1-3 ぼうけんのはじまり1
様々な準備を終えたボク達二人はシルクフィンの城下町を出た。
どうやらこのシルクフィンは人類の生存圏である世界の南側の大大陸、そのさらに最南端に位置する島国みたいでほとんどどころか全くと言っていいほど魔族のいない地域らしい。そのためか空気は平和そのもので、街を出る際に身分の確認なんかは一切なかった。
この世界ではそれは当然みたいで、魔族という共通の敵がいるからなのかボクの元の世界ほど人間同士で争うことはなく、基本的に人間であればどこの国でも友好的に接してくれるそうだ。
それに、国と国との間で言語の違いとかはないらしい。なんでも女神様の加護だとか。バベルの塔を壊した神様と違ってこっちの神様は人間の団結に寛容らしい。
その割に貨幣なんかはそれぞれの国で独自のものが使われているみたいで、国家間の連携がない国同士では換金できないことも多い。
普遍的な価値の宝石や貴金属を旅人は持ち歩くのよ、とはメリィの言だ。金銭よりも現物の方が信用できるらしい。
ボクらの旅は、北へ北へと進んでいくことになる。南が人間、北が魔族それぞれの支配地域になっているからだ。
「ってことは、魔族と戦うのは随分と先になるってことだよね。一番南なんだから」
「アンタ、魔族と戦いたいの? 変わってるわね。男ってのはフツーそういうのを嫌いだって思ってたけど」
「そんなことないよ! 人類の為に魔族と戦う! こんなに勇者らしいことなんてそうそうないだろ?」
「だからアンタはアタシの影武者なんだってば。いわば偽勇者よ、偽勇者」
「偽物が本物を越えない道理はないよ。むしろ本物であろうとしている分偽物の方が立派な勇者だよ」
「どんな理屈よ」
ボクらが話しながら歩いていると。
「グゲ、グガガ……」
「ガガギゴ……」
唸り声を上げる、緑色の小鬼のような生き物が現れた。
「あら、ゴブリンね。街の近くだってのに珍しい」
「ゴブリン!? これが本物の……!?」
「いやいや、なんでゴブリンなんかで喜んでるのよ。この辺じゃ珍しいってだけで森の中じゃウヨウヨいるわよこんなの」
ゴブリン! ゴブリンだ!
ゲームなんかでおなじみの序盤の雑魚モンスター代表の一つ、我らがゴブリンだ!
こんなに勇者としての初陣に相応しい相手が果たしているだろうか、いやいない!
勇者レベル1のボクでも勝てそうな、そんなモンスターだ!
ゴブリンは薄汚れた緑の肌に粗雑な作りの毛皮を纏って、手には木と石を組み合わせた簡単な石器を握っていた。
全部で三体。小柄で小さいヤツと小柄で小さいヤツと、小柄で小さいヤツ。
「全員オスね。ゴブリンは繁殖力が強くて他種のメスを汚染して孕ませることが出来るらしいわ。一説だとオス相手でも妊娠させてくるとか。三匹ってことは彼ら、きっと繁殖の苗床を探して群れを作っているのよ。ゴブリンは繁殖期以外単体で動くし」
ナイフを抜いて構えるボクの後ろから、メリィがなんだかとんでもないことを言った。
「なにその気持ち悪い生態」
「アタシに聞かないで。そういうものなのよ、ゴブリンって」
そういうものらしい。
さらに彼女はとんでもない呟きを零した。
「殺すなら一匹だけにしてよね。余って腐らせるのはなんだか悪い気がするし」
「えっ」
「ゴブリンよ、ゴブリン。アタシ達二人じゃ食べきれないでしょ?」
「食べるのか!?」
驚き、ついゴブリンから意識を逸らしてしまったその瞬間、三匹のゴブリンはボク目掛けて飛び掛かってきた。
「くっ、このぉっ!」
手にしたナイフを振るう。しかし、暴力はおろか剣道とか格闘術とか、そういったものはからっきしだったボクのその攻撃は容易く彼らに躱されてしまう。
ボクは三匹のゴブリンに組みつかれてしまった。
ゴブリンの背丈は一メートルもない。腕も細く頼りなく見えたが、その外見に反した膂力があるのか必死にもがいてもその拘束から抜け出すことが出来ない。
その姿を見てメリィは呆れた様子でため息を吐いた。
「クソっ、離せえぇっ! 繁殖目的だっていうならボクじゃなくあっちを狙えよ!」
「グガッ……ガギャアアァ!」
叫びながらじたばたするボクの握っていたナイフが一匹のゴブリンの頬を裂いた。傷口から濃い緑の体液が流れる。
傷を受けたゴブリンは叫ぶと、手にしていた石器でボクの頭を殴りつけてきた。
「ぎぃっ――ったい、痛い痛い!」
頭に重い感触。ぬるりとしたものが首筋を伝い、頭全体が燃えるように熱くなった。
痛い! 痛い痛い痛い! 痛くて仕方がない!
