1-4 ぼうけんのはじまり2

 月光を受けて輝く髪。スラリとした、ボクより高い背丈で見下ろす瞳は碧く美しかったけれど、どんな感情でこっちを見ているのかさっぱり読み取れない。


 素直に綺麗な人だなと普段なら思えたし、きっとどうしてこんな所にこんな人がいるんだろうと疑問に感じたかもしれない。けれど、今の僕にはそういった考えが浮かぶほどの余裕はなかった。


「えっと……誰、ですか……?」


「酷い顔ね」


「わ、わぁっ!?」


 ボクの言葉を無視した彼女はこちらに手を伸ばしてきてボクの体を弄った。


「怪我はどこにもない。動物に襲われたり事故にあった、という雰囲気ではないわね。何があったの」


 澄んだ美しい声色は平坦で、その言葉とは裏腹にボクに対する関心を微塵も感じさせない。ただ、じっとボクを見下すように碧が覗き込んでくる。


「……ボクは、勇者になりたかった」


「勇者?」


 気が付けば、どうしてだろうか。ボクの口は自然と動き、彼女の問いかけとは異なる返事を返していた。


「ボクは勇者になりたかったんだ。強くて、カッコよくて、弱い人たちを守って、それで、誰からも憧れて、好かれて。そんな勇者になりたかったんだ。でも、ボクは勇者じゃなかった。勇者なんて、いなかったんだ」


 ボクの言葉に彼女は何も言わず、少しだけ首を傾げた。

 けれど、ボクはそんなことを気にせずに話し続けた。


「みんな勇者っていうのが好きだったんだ。ボクが勇者の真似をしたら、それだけで誰かが喜んでくれた。だからボクは勇者になりたかったんだ。もしかしたらただバカにされてて、バカだと思われてただけかもしれない。でもそれでも良かったんだ。だって、その瞬間だけはボクを見ていてくれたから」


 止まらなかった。止めようとも思わなかった。

 本物の勇者であるメリィには言えない、そんなボクの中身が溢れていた。誰かに話したかった、けれど話すことが出来なかった胸の内。

 初めて会った誰でもない相手だからだろうか。どう思われても気にならない他人相手だからだろうか。


「ここに来て、まだ一日も経ってないけど……でも、勇者って呼ばれて嬉しかったんだ。本物の勇者になれるって、みんなから認めてもらえるんだって、そう思ったんだ。だから、ボクは本物の勇者であろうとした……本物が別にいるって言われても、聞こえないふりをして、分からないふりをして、バカなフリをしてボクが勇者だって言い張ろうと決めたんだ。……でも、無理だったんだ。ただ勇者になりたいだけじゃ、勇者にはなれないんだ。ボクは本当は戦ったことなんてないし、今日戦うってことが怖いって知ったから。だから、もう勇者には……」


 吐き出して、俯いて、ボクはなにも言えなくなった。

 溜まっていたものが少しだけ軽くなると同時に冷静さがほんのちょっぴりだけ帰ってきて、あぁ、やっちゃったなという後悔までボクの胸にやってきた。


 初対面の人に、ボクは何を言っているんだろう。


 謝ろうと顔を上げると、目の前の彼女は疑問符を浮かべた表情。


「貴方、名前は?」


「え、あ、ヒロシです。ただのヒロシ」


「そう。ヒロシ」


 呟くと、彼女はボクの頭に手を置いた。


「わ、わ」


「ヒロシ。正直に言って、貴方が何を言っているのかワタシは一割も理解できていないわ。どうしてそんなに酷い表情なのかも分からないし、どうして男一人でこんな場所にいたのかも分からない」


「う、ぐっ……」


 優しい手付きで頭を撫でられる。


「アナタの言う『勇者』がどういう意味なのかも、ワタシには分からない。けど、一つだけ言えることがあるわ。戦うことは誰だって怖い。傷つくことも、傷つけることも、どちらも悲しいことよ。それを自分を貶める理由にすることはないわ」


 ……慰められている、のだろうか。初対面の、誰とも知れないこんなボクの戯言を聞いて、慰めてくれているのだろうか。


「手垢のついた言葉だけれど。勇者っていうのは何かを成したからだとか強いからだとか、そういった者を呼ぶ言葉ではないと私は思うわ。それはただの強者。勇者は、勇気のある者。怖くても勇気を持って何かをしようとする者が勇者。少なくとも、セリシアの加護を受けただけの者なんかよりも勇者らしいわね」


