八十話『君に誓いを』
「この先の広間を抜ければ……重い!」
分厚い鉄扉を押す仁だが、『
「仁、そこ変わって」
ネージュが力を込めると、金属の擦れあう音がして扉が開く。人一人が通れるサイズの隙間を開けた彼女だが、特に全力を出した様子もなく涼しい顔をしている。相変わらずの怪力だ。
「元は
円形の広間の外周には木製の建物が並び、中央にはチェスのポーンに似たオブジェと鎧武者を思わせる巨大な像が立っている。天井に煌めく
「だから、いかにもって感じなんだよな」
こちらに背を向けて立っている巨像は表面に苔が生えているが、かつてはこの広間の防衛システムだったのだろう。この手の仕掛けは部屋に入った瞬間に起動するのがお約束。
仁は息を止めて一歩を踏み出す。広間は静まり返ったまま、像が動き出すこともない。
「考えすぎだったか……いや、一応は外周を隠れながら進もう」
「そうね。ここ、私も凄く嫌な予感がするから」
苔の匂いのする建物の中を足音を殺して進む。中を歩けば、儀式に使われていた剣や勾玉、鏡だけでなく文机や食器も転がっており、使われていたころは沢山の武士が詰めていたことが分かる。
「もしこんなところに独りぼっちだったら……あの像もずっと寂しいのかな」
「ずいぶんロマンチックなことを。でも鍛冶道具でも機嫌があるし、像も同じかもな」
取り留めのない会話をしながら、何事もなく反対側の扉へと到着した二人。警戒していたのに随分と拍子抜けだった。
「やっぱり、千年も経てば清明の術もダメになるらしい」
「外に出たら、薫や英士君と合流しないと」
ネージュが扉に手を触れる。瞬間、法螺貝の音が鳴り響き、広間の床が青白く発光した。そして、苔むした武士の巨像はその太刀を振り上げて。
「ネージュ!」
ネージュを抱きしめて、地面を転がる仁。爆ぜた石畳の破片が体を打つが、痛みに叫んでいる暇はない。
えぐれた地面。食い込んだ太刀を引き抜くと、巨像は再び二人を狙う。
「クッ、ネージュは逃げて!」
立ち上がるネージュの背を押して、仁は太刀をギリギリで回避。そのまま、突き刺さった刀身の上を駆けあがる。武士の姿をしていても、所詮は岩の塊。握られた獲物は形を模しただけのナマクラに過ぎない。
「こういうヤツは、まず頭!」
横っ面を剣槍で打ち据えるが、返ってくるのは硬い感触。鋼鉄ですら断ち切る剣槍は巨像に傷一つつけられない。
(見た目は岩だが、
鈍い音を上げながら振るわれる太刀を仁は剣槍で受け吹き飛ばされる。鏢を天井に突き刺し勢いを抑えるが、全身を貫く衝撃に左手の力が緩み落下。
(クソッ、大きさの割に素早い)
二十メートルを超える体躯を誇る巨像だが、その動きは人間のものと同じ。無機物のクセに有機的な動きで仁を狙う。加えて、超質量から繰り出されるその動きどれもが仁にとっては一撃必殺、まともに受ければ即死。
(どこかに弱点が……こんな巨体を動かしてるんだ、
一振りごとに巻き起こる暴風。叩きつけには砕けた石片を伴い、散弾となって周囲を蹂躙する。浅く裂かれた仁の頬から血が滲んだ。
「上手く体に取りつかないと……ッ!」
土埃の向こうから伸びる巨腕を指の隙間を潜り抜けて避ける。が、上から迫る太刀。この距離では太刀そのものは避けられても、起こる石片の散弾は避けきれない。
(——不味い)
太刀を受けて止めるのは白き少女。押しつぶされる前に、斬撃を横へと逸らし、バランスを崩した巨像が転倒する。
「ネージュ、何で! 逃げろって」
「仁、歯を食いしばって」
「はぁ? ——ッ!」
呆然としたまま地面に倒され、組み伏せられる仁。ネージュは馬乗りになって、そして叫んだ。
「ふざけないで!」
「へ?」
ネージュが聞いたこともないほど怒気を孕んだ声で自分の胸倉を掴んでくる、仁にはひどく信じがたい光景だった。折れた肋骨の痛みが意識の彼方に消え去るくらいに、衝撃的でなぜ彼女がこんな顔をしているのか分からない。
結果、彼に出来たのは気の抜けた返事だけ。
「あなたは前からずっとそう! 下がっていろとか逃げろとか、私をいつも危険から遠ざけようとする! そのくせ、自分はいつだって前に出てボロボロになる! 私がどんな気持ちでいるか考えたことある?!」
瞳から涙が溢れる。熱く熱を持った雫が、少女からこぼれ、少年の頬を伝い、冷たい地に染みを作った。
