鳥貴族ランデブー

阿見春彦

畠の話をきかせて

「恋人できた。飲みに行こう、って何?」

 淡い黄色のミックスジュースが並々注がれた重たいジョッキをテーブルに置く。飲みに行こうと言われても私はお酒が一滴も飲めないから、結局ソフトドリンクをのどに流し込むことになる。甘さでもたつく口でそう言うと、向かいに座る畠は落ち着いた視線をよこした。

「別に。そのまんまだよ。お前には言っておかなきゃかなと思って」

 畠はなんてことないみたいにそう吐き捨てた後、細い指で焼き鳥の串を掴んだ。もも肉の固まりを歯ではさみ、乱暴に串から引き抜く。私もまけじと皮のしおを手に取ると、畠よりも豪快に串から引き抜いて食ってやった。無言で皮を噛みながら畠を見る。私の髪の毛より柔く繊細そうな黒髪。なんでそんなにキューティクルが整ってるわけ。万年メリットのくせに。縮毛矯正に何万もかけている私の身にもなれ。もっともって生まれた己の毛質を有り難がれ。じっと畠の黒髪を恨めしく見る。不意に畠は前髪をかきあげて、もも肉を飲み込み終わった小さな口を開けた。私はまだ皮を噛み続けている。

「で、お前まだ俺のこと好き?」

 口の中の鶏の皮の代わりに、自分の頬肉を思い切り噛んだ。痛みでぎくっと動いた私を畠は冷めた顔で見ている。こいつは何を言ってるんだ。まったくもって意味が分からない。据わった目つきで畠をにらみながらひたすら皮を噛んだ。もくもくもくもく……なんで私はさっきのタイミングでよりにもよって皮を手に取ってしまったんだろう。

「好きに決まってんでしょうが」

 ようやく空っぽになった口で私は目を閉じて神妙に答えた。諦めたようなため息が聞こえる。なんだそのこれみよがしなため息は。やれやれ系主人公にでもなったつもりか、調子に乗るなよ畠。

「一般的には決まってはないんだよ」

「私が一般的な女だったことなんてないよ」

「それはそうだけど」

 そうでしょうよ、と答えながらミックスジュースをあおる。重たい液体が私ののどを通過しているうちに畠は十分に弱らせたポケモンにモンスターボールを投げつけるみたいに、容赦なく次の言葉を繰り出す。

「俺、恋人出来たから。そこんとこなんか、把握しといて」

「把握」

 ごくんと飲み込み反芻する。恋人ができた? あの畠に? 私の青春を一生背負い続けるはずのこの男に?

「抜け駆け?」

「なんか違うよそれは。多分」

 畠はスマホを取りだして何かをポチポチ打ち込み始めた。きっと「抜け駆け」の意味を調べたりなんかしてるんだ。大いにくだらない。本当の言葉の意味なんて、いちいち正確に知ってなくたって生きていけるのに。そもそも畠にはお子様携帯で十分だろうが。スマホなんて大層なものを持つな。

私はそんなのやだよ〜と喚きながら背もたれに思う存分寄りかかろうとして、ここが鳥貴族だったことを思い出した。垂直にそびえた堅い背もたれに後頭部がゴッと跳ね返され、諦めて逆にテーブルに突っ伏す。鈍い音に隣の席に座っているイケメンがギョッとこちらを見たのもお構いなしで。

「うわきったね」

 私のおでこがテーブルに触れるのを見て畠はそんなことを言う。私は突っ伏したまま、黙っていそいそと自分のおしぼりをおでことテーブルの隙間に敷いた。

「その忠告のために呼んだってわけなのねン…」

 ショックからか、語尾が意図せずマキバオーみたいになってしまった。 いつもより数倍低く、マキバオーにしてはこもった声が私とテーブルの間の空間にぼんやり広がった。

「まあ、それだけじゃないけど結果概ねそういうことになるよね」

 畠は恐らく次の串に手を伸ばしながら、そう答えた。畠のこの何重にも保険を掛けたような回りくどい言い回しが私は好きだった。


 畠とは冴えない下町の中学校で出会った。同じ学年だけどクラスは被ったことがなかったから、お互い名前と顔は知っているけどしゃべったことはないよね、という仲だった2年の秋ごろ。

