままだ。


 冬霧のスタンスは中学の頃から一貫している。俺や俺の関係者以外に関わろうとしない。


 「私には、冬霧冬香には君さえ居てくれればそれでいい。それで充分なの」

 

 「…なんで」


 「言わなきゃダメかな?」


 優しくて、でも何処か悲しげに微笑む冬霧は愛おしくて痛ましくて。頬を染めて綺麗な髪を弄る仕草は魅力的で、そんな冬霧を俺は受け入れてしまいたいと思う。


 でも、もし今ここで誘惑に負けて甘ったるい未来を甘受してしまえば、冬霧が人として幸せになることはない。


 …葛藤の末、俺は俺の目標を優先することにした。


 「いい、多分俺は分かってるから」


 「…うん」


 もう後戻りはできない、進むしかないのだ。


 いつもとは違った静けさがこもる空き教室。妙な気恥ずかしさと焦りで居心地が悪く、箸を持つ手がおぼつかない。母が作ってくれた弁当も、あまり味がしない。


 何もかもが新鮮な居馴染んだ教室に、冬霧と二人きり。あの時のカップルにもう一度ドアを開けて欲しいと願いながら、俺は卵焼きを箸で摘んだ。

 

 

 


  

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

思い出補正は一過性 左下の地球儀 @BLG_619

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