七十九話『地の底』

「はぁ、はぁ……大丈夫か、ネージュ」


「なんとかね。ここは……」


 冷え切った体を引きずりながら、岸へと上がる二人。どこからか流れ込む冷たい風が、濡れた肌を撫でるたびに体温が失われていくのを感じる。


「どこかの洞窟らしいな。クソッ、こんなところ、早く脱出しないと……痛ッ」


 限界を迎えた体に寒さによる凍えが合わさり、仁は初めて立ち上がった子供の様に足をもつれさせてしまう。剣槍を杖代わりにしても、足を引きずって歩くことさえできない。


「動けねぇ……」


「こんなにボロボロなんだから無理しない。あと、早く服を脱いで」


「はい? なんて? いや、なんで?」


「なんでって、濡れたままだと体温が奪われるでしょ。せめて、絞って乾きやすくしないと」


 ネージュの言うことは正しい。生き残るために手段を選んではいられないのだから。ただし、年頃の男女が肌を見せ合うというのは、社会的に問題大アリである。


「待て待て待て! 俺はともかく、ネージュは女の子だろ! その……女子が不用意に男の前で肌を見せるもんじゃない! 男ってのは、女性の裸を見ると抑えが利かなくなることがあるんだよ!」


「へぇ? じゃあ、仁も私の裸で興奮したり?」


「え? いや……目つむるだろ、普通」


「あっそ」


(なんで、そこで不機嫌になる?!)


 表情は変わっていないが、仁を見つめる瞳の鋭さが上がる。背筋に体が冷えるのとは別の冷たさを感じる仁。例えるならば、草食動物がうっかり肉食動物の前に出てしまった時のような感覚だ。


「とにかく、早く脱いで。絞るのは私がやるから」


「背に腹は代えられないか」


 コートを脱ごうとした仁だが、全身に走った痛みに小さくうめき声を漏らす。いくら服を脱ごうとしても体は言うことを聞かず、息を荒げる仁。


「く、無理か……」


「私が脱がせてあげようか?」


「え、いやそれは。自分で頑張ってみるから」


「無理しないの。あ、逃げようとしない! 大人しくしなさい!」


 全力で転がってネージュから距離をとる仁だが、あっけなく捕まり上半身の身ぐるみをがされる。力はネージュの方が圧倒的に上、抵抗できるわけがない。


「ネージュ=サン……どこを見てらっしゃるんでしょうか……」


「あとは下ね。まずはベルトを」


「やめてください、それだけは! 自分で出来るように頑張るから、もう少し待ってくれれば自分でどうにかするから! だから!」


「その間に体温はどんどん無くなるでしょ。時間との勝負なの。ここをこうして……」


 仁は男としての尊厳を守るために、全力で抵抗する。一部ではご褒美とされる状況らしいが、生憎あいにくと彼はそんな業を持ち合わせてはいない。


「まっ、たっ、助け……あああぁぁぁ!」


 気が付くと仁は水気が無くなった服を着て、膝を抱えて座っていた。

 目の前でネージュの生着替えや美しい裸体がさらけ出されていた気もするが、今は何も考えたくない。得たものは無く、失ったものは計り知れないほどに大きかった。


「見られた……うぅ、もうお婿に行けない……」


「なら私が貰うけど?」


「冗談を……」


 そのまま、ネージュに背負われる仁。いつもなら羞恥心が働くところであるが、今は完全にマヒしてしまった。濡れた服越しに伝わる人肌の温かさとほんのりと香る良い匂いを大人しく享受する。


「この洞窟、壁が青白く光ってるおかげで明るいけど、これって魔結晶エーテライト?」


「だろうな。俺も鉱脈を見るのは初めてだけど」


 地中の魔素エーテルが圧力によって結晶化した物質が魔結晶エーテライト。かつては魔術において触媒として重宝されていたが、技術の進歩によって使われなくなった。


「元は鉱山だったのかしら。分かれ道だけど……」


「真っ直ぐ行こう。他は下ってるみたいだし、魔素エーテルだまりになってるとマズい」


 魔素エーテルだまりに入れば意識を失い、そのまま魔素過剰オーバーエーテルであの世行きである。

 緩やかな坂道を上がっていく二人。どのくらい深い場所にいるのか、どうすれば脱出できるのか見当もつかないが、目の前の道を進むしかない。


「落盤したりしない?」


「大丈夫だろ。見た感じ支えは魔術で強化されてる」


 長い間、人が立ち入っていないはずなのに木の柱は腐ることなく、切り出された当時の姿でそこにある。かなり腕のいい魔術師がこの坑道を開いた当時はいたのだろうか。


「この先、少し開けたところみたいだな」


 長い上り坂の先にあったのはすり鉢状の広大な空間。高い天井には無数の魔結晶エーテライトが輝き、星空を思わせる。地の底に突然現れた星空に仁とネージュは思わず息を飲んだ。


「不思議な場所……坑道の途中にこんなところがあるなんて」


「ああ、それに妙だ。坑道にしては手つかずの魔結晶エーテライトが多すぎる」


 道を照らしてくれる魔結晶エーテライトだが、本来は上に行けば行くほど採掘されて少なくなるはずだ。だが、ここは全くと言っていいほど魔結晶エーテライトは無視して穴が掘られている。まるで穴を掘ること自体が目的であったかのよう。


「この空間自体も、作られた理由が分からない。天然モノにしては綺麗すぎるし……一体、何なんだここは」


「仁、あれ。小屋じゃない?」


 ネージュの指さす方にあるのはかつては、ここを掘っていた人々が使っていたらしい小屋。木の柱と同じく、建てられた当時の姿そのままである。


「……良かった、誰もいない。仏さんでも転がってたらどうしようかと」


「置いてあるものから考えて千年前かしら。すごく古い」


 最悪、扉を開けた瞬間に白骨死体とエンカウントする可能性を考えていた仁だが、小屋の中は無人。天井に化け物が張り付いてるなんてホラー映画のお約束も無かった。


「本棚があるけど」


「ところでさ、そろそろ降りて良いかな。俺を背負ったままだと効率悪いだろ?」


「無理してない?」


「ネージュが背負ってくれたおかげで、かなり体力回復できたから」


 冷たい地下水脈を流されたおかげで火傷と打撲の痛みはほとんど消えた。折れた肋骨はどうしようもないが、体力も動ける程度には回復済み。

 がっちりと仁の太ももを掴んでいたネージュの手が緩むと同時に着地する。


「仁、これ見つけたんだけど」


「ここの計画書ね。役に立ちそうな情報は……『安倍晴明あべのせいめい』だと!」


 表紙に書かれていたのは千年前に極東にその名を轟かせた天才陰陽師『安倍晴明あべのせいめい』の文字。かつて、極東を襲った『門の神』との戦いにおいて、国中の陰陽師や武士たちを率いて戦い、これを自らの命と引き換えに打ち払った大英雄である。


「ここは門の神との戦いの時に用意された遺構ってことか」


 恐らくは、この巨大な穴倉自体が魔法陣の一種なのだろう。当時の魔術の粋を集めた巨大遺跡がここの正体という訳だ。


「防衛機構がまだ生きてたりなんて笑えないことありませんように」


 珍しく神頼みをする仁。

 千年前の魔術がまだ生きてるとは思えないが、安倍晴明の作った術式ならあり得るかもしれない。

 本から落ちてきた紙を拾い上げるネージュ。


「これ見て、坑道の図面。赤い点がここだと思うけど……」


「でかした、ネージュ! これで地上に出られる!」

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