出会いは校庭だった。当時の私はソフトボール部で畠は陸上部。どちらも別に強豪というわけでもなく、顧問も未経験のしょぼくれた部だったからお互いちんたら部活に励んでいた。ちんたら故に私が取りこぼしたボールが、陸上部のトラックの方まで転がって、またそこをちょうどちんたら走っていた畠が拾った。

 すみませーんと声を張り上げて両手を振ると畠はいくよ〜と声を返し、ボールを私に向かって放り投げてくれた。中坊の畠は今よりもっともっと骨が細くて、華奢で、薄っぺらい体をしていた。陸上部なのに肌は少しも日に焼けてなどいなかった。万年日焼け止めを塗っていたわけではないだろう。ただ単純に焼けるほど外を走っていない陸上部ってだけで。

 そんなひょろっこい畠が投げたボールはまあ当たり前に私の手元まで届くことはなかった。ボールは厚い雲に覆われた空めがけて突き進むことなく、私たちの間(割と畠寄り)でテン、テンテンと転がった。その様子をふたりでぼけーっと眺めたあと、全然来ませんでしたね〜〜、と叫んだのを覚えている。

 自分のミスで畠の方まで飛ばしてしまったボールをご厚意で投げ返してもらっているというのに、私はなんて図々しいんだろうと今になって思う。そのとき畠は鼻の下をぽりぽり掻きながら、いかなかったね〜、とか言っていた。もう走って自分で取りに行こうと足を踏み出したとき、畠はまたボールを掴んだ。足を止めて眺めていると、みるみるガチめなフォームをやり始める畠の姿が目に映る。おやおやさっきのは本気じゃなかったってことですか。お手並み拝見といきましょう……本当に部活動にやる気のない私は適当にそれを始めていた。畠のポッキーみたいな腕が頭の上にあがって、大きく振りかぶる。ゆっくりと腕を引き、ピッチャー……投げ、転んだ!

 畠は自分で放ろうとしたボールの重みに負けて、遠くの方で空中を半回転しながらずっこけた。音にすると、ズベッ、だった。畠の手から離れたボールはやっぱり土の上をテン、テンテンとか弱く弾んだ。

 流石に慌てて駆け寄ると持ち場を離れた私に背後からソフトボール部員たちの声が飛んできたが、聞いちゃいなかった。赤い陸上トラックの1メートル先くらいの茶色い土に、白い畠が突っ伏している。近くで見ると肌は焼けるどころか透き通っていて、生チョコの上に大福の皮のところ、牛脂、じゃなくて求肥、そう求肥。あれが寝そべっているみたいに見えた。ぺったりうつ伏せになったままの求肥を暫く眺めるも、一向に起きあがる兆しが見えなかったので私はもう一歩近づいた。

「だいじょぶ」

「なんですぐに声かけないの」

 グローブの先で控えめに頭をつつきながら声をかけると畠は細い声で答えた。

「この形態からまた何かが始まる可能性に賭けてみてた」

「泳がせるな。賭けてみてるな」

「何もないなら起き上がってみたら」

「ちょっと……無理かもしれない」

 今のところ、畠の後頭部とまあまあ会話が弾んでいる。初めて言葉を交わしているとは思えないほどだ。できれば初めては正面顔が良かったけれど、そんなことも言ってられない。程よく丸みを帯びた後頭部はなかなか愛らしいもんだった。

