七十一話『知らぬの功罪』
「……ヤバい。マジでヤバい」
腕時計の指し示す時刻は午後八時。ネージュから「ご飯が冷める前に帰ってきて」と指令を受けた仁だが、これはどう見ても……。
「間違いなく怒ってるよなぁ。唐揚げ用意して待ってくれてたんだもんな……」
メルティとの会話が盛り上がったせいですっかり時計を見ることを忘れていた仁。
満天の星空から空模様が変わらないこの空間では、時間感覚がおかしくなりやすい。ここに来てから何度目かの失敗である。
「機嫌、一度悪くなると直るまで長いから……謝ろう」
重たい足取りで門をくぐり、玄関に到着。そして、ゆっくりと呼び鈴を鳴らす。
「ネージュ、今帰った。開けてくれると嬉しいな……」
向こう側からは足音だけが聞こえ、ネージュが答える様子はない。やはり、ご機嫌斜めであるらしい。
しばらくして、鍵の開く音と共に扉が開き、ネージュが現れる。
「えっと、ただいま……」
「おかえり」
短く言い放つとすぐに顔を背けるネージュ。機嫌が悪い時の彼女は不満を言うとかではなく、最低限しか会話しなくなるタイプである。こんなところまで猫っぽい。が、それよりも仁の頭痛を加速させるのは、
「ネージュ、なんでそんな恰好を?」
現在のネージュはと言うと、サイズが大きめのワイシャツ一枚の薄着としか言いようのない姿である。シャツの向こうに黒いシルエットが見えるため、下着は着ているようだが。
しかし、そんな煽情的なカッコウも今の状況では、ただただ意味不明なコーディネートである。
「そのワイシャツ、俺が買ってサイズ合わずに置いといたヤツだよね。なんで、わざわざ……」
「彼シャツしようと思って」
(どういうことだ。誰か説明してくれよ……)
まず、芹奈からのアドバイスに従い、仁を悩殺するべく彼シャツ作戦を実行したネージュ。しかし、想定よりも仁の帰りが遅かったために機嫌が悪くなり、その後仁が帰宅。着替えるのも負けた気がするので、そのまま出迎えた。こうして、このカオスな状況は出来上がったのである。
もちろん灰月仁は知る由もない!
「で、何か言うことは?」
「早く帰るって言ったけど、遅れてすみませんでした」
「それもあるけど、他にも」
顔をそむけたまま胸を強調するポーズをとるネージュ。反応に困る仁。
「綺麗だ」
「——ッ! そう……もう冷めてるけど早く食べましょう」
ネージュはほんの一瞬だけ口元を
「けど、君は綺麗だから、あんまりそういう恰好して欲しくないんだ。危ないことに巻き込まれるかもしれないから。——だから、俺の前だけにしてくれ」
「——は、はひゅ……」
耳元で仁の囁きを受けて、へたり込むネージュ。混乱しているようで誰もいない空間を見つめている。
「おーい、しっかりしろネージュ。ダメだな、少し意地悪し過ぎたか?」
いつもは振り回される側なので今度は攻めに出てみた仁だが、思ったよりもネージュに対しては破壊力が高かったらしい。
「軽いな」
仁は立ち上がれないネージュをお姫様抱っこして運ぶことにした。
▲▼▲
「「いただきます」」
食卓の上に盛られているのは温めなおされて湯気を立てる唐揚げとご飯、みそ汁の一般的な極東の
「どう? 美味しい?」
「ああ、良く揚がって美味いよ」
サクッ、と丁度良い具合に揚がった衣に噛みしめると溢れる肉汁。下味もしっかりとついていて、ご飯の進む味わいである。しかも、ネージュが作ってくれたのだ。仁にとっては普通の唐揚げと比べて四割増しで美味い。
(良かった。なんでか知らないけど、機嫌は直ってる)
以前、ネージュの機嫌が悪くなったときは、次の日まで必要最低限の会話しかしてくれなかった思い出がよみがえる。その時は、一晩中抱き枕の刑に処されることで許してもらったが……。
(アレは心臓に悪いんだよな……まともに寝られないし)
添い寝には慣れた仁だが、それでも間近でネージュの寝息が耳元でしたり、柔らかな彼女の肢体が触れる感覚はいつまでたっても慣れそうにない。落ち着いたふりは出来るようになったのだが、心臓が高鳴るのを抑えられないという意味で。
(って、なんでさっき俺はあんなことを……恥ずかしすぎるだろ。俺だけの前にしてくれ、とかホストでも言わねぇよ!)