初めての感覚だった。目がチカチカして思考が乱れていく。痛みなのか熱さなのか分からない感覚だけが無限の回廊を彷徨うように頭部を循環している。胸の奥から吐き気もせりあがってきて、ジワリと目に涙が滲んだ。
「威勢がよくっても男は男ね、やっぱり」
その声と共に、ボクの体のすぐ横に大きな衝撃。ゴチャ、と緑色の肉が弾け中の液体が飛び散る。
「どっちの方が勝ち目があるのか分かったのは利口だけど、お生憎さま。ソレはアンタら下等生物が手を出していい相手じゃないのよ、消えなさい」
――――
ボクは岩陰で一人、膝を抱えて蹲っていた。
頭の傷は、もう痛くない。メリィが魔法で治してくれた。
けれど、ボクがあの戦い――戦いといえるもの未満だったかもしれない――で受けた衝撃は、どうしようもなく大きかった。
「ボクは、弱いんだ……」
緑の体液で汚れたままのナイフを懐から取り出す。
メリィに助けられたボクの自信は無くなっていた。どうしようもなく心が折れていた。
メリィの一撃で絶命した一匹の亡骸を残して、他のゴブリンはあれから一目散に逃げて行った。残された一匹の肉も晩御飯となって、今はボクらのお腹の中。
ボクは理解していなかった。
ゲームなんかでよくある、戦うという意味を分かっていなかった。
ステータスみたいな数字なんてない。HPが減る、なんて曖昧な表現はない。攻撃すれば相手は痛いし傷つくし、死ぬ。攻撃されたらボクが痛いし、もっと先にはきっと……。
「…………帰りたい」
月明かりの下ボクは思わずそう呟いてしまった。
風が草の匂いを運んでくる。空は暗く、地面を見れば一面の緑。緑、緑、嫌でも昼間の出来事を想起してしまう。
メリィは既に眠っている。簡素な寝袋を草の上に敷いて柔らかい寝息をたてていた。ゴブリンの肉のほとんどは彼女が平らげてしまった、細身なのにあれでいて健啖家らしい。
ボクはというと、あまり食べられなかった。初めての肉というのもそうだし、味付けが碌にされていない焼いただけの肉というのもそうだし、衛生的に怖いとおもってしまったのもそうだけれど……なにより、生き物の死を食べているという実感が吐き気を誘発してきた。
ボクの隣で爆ぜ散ったゴブリン。ボクの頭を殴りつけた、あのゴブリンだった。
既に治ったはずの頭の痛みと共にあの光景がリフレインする。ズキズキと、生温かな自分の血が首筋を流れる感覚と共に痛みを錯覚する。
なんだか眠れる気がしない。
メリィの話によると、眠る前にこの辺り一帯に獣避けの結界を張ったらしい。この世界の獣の定義は広い。人間と魔族、それ以外の動物は全て獣。つまり、昼のあのゴブリンたちは獣。
この結界は、人間と魔族以外を遠ざけるものみたいだ。
ボクは立ち上がると、フラフラと当てもなく歩き出した。
酷い気分だった。初めての衝撃に、動いていないと頭がおかしくなりそうだと思った。メリィから離れ過ぎないように、ボクは岩と草ばかりの大地を彷徨う。
――そうして、どれくらい歩きまわったことだろうか。
「こんな所に男が一人だなんて……なんて不用心なの」
「え……わぁっ!?」
俯きながら歩いていたボクが顔を上げると、目の前には真っ白の髪の女性が佇んでいた。
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