メンヘラ・ラプソディ

マゼンタ

メンヘラ・ラプソディ

 そう。そうに違いない。私、殺される。彼に殺される。ケーキに毒を入れられて死ぬんだ。そうだ。それしか考えられない。

 は? 意味わかんない。私がさ、わたしが、なにしたっていうの、死んだ方がいいのはお前の方だろうが。

「どうした?」

 キッチンの彼がリビングを覗いている。その視線の先には、私がいる。叩いてしまったのだ、机を。大きな音がした。近くにいたグスタフ;彼は犬、も、驚いて、ちらりとこちらをみた。今はもう、完全に興味を失い、お気に入りの、ふかふかの、犬用ベッドの、安心感に身をゆだねている。

「ううん」笑顔、笑顔。「なんか、虫いたかも」肩をすくめてみせたりして。

 彼はキッチンに戻った。

 彼はケーキを用意している。

 彼は注射器を持っていた。

 注射器には毒が入っている。たぶん。

 ケーキと注射器が、ペンとパイナップルみたいに、あぁ、となって、私は死ぬのだ。間違いない。

 なんで? なんで毒殺されるの? 意味わかんないんだけど。

 おかしい。浮気したのはあいつの方だ。私と付き合い始めて、その一週間後、彼が、元カノと会ったのを、私は察知している。察知とは、つまり、えっと、辞書によると、おしはかって知ること、だそうです。ますます意味がわからない。

 まだある。

 金だ。殺人の動機といったら、それはもう、痴情と金しかない。私は、彼に金を貸しているのだから、彼には私を殺す動機がある。

 筋書きは、こうかもしれない。元カノが忘れられない彼は、元カノと共謀して、私を殺そうとしている。死んでしまうとお金はおろせない、もちろん容易にという意味で。だから、予め金だけは引き出しておく、という計画。

 完璧だ。

 私は体と金を提供して哀れに死んでいく。毒は何? せめて苦しまずに、死なせてほしい。

 そうか。もしかするとドラッグかもしれない。毒じゃない。薬物を盛られて、私、ラリラリにされちゃう。ラリラリになって、猿にでも喜んで抱かれる女になっちゃう。

 なんだか悲しくなってきた。目も潤んでいる。どうしようもない何かが込み上げてくる。ほんとうにいや。

 彼は浮気したんだ。元カノと。たぶん。

 貸した金は何に使ったのか、それともまだ使っていないのか、何も知らない。聞いていない。

 だから殺される。

 これはもう1+1=2よりも明確なロジック。そうロジック。何人にも揺るがすことはできない。

「お待たせ」

 彼がケーキを持ってきた。それはローテーブルに並べられた。

「このケーキおもしろいんだよ」

 毒入りだもんね、興味をそそる、という意味の面白いでいいのかな。

 笑顔の彼は私がケーキを食すのを待っている。

 私の死がそんなに嬉しい? ほんとに? ほんとうにそう思っているの?

 彼が私の死を喜んでいる。そう思うと、テーブルに突っ伏してしまわなければならないほどに、泣けてきた。

「えっ、どうしたの? 泣いてるの? そんなに嬉しかった?」

 んなわけあるかクソが、と私の頭の中の、田舎のヤンキーが毒づいている。

 そうして事は起こった。

「ああ、こら!」

 ばたばたと音がして、私が顔を上げたとき、私のケーキは、何者かによって喰われていた。

 犯人は……、グスタフしゃん。

 私は超人的な、つまり、犬並みの機敏さを発揮してグスタフを掴み「吐いて! 吐くのよ!」と叫びながら彼を揺さぶった。

 そうして、半狂乱になった私はどうなったでしょうか。

 勿論、グスタフに強めに噛まれて出血しました。

 狂った私から逃れたグスタフの、あの視線は、こいつやべえやつだ、と言っているようでした。それが、何よりも傷つきました。

「大丈夫?」

 彼が私を手当てしてくれている。

 私って、変よね。

「食い物の恨みは、なんとやら、っていうからね」

 のん気か。そんなあなたが好きかも。

「ねえ、ちょっと聞いていい?」

 彼はにこやかだ。

「私と付き合った後、元カノさんと会った?」

「会ったよ。グスタフのベッドが彼女の家にあったから。あれじゃないと駄目みたい」

 私は項垂れた。「この前、貸したお金は?」

「返したでしょ? 電子マネーで。借りたのは現金だったけど、それでいいって、言ってたよね?」

 彼が、消毒液とガーゼで、私の手を、丁寧に、優しく、手当してくれる。ほんとうは何も痛くないけど、痛がってみようかな、とか思ったりする。

「ケーキの秘密はまだ守られているよ」

「え?」

 毒は本物なの? 私の妄想じゃなかったの?

「グスタフが食べたのは端っこだから。ああでも見えちゃってる」

 そう言って彼は、犬にかじられたケーキを、私に見せてくれる。

「注射器みたいなやつで、なんかソースみたいなやつを入れるんだよ。食べる前に入れないと、ぐちゃぐちゃになっちゃうみたい」

「そうなんだ」カップラーメンの後入れかやくみたいなやつだね、知ってた。

「また今度買ってくるよ」

 私は、部屋の隅っこで、体育座りをしたい気分になった。

 でも、ごめん、私、あなたのこと好き。そして、もっといろいろ話さないといけないみたい。

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