「どこが折れた?」

「前提の怪我が重くて嫌だ……」

「空中半回転してたもん。保健室連れてくよ。見たところ羽のように軽そうだし、私お姫様だっこで余裕で運べちゃうと思う」

 畠の後頭部は蚊の鳴くような声で「やめて」とだけ言ったあと「その例え方もなんかやだ」とノミの鳴くような声で付け足した。ノミは、鳴かないかもしれない。

畠はまず土の上に放り出していた両腕をズズズと移動させ、折り曲げて土に手のひらをぺたんとつけた。「ぺたん」が似合う子だ。そのままそーっと腕を伸ばし上半身を起こす。うつむいた顔は黒いサラサラの髪で隠れていて横顔もあまり見えない。下から顔をのぞき込むと、畠は土がついて茶色くなったおでこと鼻先を手の甲で拭うと、光の入らない目で斜め前の遠くの土のあたりを見ながら「恥ずかしすぎて死にそう」とつぶやいた。

 私は思わず鼻から勢いよく酸素を吸い込み上唇と下唇を内側に収納してムンっとした顔になった。恥ずかしがる畠の様子がなんだかとてつもなく、可愛いかったから。 収納しなかったら多分、ドッスンみたいな険しい顔になってたと思う。

「キュンときたから大丈夫だよ」

 素直にそう口に出すと畠の方がぎゅっと険しい顔をしながら答えた。

「なおのこと死にたい」

 死なないで、と言いながらようやく立ち上がった畠の肩に手を添えて、どさくさに紛れて支えてみた。発泡スチロールのような肩だね、少し力を入れたら壊れてしまいそうだ。思い浮かんだこの例えも試しに口に出してみようかと思ったけれど、出会いの序盤から関係に亀裂が走りそうだったのでやめておいた。今の始まりたての私と畠の関係は発泡スチロールを遥かに凌ぐ脆さだろうから。なるべく強度を保ったまま次につなげたいと思った。

「恥ずかしくて起きあがれなかっただけ? 怪我はしてないの?」

 改めてそう聞くと、畠は茶色くなった体操服を手のひらで雑に叩きながら、黙って近くに転がっていたボールを拾い上げた。そして私に向き直るとそれを私に手渡しながら「なんでも言葉にしちゃうなよ」と不機嫌そうに私を睨んだ。私はそのとき猛烈に、こいつをどうにかして何からも守ってやりたいな、と思ったのだ。


 それからずっと畠のことがお気に入りだった。この歳になるまで心を縫い止められ続けているのは、あの出会い方があまりに私の心に突き刺さってしまったからだろう。自分でも分からないけれど、はじめは恋愛感情の「好き」ではなくて、ただ可愛い奴とか、見ていたい奴、守りたい奴、どうかしあわせに生きて欲しい奴、そのいずれか、否全てだったはずだ。でもそれらの感情全部まとめてボウルに放り込んで、大ざっぱに混ぜ合わせて、こねて焼いたらオーブンから「好き」が出てきたんだから仕方がない。言葉や感情はむやみに細かく種類分けして、それぞれ専用のケースにしまって持っていなくてもいいのかもしれない。私は今までもこれからもいつまでも、畠のことが好き。それが一番シンプルな答えなのだ。

 中学を卒業して、意外と頭の良かった畠が都内の進学校へ入学してから、私たちはつかず離れずの距離を保ち続けた。私はというと進路相談をのらりくらり交わし続けた結果、母によって半ば無理矢理近所の女子校に収容された。無理矢理とはいえ他に行きたい高校もなかったから、平々凡々に毎日を楽しく過ごした。女子しかいない学校は私の性格にも合っていて、羽がのびのびのぶよぶよに肥えてしまうくらい伸ばしまくった。ジャニーズが出演した音楽番組を焼いたDVDが有志からクラス全員に配布されたり、よく分からないメンズ地下アイドルのシングルがグループ別に窓際に積み重ねられていて、おひとり様何枚でも持ち帰り放題だったり。クラスの誰かが描いたBL漫画がポテチやじゃがりこばりに頻繁に回されてくる。そんな学校だった。

 それでも。ハピネス女子校ライフを送っている最中でも、私の脳内には畠スペースが常設されていて、いつでもすぐに畠の顔が浮かんだし、日常を畠とともに過ごしていたような気すらしていた。学内に若い男もいないのだから、中学の熱がそのまま引き継がれていくのも仕方がないでしょ。うちの学校にいる男は、サイドにふんわりやわやわな生き残りの毛をかき集めて、コアラみたいなシルエットになっている薄毛の教頭とかしかいないのだ。