「勇気のある者……」


「ヒロシ。貴方の返る場所は何処? いくらここが人間にとって平和な場所でも男一人だというのは危ないわ」


「……帰る場所は、ないよ。ボクに帰る場所はないんだ」


 ボクはこの世界に一方的に呼び出された。だから、帰る方法なんて知らない。もしかしたらルミエルさんは知っているかもしれないけれど、態々呼び出したボクを素直に返してくれるとは限らない。

 それに……元の世界に帰っても、また道化に戻るだけだ。


「帰りたくない……」


 ボクは先の呟きとは真逆の言葉を口にしていた。


「どうしようかしら、人間の男をこんな場所に置いていく訳にもいかないし……仕方ないわね」


 すると、彼女はボクを撫でていた腕を頭から離すと、クルリとボクを反対向きにして押し倒してきた。


「わ、え、何をするんだよっ」


「動かないで、じっとしていなさい」


 うつ伏せになったボクの腰のあたりに彼女が跨ってきた。背中の中心に手のひらがあてがわれる感覚。


「……おかしいわね。回路が完全に閉じているわ。男でも普通は開いているはずなのに。けれど、中身が空洞なだけで容量はそれなりね。少し痛むかもしれないわ、我慢して」


 瞬間、脊椎に解けた鉄を流し込まれるかのような激しい痛みが走った。


「ぎゃ、ぐっ――」


 けれど、それも一瞬だけ。

 痛みも熱感も、まるでなかったかの如くすぐに霧散した。


 でも痛かったものは痛かった。ボクの目元には再度の涙。この世界に来てから早くも二度目の泣き顔だった。


「これでいいわね」


「な、なにをしたんだよ」


 彼女を押しのけて立ち上がりながらボクは恨むような視線を向けた。


「最低限自衛の手段は必要でしょう。その手助けをしてあげただけ」


「……手助け?」


「マナの回路を増設してあげようかと思ったのだけれど、貴方のそれは閉じていただけでその必要がなかったみたい。だから出入り口をこじ開けてあげたのよ」


「マナ? 回路?」


「……簡単に言うと、魔法を使えるようにしてあげたのよ。貴方の回路は男にしては珍しいくらいに十分な容量があるにも関わらず閉じていた。だからワタシが開けた。分かったかしら」


「……なるほど」


 つまり、彼女の今の行為でボクは魔法が使えるようになったらしい。


「あぁ、でもそうね。回路を開いただけでは魔法は使えないわ。今まで出来なかったことを突然出来るようになるなんて、そんな都合の良いモノじゃないのよ」


「えっと……?」


「『可能か不可能か』と『使えるかどうか』は別って話よ。包丁を握れる者が必ずしも料理が出来る訳ではないでしょう」


 あぁ、そういうことか。

 魔法は技術なんだ。魔力みたいなものがあるからといってすぐに使えるようなアレコレじゃない、と。


「戦うのが怖い、と言っていたわね。その感覚は間違いではないと思うけれど、それでも戦わなければならない時というものはあるものよ。だから、どうかしら。貴方が望むのならワタシが鍛えてあげてもいいのだけれど。こう見えてワタシは男に優しいのよ」


「えっ……」


 そう言われて、ボクは少し考えた。


 戦うのは怖い。帰りたい。その気持ちは本物だ。

 それにボクが戦わなくてもメリィが……本物の勇者がいるのだから、ボクが戦わなくてもなんとでもなる、かもしれない。


 でも……だけど。


「……うん、そうだね。それじゃあ、お願いします」


 ボクは、勇者になりたかった。

 揺らいだけれど、その気持ちはまだボクの中にある。


 少しでも、ボクが勇者に近づけるなら。勇者らしくあるために必要なら。


「そう、分かったわ」


 そうしてボクは、この白い髪のお姉さんに稽古をつけてもらうことになった。

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簒奪勇者の影武者ヒロシ――完全女性上位主義社会ただ一人の偽勇者―― チモ吉 @timokiti

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