八十二話『侵想臨界』

「このまま、天城さんに見つからずにたどり着けると良いけれど」


「ネージュ、フラグみたいなことを言うのはやめてくれ」


 ネージュの立てた作戦どおりに戦いを進められれば、焔に一撃入れることも可能だろう。が、それはどこでも出来ることではない。まずは焔をあの場所に誘い込む必要があった。


「もし見つかったら、戦いながら誘い込む。仁には負担が大きい作戦だけど……」


「大丈夫。この雨なら、焔さんの力も弱まってるはず。俺一人でもある程度は耐えられると思う」


 体温を瞬時に奪い去っていく真冬の雨。炎使いにとっては最悪とも言える状況。使徒がこの程度で戦闘不能になるとは思えないが、弱体化が避けられないのも事実。


「——っ! 皆さん、警戒を。風の流れが変わりました」


 薫の声と同時に、真夏を思わせるべた付く湿り気を帯びた熱風が吹く。風に吹かれて森がざわめき、空が鳴って白い閃光がはしる。

 それは正しく、神話に謳われる神の先触れ、そのものの光景であった。


「見つけたぞ」


 焔は空中から黒炎を吹かせ、衝撃と共に四人の前に降り立つ。足元では汚らしい色の水たまりが沸騰し、白い蒸気へと変わる。彼が存在するだけで凍てつく冬は、業火で地獄へと変貌した。


「じゃあ、第二ラウンドと行こう」


 刀の切っ先から黒炎の斬撃が放たれ、四人へ迫る。魔を滅する力を持つ明王の炎を迎え撃つは白き星の少女。

 ネージュの手が触れた瞬間に、滅魔の業火は跡形もなく消え失せた。例え、相手が最強の異端審問官でも、超常である限りネージュの力には逆らえない。


「ならば——『劫火ごうか即征そくせい』」


 炎による加速を利用した高速の居合。蒸気と共にネージュに迫る最強に、一人の騎士が割り込む。


「ブーストチャージ!」


 盾と刀が激突し、刀身を覆っていた黒炎が爆ぜる。それを吹き飛ばすのは雨の中を吹く科戸風。

 本来は薫の力で黒炎を逸らすことなど敵わない。けれど、今は雨。そして、炎によって生じた寒暖差によって吹き荒れる突風。これらを利用すれば、この戦場だけは薫が焔を抑えられる。


「——チィ!」


 英士の後ろから、焔の懐に飛び込む仁。放たれる鏢を紙一重で躱し、背後へと回った仁と剣を振り上げる英士を巻き込むように回転切りを放つ。

 後ろに素早く下がった仁には当たらず、英士は魔術で盾を強化し防ぎきる。速度も火力も下がっている事実に歯噛みする焔。


「——『紫電しでん』!」


 息つく暇を与えないように木々を蹴り、加速した仁は吶喊とっかん。一度では止まらない。ぬかるんだ地面を逃さず踏みしめ加速。

 行く手を阻む炎の壁も彼を止めることは叶わない。この程度の炎、あの日の白焔に比べればロウソクの火にも劣る。


(連携か……鳴海さん、アンタも俺たちに付き合ってくれた時はこんな気分だったのか?)


 今は亡き師の気持ちを味わいながら、英士と斬り結ぶ焔。火力の落ちた斬撃では騎士の防御を貫けない。一太刀浴びせて魔術の盾を半壊させても、すぐに元通りの姿に戻る。


「ならば、これで無理矢理こじ開ける!」


 死角から飛び込んでくる仁をいなしながら、黒炎を刀身に幾重にも纏わせる。あまりの熱量に刀の像が歪んだ。


「——『劫火ごうか倶利伽くりか……ッ!」


 黒炎の前に飛び込むネージュ。圧倒的な破壊力の攻撃を握りつぶして、さらに踏み込む。拳は空を切り、お返しの袈裟斬りでネージュの胸に薄っすらと血が滲む。

 が、更に一歩。この程度、ネージュにとっては瞬きの間に治る軽傷。ガントレットと刀が甲高い音を立てながら激突する。


(クソゲーだな。攻撃の殆どは英士が受け止める上に、防ぎきれない大技は的確にネージュが潰しに来る。余波で削ろうにも薫が逸らすうえに、与えたダメージも『科戸風ノ禊祓しなとかぜのみそぎはらえ』によって回復させられる。闇雲に攻撃しても死角を増やすだけ。仁のつけ入る隙を増やすだけ、か)


 炎を使った攻撃では蒸気が起こり、視界を塞ぐ。一対多の状況では悪手。飛び込んでくる仁本体も脅威だが、最も恐ろしいのは霧の中から現れる鏢。この雨では音を捉えることも出来ず、霧から現れた瞬間を認識、対応しなければならない。加えて、薫の風によって軌道を急激に変化させることも可能。


