九十五話『謀を読み解く』

 新門の外、遮るものの無い大海原に停泊する一隻の巨大船舶。貨物船に偽装したそれこそ、新門で暗躍するマフィアたちの前線基地である。本拠地から運んできた麻薬をこの船で更に小型の貨物船に乗せ換えて新門へと運び込むという訳だ。


深藍シェンラン、あの女の機嫌は?」


 重たい鉄の扉を開きながら、炉錬ルーリャンは問いかける。深藍シェンランに与えられた船室は広く、執務用の机にソファと閉塞感のある船の中では、比較的居心地のいい空間だ。

 それは深藍シェンランが重要な戦力ということもあるが、一番は上司の『お気に入り』だからという理由。


「卿の予想通りだ。烈火の如き怒り、随分と手ひどくやられたとも。なだめるまでに随分と掛かった」


「クソババアが」


「まったくな、ババアの相手も楽ではない」


 深藍シェンランの頬は青黒く腫れあがり、少し背中を丸めている。恐らくは傷をかばっているのだろう。襟元からはひっかき傷がのぞき、首には絞められた痕が残っている。


「血、いるか?」


「いや、遠慮しておこう。これからのために卿は常に万全の状態にしておきたい」


 アリス・ウォルコットを取り逃がしたことに加えて、予期せぬ異端審問官の介入。なんとか切り抜けたものの、気を抜けない状況だ。門影アンダーゲートの最大勢力であるウォルコット・ファミリーを潰して一息つけるかと思えば、次の問題が湧いてきた。


「どうだ、炉錬ルーリャン。勝てそうか?」


「お前も戦ったから分かるだろ。勝てたのは偶然……いや、初見殺しでようやくだ。次は分からない」


「ウォルコット・ファミリーの時のように戦力を集中させられるならいいが、門影アンダーゲートの勢力も相手にするとなるとそうもいかないか」


「だが、本当にあの異端審問官たちが門影アンダーゲートにいると思うのか?」


「そうでなければ今頃、異端審問所にやられてやつがれらはこの世におらん。恐らくは遊郭あたりにでも転がり込んだのだろう」


 たった一人の異端審問官のせいで炉錬ルーリャンの部隊はかなりの損害を出した。五日たった今も三人が目を覚ましていない。現在の門影アンダーゲートの勢力争いで優位に立つ深藍シェンラン達も、異端審問所が介入すれば一日持たずに全滅する。


「厄介だな。もう一度、デカい抗争になる。魔導甲冑は戻ってきてるが……」


「しかし、それだけが厄介ごとではないぞ。今回の仕事、妙に物資が豊富だとは思わないか?」


「確かに弾は使い放題で魔導甲冑も手に入っているが。それだけ、あのババアが本腰を入れて次のボスを狙いに行くというだけでは?」


「なら良かったが。この仕事、どこかは知らないがパトロンには軍閥が付いているようだ」


 前皇帝の死後、華炎では覇権を巡って群雄割拠の時代が続いている。軍閥と呼ばれる各勢力は、今日も相手を下すために新たな力を求め続けていた。その為には国外に勢力を伸ばす必要も出てくる。


「オレ達はしっぽ切りの簡単な尖兵ってことか」


「ああ。おそらくこれは華炎マフィアと門影アンダーゲートの抗争などではない。やつがれら日陰者達を使った華炎と極東の代理戦争……それがこの仕事の正体だろう」


「異端審問所が引き気味な理由もこれか」


「もしやつがれらが華炎軍閥と繋がりがあると分かれば、戦争の口実になるのは明白だ。極東軍はともかく、『一那住財閥いなずみざいばつ』にとってはまたとない市場拡大の機会……極東が二つに割れる事態は避けたいらしい」