考えなしに思った通りのことを口にした結果、羞恥心に
(この服装、露出多すぎよね……どうしよう、はしたないって思われたり……)
冷静になって、自分がどれだけ過激なカッコウをしているかに気が付くネージュ。そして、世界には気が付かない方が幸せなこともある。
「そ、その……仁はこういう恰好、好き?」
「急だな……どちらかと言えば清楚な見た目の方が好きかな」
「——うぐっ」
うめき声を上げるネージュ。メンタルに五ダメージが入ったようだ。なお、仁は露出の多い恰好が嫌いという訳ではない。だが、今のネージュにそこまで思考を巡らせる余裕はないのであった。
「じゃ、じゃあ、仁の好みのタイプは……」
「グイグイ来るな……幼馴染系?」
(私と真逆?!)
心の中で血反吐を吐いて倒れるネージュ。空から降ってきた謎の美少女属性の彼女は、いつも一緒に育ってきた幼馴染属性とは正反対そのもの。ラブコメで言えば、帰国子女転校生カテゴリである。
「幼馴染のどんなところが良いの?」
「包容力があって、引っ張てくれることかな。あとは一緒に居て、家族みたいな安心感があるというか。小さいころからの絆みたいな」
「……そう」
短く答えると、ご飯と唐揚げを凄まじい勢いで食べ始めるネージュ。山のように積まれていた唐揚げが半分もなくなってしまう。美しい動きで次々と唐揚げが美少女の胃袋に消えていく、何ともシュールな光景だ。
「なら、ネージュはどんな人がタイプなんだ?」
仁の一言で止まるネージュの箸。しばしの沈黙のあと、ようやくネージュは口を開いた。
「あまりこだわりは無いけど……自分のやりたいことがあって、それに向かって努力ができる格好いい人。もちろんそれだけじゃなくて、色んなことが出来て、でも完璧って訳じゃなくて、私がそばにいてあげたいなって思えて……それから優しい人で、困ってる人が居たら放っておけなくて、私が困ってるときに助けてくれて……」
「こだわり強いな!」
「この位、普通だと思うけど?」
「んな訳あるかいッ! しかも、どこにいるんだ、その白馬の王子様の具現化みたいな存在ッ!」
ロマンチストなネージュの理想の高さに叫ぶ仁。確かに、ネージュの言うほどの相手は運命のいたずらでもない限り見つけられそうにない。……知らない方が幸せなこともある、というが、知らないことが罪、と言えることもあるとだけ。
食事を終え、コーヒーとココアをリビングの机に置く仁。夕食後のいつも通りの光景である。もちろん仁がコーヒー、ネージュがココアである。彼女曰く、苦い物は薬を思い出すから苦手なのだとか。
「はい、お待たせ」
「ん、ありがと」
テレビの電源を点けると、ニュースで今日未明に発生した港湾区画でのマフィアの抗争についての話題で持ち切りだ。
「毎年この時期になるとあるんだよな」
「そんな恒例行事みたいに」
「学園区画のあたりはともかく、港湾区画や隣接する繁華街は治安良くないからな、
画面に映るのは激しい銃撃戦の様子と、抗争中のマフィア二陣営を相手取る異端審問官の姿。
「英士がいるな。マフィアの皆さんが気の毒になる」
『
「仁もこんな仕事をしたりするの?」
「たぶん。でも、
「仕事だから仕方ないのよね……すぐに終わると言いけど」
「今回のはこれで終わりだと思うぞ。ここまでやれば来年まではマフィアの各勢力も大人しくするだろ」
「なら、薫や英士君も誘ってどこか遊びに行かない?」
「いいな。今回働いた分、二人も休暇が取れるだろうし」
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