「俺は……君を危険から遠ざけたくて……これまでの分、笑って欲しくて」
「私だって、どうしようもなかった時にあなたが救ってくれたことは感謝してる! 私が笑えるように考えてくれたのも、ありがとうって思う! でも、もっとちゃんと私を見て!」
仁だって分かっている。ネージュを守りたいと思う気持ちが、彼女のことを考えていない、自分のエゴに近いことくらい。だって、本当の彼女は儚くて触れれば消えてしまいそうで、それでも凛と強く美しいのだから。
「私がいつ、危険から遠ざけて、なんて頼んだ? あなたは本当に私がそれで笑えると思うの!」
「…………」
安全な場所で笑っていて欲しい。彼女に普通の幸せを掴んでほしい。ネージュの気持ちも聞かず、仁が彼女に望んだ幻想。それをネージュ自身が真っ向から叩き壊す。だって、そこでネージュは笑えないから。
大きく息を吸って吐く。ここまで本音をさらけ出したのだ。勢いに任せてネージュは止まらない。
「……仁、聞いて。私、あなたが好き」
突然の告白に思考が止まった。色んな感情が溢れて、頭の歯車が回らなくなり、ただ目の前の少女だけが鮮やかに眼に焼き付いて離れない。
「やめてくれ。君のその感情は刷り込みと同じだ。たまたま、初めて会ったのが俺なだけ……もっと世界を知れば、俺より君が好きになれる人もきっといる」
「お生憎さま。私はこの世界を壊すような女を自分の命を賭けてまで助けに来てくれる人を好きになるし、そんな人がこの世界に二人もいるとは思えないけど?」
「違う……違うんだよ。俺じゃなくても君を助けてくれる人は」
「私、あなた以外に助けられるつもり無いから」
自らを否定する言葉を重ねる仁を否定するネージュ。逃げようとする仁を捕まえて、ネージュは決して離さない。
「あなたが何度否定しても、私は何度だって、あなたが好き、って言う。だから、私はあなたがボロボロになって作った平和の中で笑いたくなんてない、笑えない」
ネージュの眼に涙も怒りもすでにない。真っ直ぐに、仁の金の瞳とネージュの青の瞳が重なって。
「私が笑えるのはあなたの隣。どんなに苦しくても、私はあなたの隣が良いの」
ただ、聞こえるのは銀鈴の声。今が戦闘中であることも、胸の苦しさも全て忘れて、仁には美しい声しか聞こえない。
「それに仁はあなた自身が思うほど強い人じゃないでしょ? 確かに料理はおいしいし、魔道具を作るのも上手だし、私にできない色んなことが出来る。でも、自分一人だけで最後まで歩いていける超人じゃない」
自分でも何を言っているのか分からない。
好きだと伝えるために色んなことを考えてきた。夕日の丘で、満天の星空の下で、理想のシチュエーションだって両手の指では数えきれないほどある。それに本当は仁から好きだと言って欲しかった。
でも、そんな理想からは外れてしまったけど。この恋は、想いは変わることなどないから。
「だから、私にあなたの隣を歩かせなさい!」
「俺は……」
立ち上がる巨像。迫る太刀を弾いて、ネージュは叫ぶ。
「空気読んで!」
「ネージュ、今は戦闘に集中しないと」
我に返って顔を赤らめながら離れた二人に追撃。太刀を躱して、巨像と対峙する。
「これからは何でも一人で背負わず、私にも背負わせなさい」
「……ごめん」
「ごめんはいらない」
巨像の背面が開き、周囲の
「背中が装甲薄いのか」
「仁、お願い」
「……ネージュ、頼んだ」
先ほどとは比べ物にならない力の一撃をネージュは受け止める。相手がパワーアップしていようが、それはネージュも同じだ。全身が焼けるように熱い。仁が自分を頼ると言ってくれた、それだけで幾らでも力が沸き上がるのを感じる。
その隙に再び巨像を駆けあがる仁。狙うは背中、ハッチは閉じているが、強引にこじ開ければいい。唸り声を上げるチェーンソーを押し付けて、無理やり装甲を切り裂く。
「あと少し——ッ!」
ハッチが急展開された勢いで吹っ飛ばされる仁。だが、空中で彼は冷静に狙いを定める。
閉じるハッチ。奥に見えるのは巨像の核。そこへ全力で剣槍が叩き込まれる。
「これで!」
核を失ったことで全身に亀裂が走り、崩壊する巨像。仁の言葉通り、これで終わり……に見えた。
「再生してる?!」
中央のオブジェから放たれる光が、砕けた巨像の核を修復してゆく。それと同時に、バラバラになった巨像が再び元の姿を取り戻し始めた。
(あのオブジェを壊す!)