 が、背後にある勢力同士の事情が分かったところで深藍シェンラン達に出来ることなど何もない。所詮しょせん、彼らはマフィアの一構成員に過ぎないのだから。


「けど、やるしかない。オレ達が生きていく方法なんてこれしか知らないんだから」


「そうだな。もちろんやつがれも無策という訳ではない。門影アンダーゲートを落とすための策なら考えている」


 そう言って部屋の隅に立てかけられた黒いケースを指さす深藍シェンラン。それは細長く、中に入っているのは武器の類だろう。


「最近、マフィアと接触したある商人からようやく送られてきた代物だ。お値段たったの千元」


「千元……先生か。生きてたんだな、どこかで野垂れ死んでるかとも思ったが」


「あの人の死に様を想像できるか?」


「無理だな。頭吹き飛ばしても死なないんだぞ。どうやったら死ぬのかオレが教えてほしいくらいだ」


 懐かしい存在の話を耳にして笑う二人。

 『ヘイ』と名乗る商人。幼い二人に日陰での生き方を教えてくれた恩人であり、自身の快楽を何よりも優先する胡乱うろんな男。


「アンタたち、なーに笑ってんの?」


「——『紫爆ジーバオ』か」


 入ってきたのは、燃えるような紫のツインテールに暗い青の瞳が特徴的な女。体に張り付くような特殊部隊を思わせるスーツにマント代わりの寒冷地用のジャンパーを身に着けている。裏地に縫い付けられたポケットには無数の爆弾が詰まっている。


「相変わらずの面。深藍シェンラン、アンタまた貧乏くじを引いたのねぇ」


 笑う紫爆ジーバオの目の前にショットガンの銃口が向けられ、首筋に銃剣が触れる。


深藍シェンランを笑うな」


「あら? 仲間にこんなことをしちゃいけない、って学校で教わらなかったのかしら?」


「オレもお前も、学校なんぞ行ったことないだろう。鳥籠お嬢様?」


「今ここでブチ殺してやろうか!」


 一触即発の空気にため息をつく深藍シェンラン。これだから日陰者の面倒をみるのは疲れるのだ。


「やめろ二人とも。紫爆ジーバオ、何か用があってここに来たんだろう?」


「チッ、アンタに免じてコイツを殺すのは止めにしてあげる。で、本題なんだけど、『士吠シフェイ』からの伝言。門影アンダーゲートの封鎖完了だってさ」


「そちらは上手くいったか。これで少しは時間が稼げる。士吠シフェイの様子はどうだった? 異端審問官にやられていたが」


「元気そうだったわよ。チンチンが消し飛ぶかと思ったぜ、なんて言ってたかしら? そのまま消し飛んでくれた方が良かったのだけどねぇ。そうすれば、女と見れば声を掛ける悪癖も治ったんじゃない?」


 ずいぶん酷い評価の士吠シフェイだが、女癖の悪さは折り紙付きなので、深藍シェンラン炉錬ルーリャンも擁護できない。魔導甲冑乗りとしては高い技量を持つ貴重な戦力なのだが……。


深藍シェンラン、すまないがオレは席を外すぞ。この女の声を聞いていると不愉快だ」


「だーれの声が不愉快よ! アンタこそイラつくからさっさと消えてもらえる?」


 紫爆ジーバオと言い争いながら部屋を後にする炉錬ルーリャン。言うまでもなく二人は仲が悪い。出会った当時から今まで、一度も変わることなく顔を合わせればぶつかり合う。深藍シェンランの胃痛の原因の一つだ。


紫爆ジーバオ、早速次の仕事の話だが」


「何? 逃げ出したガキを探せとか言わないわよね?」


「その通り。卿には逃亡したアリス・ウォルコットの捜索と確保の任を与える」


「うっげー! クソめんどくさいヤツじゃない! アンタね、私の得意分野分かってる? もっと爆弾使ってパーッと殺せるようなのにしなさいよ!」


「その代わり、アリス以外に被害を押さえる必要は無い。後で資金も多めに回してやる」


「それを早く言いなさいよ! 気前いいじゃない! 深藍シェンラン、愛してる!」


「……分かったら次の船で新門に戻れ」


 じっとりとした目で深藍シェンランはそう告げた。

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