「好きでいるの、やめたほうがいいの?」

 顔をあげると、畠はレバーをミックスジュースで流し込んでいる最中だった。最初の数噛みは美味いんだけどどんどん鉄の味とまろやかな臭みがにじみ出てきて、ウッてなるのだそうだ。初めてそれを聞いたときかわいくて、繊細なお口でちゅねとからかったのを畠は未だに根に持っている。

「やめれるの?」

 私からの好意に立派な自信を持っている畠はくすんだ水色のTシャツを着ているのだけど、サイズが大きいから薄い体が強調されている。畠の顔は案外きつめで、目つきはそんなに良くないし口はいつもへの字に下がっている。今も例外なく、への字に下がった口でやめられるの? とかほざいている。

「やめられはしないなあ」

 全くもってやめられるわけがなかった。でも聞いて畠、私考えてみたんだけどね、私の人生と畠の人生が繋がってさえいれば、別にぶっちゃけ彼女になれなくてもいいのかもしれない。私は畠と恋愛感情でガチガチにがんじがらめになりたいわけでは、やっぱりないのかもしれない。それをどう伝えようか考えていると、畠はまだレバーが一つ残っている串を静かに皿の上に置いた。もう、ウッがきちゃったのだった。

「どんな人なの、付き合ってる人。なれそめからすべてお聞かせ願いたいかも」

 ふざけた大まじめな顔で頭を下げる。

私は今日恋に破れたのだ。言うなれば失恋、それならば必然、おみやげ話のひとつやふたつ持ち帰らせてもらいたい所存なのである。あの畠が好きになる人、興味があるにきまってる。畠は学生時代、私の見る限り誰かを好きになったり、おつきあいをしたり、そういう浮わついたノルマイベントを一切こなしていなかった。卒業後たまに会ったときにも恋人ができたなんて話、今まで一つもしてこなかった。だから私は安心して畠に駆け寄っていられたのだ。ここにきて畠に恋人ができた。長いつきあいになるけれど、私は恋愛をする畠を知らなかった。あの畠が恋にかまけるとどんな風になるのか。全て搾り取ってから帰りたい。こんな貴重な機会一滴も逃したくなんかなかった。

「え、っっとまず年上で、」

 いきなり方向転換した私の勢いに驚きつつ、畠はたどたどしい口調でそう言った。第一爆弾に思わず目を見開く。畠! あんた、年上が好みだったのか! 顎を前に出してびっくり仰天顔のまま固まっていると畠はテーブルの下からそろりと四本の指を立てた手を出してきた。

「よん」

 大声で自分に言い聞かせるように繰り返す。神妙に頷く畠。あちゃ〜そういうことか、そういうことだったか、畠。私は思わず天を仰ぎ額に手を当てた。四つも上って言ったら何、私たちが中一の頃にもう高校二年生ってことだよ。もう二十歳も超えた大人なのに、歳の差を確認するとき学生時代の学年で表してみちゃうのって何なんだろう。

「畠ってこう見えて年上の女性に甘えたいタイプだったんだ。こう見えてっていうか、まあ見た目通りのような気もするけど。ふ~ん、畠、甘えるんだ」

 年上の恋人、とくればくっついてくる動詞は「甘える」だと相場が決まっている。一人でべらべらしゃべる私に畠は鋭く低く、うるさいよ、と声を飛ばしたがそんなことは関係ない。今は大事な話をしているんだから畠は黙っていなさい。

「見た目はどんな? 写真とかないの?」

 身を乗り出して次を急かすと畠は眉毛をぽりぽり掻きながらチラッと横に目をやった。つられて私も視線を投げるも、隣のテーブルには最初の頃と変わらず小ぎれいな顔をした男性客が一人で座っているだけだった。