チェーンソーを投げつける仁だが、オブジェの周囲に展開された強固な結界によって弾かれる。
千年前の英雄が作り上げた防御結界だ。物理的な手段ではほぼ破壊不可能と言っていい。
だから、仁はネージュを呼んだ。
「ネージュ、乗って!」
ネージュを背に乗せ疾走する仁。ネージュでは届かない距離。仁では壊せない結界。でも二人なら。
「これで終わり!」
千年前の英雄が作り上げた防御結界を貫き、オブジェごと魔術を砕き去る。青白い光の支配する空間に、光の花弁が舞い上がって、世界に静寂が訪れた。
「それで、仁。さっきの答えは?」
本心そのまま、真っ直ぐに放たれるネージュの言葉。それに仁も嘘偽りなく応じるしかない。
「……ごめん。俺は、まだ君の気持ちに応えられない」
「まだ、なのね」
仁は堅物で、朴念仁で、律儀な男だ。人の信頼を裏切るような真似はしたくない。特に、目の前の少女の澄んだ瞳から向けられる信頼は。
「俺は自分が昔、どこのだれでどんな奴だったのかを知らなくちゃいけない……どうしても黒錆シンを俺は赤の他人だなんて思えないんだ。それに、アイツの言う通り俺にも殺戮の血が流れているんだと思う。だから、俺はまず、過去と、自分と向き合わなくちゃいけないんだ」
実感がなければ、シンの言葉は凶人の妄言に過ぎない。けれど、戦いの中で
「俺が過去を全部知って、それでも君の隣に居て良い人間なら、君の気持ちに応えさせてくれ」
言い切った仁の唇にネージュは人差し指を当てる。覚悟した雰囲気で逃げ切ろうとする彼を逃がさないために。
「あのね、この際、私が仁を好きって気持ちに答えるかは後でいい。でも、一つだけここではっきりさせて。私はあなたの隣に居て良い?」
「だから、それは俺が君の隣に居て良いか知らないと……」
「私が聞いてるのは、私があなたの隣に居て良いか。仁が私の隣に居て良いかじゃない。それに私はあなたの過去がどうでもいいなんて言わないけど……それよりも、今のあなたの方がずっと大事。過去のあなたがどんな人だとしても、今のあなたは私が隣に居る限り、あなたが言うみたいな『ただの怪物』になんてさせないから。だから、答えて。仁は私に隣に居て欲しい?」
曖昧なまま、居心地のいい関係を続けたい自分を仁は振り切る。誰よりも自分のことを好きだと言ってくれる少女のために。
「——俺の隣に居てくれ、ネージュ」
「喜んで」
頬を赤らめて二人は見つめ合う。胸を締め付けていた苦しさが消えて、心が燃え上がるように熱い。そして、そのまま……。
((無理無理無理無理!))
唇と唇が触れあう少し前、我に返った二人。雰囲気に流されるままに大人の階段を登ろうとしたところで、理性と気恥ずかしさがストップをかける。
「行こうか……」
「そうね……」
無言のまま長い上り坂を歩いていく。顔を合わせる気にもなれない。身体は熱いのに背には冷や汗が流れて止まらなかった。
(何でもいい、何か話題を出さないと。俺が空気に耐えられないッ!)
先に根を上げたのは仁。頭の中を全力で探して、適当な話題を見つけ出す。
ネージュの前で、珍しく仁は弱音を吐いた。
「あ、あのさ……焔さんに言われたんだ。俺は何のために戦うのかって。分からないんだ。人のために戦っていた、でもそれは世界って言う沢山の人のためなのか、目の前で苦しむ誰か一人のためなのか」
「急ね」
「あはは……」
「——そんなの簡単でしょ。仁は何で私を助けようと思ったの?」
刹那、頭の中で一つの答えが導き出される。仁はそれが答えになるとは自分では思えなかった。けれど、過去の自分はそれを答えにしてみせている。なら、受け入れるだけだ。
「ありがとう、ネージュ。分かった」
力強くネージュに微笑む仁。悩みをまた一つ振り切った彼は清々しい表情をしていて、ネージュは思わず一瞬その顔から視線を外せなくなる。
「——っ! ほ、ほら、あれ! たぶん出口じゃないかしら!」
「長かった! ようやく外の景色が見られる!」
分厚い岩の扉を二人で開き、歓迎したのは日の光……ではなく土砂降りの雨音。地下にいた四時間ほどの間に降り始めたらしい。が、二人が驚いたのは扉の前に座っていた薫と英士の方だ。
「二人とも、なんでここから?!」
「英士たちこそ何で」
「吹き飛ばされた御門君の近くにこの遺跡があることを思い出したので、ここで雨宿りをしようかと」
「な、なるほど」
期せずして合流した四人。傷ついた体に『
「さて、灰月君の傷も治しましたし、天城さんを倒すための作戦会議を始めましょう」
天気は最悪だが、相手が炎を操ることを考えれば、むしろ天運。この機を逃す訳にはいかない。
「それだけど、私に良い作戦があるの」
ネージュの作戦、土砂降りの雨。反撃の手札は揃っている。
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