 普段なら、あえて鏢を受けてカウンターを入れるところだが、この試験の条件がそれを許さない。結果、焔は攻撃の通らない前衛二人の相手をしながら、どこから襲ってくるか分からない仁を警戒しなくてはならない厳しい状況だ。


(ならば、まずは足場を潰す)


 ネージュを蹴り飛ばし、一瞬攻撃の手が止む。そして、刀は三度、幾重もの黒炎を刀身に宿らせた。


「——『劫火ごうか倶利伽羅くりから』」


 対する騎士の剣は白い光をたたえ、明王の黒炎を迎え撃つ。


「——『永久に輝く裁定の剣カリバーン』!」


 二つが激突し、空気が震える。互いに相手に届かない攻撃は、代わりに辺りの木々を蹂躙した。


(これで仁の脅威度は大きく下がった)


 確かに木々はへし折れ、仁の足場が無くなったと思うのも無理はない。が、ここまでも作戦で織り込み済みである。


「さぁ、答えは出たか、灰月仁!」


「分かりましたよ、ハッキリと! でも、まだ答える訳にはいきません!」


 剣槍と刀が火花を散らし、仁は焔とすれ違う。迫る横薙ぎを仁は跳び上がって回避。が、空中。次の攻撃は避けきれない。


「盾形状および軌道半径修正!」


 英士の周りを回っていた盾が形を変えて、仁の新たな足場へと変わる。焔に張り付くように縦横無尽に飛び回る仁。


(だがその分、英士の防御は薄くなっている)


 仁を振り切り、英士へと狙いを定める焔。が、ネージュが間に割り込み、近づくことが出来ない。


「仁!」


「英士!」


 英士の盾をカタパルト代わりに、ブーストチャージで加速。盾を蹴って更に加速。ネージュと入れ替わるように焔へ迫る。


「「——『疾走するは王の狼槍アサルトガンド・ロンギヌス』!」」


 刀で受ける焔だが勢いまでは殺せず、仁と共に森の中を飛んでいく。


「そろそろ話してくれても良いんじゃないのか、お前の答えを!」


「ずいぶん余裕ですね、焔さん!」


 身をひるがえして着地する二人。しかし、勢いはそのままに森の中を走り抜けながら戦い続ける。

 黒炎の斬撃を躱しながら誘い込む仁と追う焔。薄暗い森の中、黒いコートで鏢も絡めた高速移動をする仁を捉えるのは容易ではない。事実、速度で上回っているはずの焔は仁に追いつけなかった。


「お前は何のために戦う。世界か、一人か!」


「どっちもに決まってる!」


「それは理想論だ。一般論として現実はそう上手くはいかない!」


「俺だって分かってるさ。でも、俺は世界も、一人ネージュも助けたいんだ!」


 あの時、なぜネージュを殺せなかったのか。

 あの時、なぜすぐにネージュと逃げなかったのか。


 あの時、ネージュを殺せば、世界だけは救えると思った。でも、灰月仁は納得なんて出来なかった。

 あの時、ネージュと逃げれば、彼女だけは救えると思った。でも、灰月仁は納得なんて出来なかった。


 そして、最後に仁が選んだのはネージュを助けることだった。


 だって、ネージュを助ければ、世界も彼女も救えるのだから。それが灰月仁が唯一納得できる答えだった。


 答えなんて過去の自分を見れば明らか。既に灰月仁は選択している。なら、理想論でも何でも、そのやり方を貫き通すしかないだろう。たった一度だけだとしても、灰月仁はその理想論を叶えてみせたのだから。


「俺は戦う。俺が救うべき全ての人を救うために。世界も、一人も守り抜くために」


「大層な綺麗事だ」


 焔は笑う。けれど、それは冷笑や失笑ではない。どこか彼は嬉しそうに、安心したように微笑んだ。


(来た。ここだ)


 森を抜けると広がっていたのは白い花、『華炎鈴蘭かえんすずらん』の花畑。大雨の中でも懸命に咲く花々の上で二人の異端審問官は対峙する。


「綺麗事、理想論。お前の出した答えに俺は文句を言うつもりはない。ただ、何のために戦うのかを考えて欲しかっただけだしな」


「ええ。おかげで色々分かりましたよ。あと、地下に叩き落としてくれたことも感謝しときます」


「で、だ。報酬っていうのはなんだが、見せてやるよ。灰月仁、お前が異端者として目指すべき異能の極致、その一端をな……出力抑制強制解除。十五パーセントから三十パーセントまで解放」


 異能とは自らの心で現実を、世界を捻じ曲げる力。ならば、その極致、行き着く先はたった一つ。あらゆる異能の果てはそこへと収束する。


——証明せよ。


——肯定せよ。


——顕現せよ。


 そして、最強の異端審問官は紡ぐ。


「——『侵想臨界』」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る