「何、お冷やでも頼む? お冷やってタッチパネルから注文できるのかな」

 たしかに質問攻めも良くない。私にも一旦クールダウンが必要だった。だがテーブルの脇によけてあった端末に手を伸ばそうとすると、畠はそれを制止して口を開いた。

「写真はない。はるか先輩はあんまりそういうの撮ったり撮られたりしないから」

 クールダウンは必要ない。畠の目がそう言っている。と信じている。名前ははるかか、可愛い名前だ。私は目を伏せ改めて姿勢を正し、次の質問を繰り出す。

「かわいい系? 綺麗系?」

 畠は深く息を吐きながら斜め上を見上げたあと、どちらでもない、と言った。ピンときた。これはオブラートだ。オブラートに包んでいるのだ。容姿については深く触れない方がいい。そういうことだろう。私はもちろん、畠が見た目だけで人を選ぶような男じゃないと他の誰よりも知っている。

「背は俺より高い」

 ぼそっと、不服そうに畠は言った。再度目を見開く時間がきた。

「畠より高いの!? 畠、百七十ちょい手前くらいでしょ」

「百七十はいってるよ!」

「今はそんな些細なこと話してる場合じゃないしいってないよ。てことは相手のお姉さんは百七十以上ってことでしょう!」

 お姉さん……と小さく呟いたあと畠はまあ、うん。そう、と言って、両手でジョッキをつかみながらミックスジュースをちまちま飲み始めた。畠、背高い人と付き合ったりするタイプなんだ。スタイルの良い長身の女性と二人で並んで歩く畠を想像して、目を輝かせる。さっきから畠の知らない一面をどんどん知ることができている。脳内の畠常設展が新規情報でいっぱいに彩られている。楽しい。畠との恋バナ、超楽しい。

「じゃあ出会いは? なれそめは? どっちが先に好きになって、どっちが告白したの? どうやって四つも上のお姉さんのハート射止めたのよ」

 ついテンションがあがって矢継ぎ早に質問をぶつけると、畠は唇の薄皮を噛みながら黙り込んだ。私は思わず黙ったまま鼻の穴を二つほど膨らませた。ペース配分を、誤ってしまったかもしれない。私は畠の様子をじっくりと見つめた。畠の機嫌がそっぽを向いたとき、それ即ち恋バナタイム終了を意味する。w

固唾を飲んで見守っていると畠はおもむろにタッチパネルに手をのばした。えっ。畠の細長い人差し指がドリンクのページをぽちぽちタップし始める。色白の人の指先って高確率で血色良く赤くなってるよなあ、と思いながらそれを眺めた。

「畠、そこアルコール入りのページだよ、ソフドリは」

 畠は私と同じでお酒が飲めないはずだ。でも、畠は横からページを変えようとした私の指を制止するように掴んだ。ひんやりしていた。少し湿ってもいた。畠はそのまま反対の手でビールを選択し注文を完了する。酒が一滴も飲めないはずの畠がビールを頼んだ。畠は困惑している私の目をまっすぐ見すえ、いまだ指を掴んだまま口を開いた。

「ここから先は酔っぱらってでもないと話せない」

 私の心臓は飢えたピラニアにでもなったかのように狂暴にはね、萌えの衝動に体ごともんどりうちそうになった。畠が突発的にあまりにも可愛いことを言うせいだ。衝撃でめちゃくちゃに引きつった顔は、元に戻るまでかなり時間がかかったし、ピラニアはまだ私の中心でドコドコと脈動していて、上か下か、どっちかから出てきてしまいそうで、どうしてくれるんだろうと思った。





  空になったジョッキをテーブルに置く。ハイボールをもう何杯もあけている。顔が熱いのはアルコールのせいか、焼鳥屋の熱気のせいか、はたまた隣の席に座る恋人が見たことのないとろけた顔で俺の話をしているせいか。長年のつきあいのある女友達に紹介したいから、と呼ばれたものの最初から同席するには彼女への刺激が強すぎて良くないのだ、と彼は言った。当の女友達は特に癖が強いらしく自分から先にさしで話をしてから、様子を見つつ大丈夫そうだったらお前を呼ぶ、と聞かされていた。大事な友達だから丁寧にカミングアウトをしたいのだと言う恭一郎の目はまっすぐ真摯に俺を捉えていた。だから俺は仕事帰りのスーツ姿で安いチェーンの居酒屋に一人で現れ、指定されたテーブルについて、かれこれ数時間、隣を視界の隅で捉えながら酒と焼き鳥をつまみ続けている。

