九十六話『極東の白い悪魔』

 薄暗い船室に捕らえられた老人。五十半ばでありながら筋骨隆々の躯体に背は二メートルを超える。四肢を鎖に繋がれ、古傷に重なるように全身に生々しい傷跡がありながらも、ロマンスグレーの髪から覗く青い瞳は力強く輝いていた。


「また来たのか、若造。拷問担当の者に伝えておけ。私を折りたいのなら、もっと腕を磨くことだとな」


「分かった」


 短く返す炉錬ルーリャン

 目の前の男こそ、ウォルコット・ファミリーを支える重鎮『アーノルド・ノイマン』。かつて使徒二位【『極戦きょくせん』の異端審問官】源頼光と戦い、五体満足で生きている怪物だ。


「それで、私に何用かな? いつも隣にいる吸血鬼ヴァンパイアの小僧はいないようだが」


深藍シェンランはイラつく女と仕事の話をしている。オレはヤツの声を聞きたくないからここに来ただけだ」


「つまりはサボりか」


 フランクに話す炉錬ルーリャンとアーノルド。おおよそ敵対関係にあるとは思えない。

 正直、炉錬ルーリャンはアーノルドに悪感情の類を持ち合わせてはいない。これでも仙術と功夫の道を行く武芸者の端くれ。戦場で敵対した相手でも、酒を飲み交わせば気が合う、なんてことは何度か経験している。アーノルドとは同じ武芸者同士、気が合うのだ。もちろん、フランクな会話の裏で当人たちは腹の探り合いの真っ最中だが。


「私はここに閉じ込められてから暇でな。少し話をしていかんか?」


「元『黒騎士』が随分と女々しいことを言う」


「人間歳を取ると角が取れてくるもんだ」


「そう言って油断させるのがやり口だろう。生憎とオレはその手に乗らん」


 確かに炉錬ルーリャン達は目の前の老人に一度勝利した。が、それは圧倒的戦力差で押しつぶしただけ、本来なら炉錬ルーリャンなど取るに足らない相手だろう。

 拷問によって傷だらけの今も、目の前の老人は炉錬ルーリャンと同等の実力を秘めている。


「話すつもりはない、か。なら、私の昔話を聞いてくれんか?」


「なんだ、武勇伝か?」


「いいや、この極東という国に潜む悪魔の話だとも」


 眉をひそめる炉錬ルーリャン。そんな子供だましのおとぎ話に目を輝かせる歳ではない。が、アーノルドの言った『悪魔』という言葉が引っかかった。


炉錬ルーリャンと言ったか。お前は戦場で真に恐ろしいものと出会ったことがあるか?」


「さぁな。お前が頼光と戦った時の話か?」


「知らぬか、そうか。それに、頼光卿は真に恐ろしいものでは無い。あの方の剣は鋭く重たいが、そこには確かに相対する者への慮りと敬意が宿っている。正しく正道のお方だ。そんな方を恐ろしいなどというのは失礼にも程がある」


 目を泳がせ、言葉を選ぶアーノルド。度重なる拷問にも耐え抜いてきた彼が初めて恐れを見せるような、そんな風に炉錬ルーリャンには思えた。


「あれは三十年前、私がまだ黒騎士であり、円華戦争に参戦していた時のことだ」


 円華戦争。かつて華炎を戦場に起こった戦いだ。始まりは城塞都市『香港』で起こった華炎反体制派によるテロ、その鎮圧に出向いた華炎軍と円卓軍の衝突。その結末はどちらも戦争の長期化によって国内情勢が悪化し、両者ともに何も得られずに終わった勝者のいない戦争。


「我々円卓軍は、香港を制圧し、更に内地へと進行すべくある場所で華炎軍と睨み合っていた。戦況はこちらが優勢、あと一息で都市が落ちるという時のことだ」


 ブルブルと震えるアーノルドの手。今もあの時のことは克明に彼の脳裏に焼き付いている。忘れられるはずもない恐怖の記憶。


「ある夜、急に陣地が騒がしくなった。私は初め、追い詰められた華炎が起死回生ために夜襲に打って出たのだと考え、剣を取り飛び出した。だが、外に出た時に広がっていたのは何だったと思う?」


「怪異の大群でも見たか?」


「はははは! そんな可愛らしい光景ならどれほど良かったか。……同士討ちだよ。正気を保ったまま体の自由だけを奪われ、味方同士で殺し合う狂った光景だ。殺し合いの果てに力尽きた者が破裂し、血をまき散らす。そして、その血を浴びた者は自由を奪われ敵の尖兵となる……命への敬意も武芸者としての誇りも感じられない、ただ最小の労力で出来る限り多くの人間を殺すための魔術」


「…………」


「波のように広がっていく狂気の中をかき分け、中心へとたどり着いた。そして、そこで見た者を心底恐ろしいと感じたよ」


「一体何を?」


「そこにいたのは白い衣を纏った一人の少年だった。異端審問官とは何度も交戦していたから、異端審問官かと疑った。が、すぐに思い直した、彼らがこのように卑劣な魔術を使う訳がないとな」


 異端審問所は無駄な虐殺を良しとしない。それに、円華戦争に異端審問所が介入する理由がないのだ。


「それは異端審問所のコートとは違った。真っ白い鴉羽があしらわれたコート。それを纏った少年が血だまりの中に無表情に佇んでいた。頼光卿と比べると実力はその少年の方が劣るはず、しかし私には頼光卿よりも彼の方が恐ろしかったのだ」


 気が付けばかつてのアーノルドは逃げ出していた。頼光から逃げのびた、と黒騎士の中でも一目を置かれる存在だった彼のプライドはたった一夜の少年との邂逅によって粉々に粉砕された。


「それから数年、私はウォルコット・ファミリーとしてこの極東に流れ着いてから、あの少年の正体を知った」


 それを知った時の衝撃は忘れられない。あんな人の尊厳を蹂躙するおぞましい怪物を国家が飼っていていいのかと、それまで多くの国の暗部を見てきたアーノルドですらそう思わざる得なかった。


「白い鴉羽をあしらったコート……極東の国家元首たる天帝の近衛、『白銀家』の証……まさしく『極東の白い悪魔』」


 気が付けば、アーノルドの鬼気迫る語りに聞き入ってしまっていた炉錬ルーリャン。アーノルドの強さを知っているからこそ、彼をここまで恐れさせる『白銀家』の脅威も理解できる。


「だが、何故その話をオレに?」


「お前達が気付いているかは知らんが、今行われているのは華炎と極東の代理戦争。極東という国家を脅かすならば奴らは来る。それが隣国で行われる戦争であれ、裏社会の抗争であれ、な。覚悟しておけ、奴らに出会えばマトモな死に方は出来ん」


「そうか。だがオレ達にはこれ以外道はないんでな。ただ、深藍シェンランの言う自由ってやつののために戦うだけだ」


「それに私を捕らえた程度で調子に乗るな、若造。門影アンダーゲートは、お嬢様はお前達に負けるはずがない。白銀が出てくる前に叩き潰されるのが関の山だとも」


「何とでも言え。貴重なご高説感謝する」


 皮肉めいた口調で言い捨てる炉錬ルーリャン。だが、その頭には『極東の白い悪魔』という言葉が引っかかっていた。

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