 四つ年下の恋人・畠恭一郎は酒に弱い男だ。だから急にビールを飲み始めたあたりからはもう、いつ割って入って行こうか気が気でなかった。だが事前に恭一郎からは、俺が呼び込むまで先輩からは絶対に入ってくるなと念を押されていた。俺のタイミングが最高だから、そう言っていた。呼び込む、なんてラジオのゲストみたいだと言って笑ったら畠はムッとした顔をしていた。

 俺との馴れ初めを訥々と話だし、酔いが回ってからはニッコニコで俺のどこが好きか、初めて見たときはどう思ったか、最近の俺との会話、出かけた場所なんかをとめどなく語り始めた。女友達は高速の赤べこのようになって、前のめりで頷き続けている。一人しかいない話相手がひたすら聞き役に徹しているため止める奴が一人もいない。いるとすれば確実に俺なのだ。まず何をどうしようか考える。

 悩んでいるうちに恭一郎はすっかり最終形態に到達し、テーブルの上に頬をぺたんと張り付けて、俺の名前をつぶやいていた。あの様子じゃもう俺を友達に紹介する話なんて数パーセントも頭に残っていない。女友達は恭一郎の手を取って脈を図り、冷たいおしぼりを店員に頼んで恭一郎にあてがったりしながら、介抱をし始めた。話に聞いた通り良い友達だ。それからほどなくしてカシャシャシャシャシャシャと乾いたシャッターの音が聞こえたかと思うと、ピロン、とムービー撮影の始まりの音が鳴り始めたので、息を一つ吐いて立ち上がった。

「俺が連れて帰るよ」

 へ? まん丸に目を見開きながら、彼女は気の抜けた声を出した。俺は自分を指さしながら「悠(はるか)」と一言伝えた。それにこたえるように恭一郎が「はるかぁ」と声を出した。

「全部消しておいてね」

 なるべく物腰柔らかくそう伝えると、けたたましい目覚ましみたいな絶叫が店内に響いて、俺はそれはもう大きな声で笑った。一気ににぎやかになったテーブルで、恭一郎だけがただ一人スヤスヤと眠っている。

「あの、えーっと、畠をよろしくお願いします」

 自分でも何を言っているのか分からないような顔で、彼女はそう言った。

「ねえ、恭一郎を一つのオノマトペで表すとしたら、なんだと思う?」

 唐突にそう切り出すと彼女はもっと意味が分からないような顔をしたけれど、数秒でそれ以外ありえないみたいな口ぶりで「ぺたん」と答えた。

 俺は嬉しくなって、「ぺたん」と繰り返した。

「いいね、それ。ぴったりだ」

「はるかさんは何だと思いますか」

 俺は数秒考えるふりをしたあと「もちもち」と答える。

 彼女は目を輝かせてうなづき、「私も、お餅みたいな奴だと思い続けてます」と言った。

「俺たち結構気が合うかもね」

「そりゃあまあ、好きな人が同じだし。これ以上ないくらい。合うでしょ。気」

「やっぱり、連れて帰るのはもう少し後にしよう」

「え?」

「君ともう少し話がしたいな」

 そう口にすると、恭一郎の一番の友だちは小さく縦にぴょんぴょん跳ねながら「はい」と答えた。

「俺の知らない恭一郎の話、聞かせてよ」

「私の知らない畠の話と交換ですよ」

 二人でニヤリと笑って、寝ているお餅を見やる。鼻の穴をぴくぴくさせながら寝息を立ているお餅はまだまだ起きそうにない。

「まず出会いは中学の校庭で…」

 楽しそうに口を開く彼女を見ながら、突っ伏した恋人のまあるい後頭部を優しくなでた。

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