七十話『箱庭の乙女』

「デカい家だな。流石、工房長の邸宅。ウチの五倍はあるんじゃないか?」


 分厚い壁と世界最高峰の結界が張られた和風建築の屋敷。その威容に圧倒されながら仁は門に付けられた取っ手を鳴らした。


「ごめんください。ガリオリフさんの紹介で伺いました、灰月仁と言います」


 しばらくの静寂のあと、門の上から声が降ってくる。


「……おじい様の紹介? 職人の方ですか?」


「ええ、『魔刻ルーン』関連の書籍があると伺ったので。それとこれ、ガリオリフさんの紹介状です」


「少々お待ちください。ご挨拶に上がります」


 降ってきたのは女性の声。警戒心といったものは感じられないが、抑揚に乏しく冷たい声音だった。言葉を交わしていると、物言わぬ壁にでも話しかけているような気がする程だ。


「さすがのセキュリティだな。機密書類の山だろうし」


 魔道具による結界によって侵入を防止する仕掛けの解除をしているのだろう。声の主が出てくるまでに待つこと五分。

 登録された生体情報を持つ者以外を迎撃する攻性結界。相当、手の込んだ仕掛けらしい。


「お待たせいたしました……お客様、一体何を?」


「あ、すみません。あまりに暇だったので、この結界がどんな方式で動いているのかなと。恐らく、十字教系魔術をベースに、蘆屋系結界術の理論を応用して結界にしてるんだと思うんですが」


「申し訳ありません。私は魔術には明るくありませんので、返答しかねます」


 門の向こうから現れたのは細かな刺繍が施された薄手のドレスの少女だった。初めに目に付くのはその背丈。仁よりも背が高く、百八十センチ後半はあるだろうか。頭の上の猫耳が特徴的。また、色が抜け落ちたような白い髪に病的なまでに白い肌。声だけでなく、全身から冷たさと今にも崩れてしまいそうな脆さを感じさせる。

 見ている方が心配になる程不健康な見た目の少女。それでも、彼女の翠緑の瞳だけは唯一鮮やかに輝いていた。


 和風な屋敷に洋装に身を包み浮世離れした外見を持つ彼女は、ここで明らかに異物だった。


「お客様、書庫まで案内いたしますので私に付いてきていただけますか?」


「ありがとうございます」


 少女の後ろに付いて屋敷に上がる仁。開放的な作りの屋敷は数えきれないほどの部屋があり、中庭には大きな池に鯉が泳いでいる。


「鍛冶場?」


 仁は途中に見かけた鍛冶場に意識を向ける。他とは違う重厚な扉の間から見える暗い部屋には、彼の自宅の簡易鍛冶場とは比べ物にならないほど様々な道具が置かれている。が、何よりも気になったのは作業台の上に置かれたモノ。


(右手の義手?)


「どうかなされましたか? お客様」


「いや、何でもないです。ただ見間違えだと思うので。行きましょう……えっと」


「——? ああ、申し遅れました。私は『メルティエッタ・アイアンバレル』と申します。以後、お見知りおきを」


 そう言って見事なカーテシーを見せるメルティ。あの豪胆な祖父から、どうすればこんな孫娘ができるのか。いや、ガリオリフも見かけによらず礼儀作法にうるさいタイプなのかもしれない。


(礼儀正しいけど、掴みどころのない人だな)


 見た目だけでなく行動からも違和感を覚える仁。相手への名乗りを忘れているのに、カーテシーは完璧だったりとチグハグな印象を受ける。ガリオリフからは、「書庫を見せてもええけどのぉ、孫娘の話し相手になっちゃくれんか」とのことであった。礼儀作法を学んだだけで実践したのはごく少ない、人と関わった経験があまりないのだろうか。


「ここが書庫でございます。分からないことがあれば、何なりとお申し付けください」


 メルティに案内された先は広大な地下室。換気用の設備によって微かに風があり、強すぎない魔素エーテル灯の光で照らされている。本を保存するには理想的な環境だろう。


「えー、北欧やら魔刻ルーンを目印に探せば雷の魔術に関する記述があるはず……」


 と、ぎっちりと棚に詰まった本の背表紙に目を通していく仁だが、見つかるのは近代以降の魔導書ばかり。


「コレ、背表紙がないな。それに羊皮紙でできてる」


 やっとの思いで見つけた古ぼけた本を手に取るが、


(……『究極モテ指南! 女心を思いのままに操る方法:完全版』? オイ、魔導書でも何でもないものが出てきたぞ!)


 仁は叫びたい気持ちをぐっとこらえて、興味本位……どんな小さな手がかりも見逃さないために本を開く。彼にやましい気持ちはない、たぶん、おそらく、きっと。


(前言撤回! コレ、超高度な魔導書だ!)


 淡い期待と共に本を開いた彼の心を笑うかのように、一ページ目から始まる複雑すぎる魔刻ルーンを用いた催眠魔術、変身魔術の術式解説と実戦での応用の嵐。しかも、勝気な女戦士、深窓の令嬢、儚げな未亡人などなど、タイプ別の口説き方と喜ばせ方についての細かい解説付き。


(ここまで熱心に研究できるのは凄いけど、内容は人間のクズそのものなの反応に困るな……著者は……当然、書く訳ないか。全世界の女性を敵に回すような代物だしな)


 興味深い内容だったがこれ以上は時間がもったいないので本を棚に戻そうとして、またしても羊皮紙で書かれた一冊の本が目に入る。


「今度はなんだ……」


 呆れ顔をしながら周囲を確認し、素早く本を手に取る仁。タイトルには『女神と湯浴み』とある。


(これも煩悩にまみれてるのか。って、女神と湯浴みで韻を踏むな! 覗きの指南書のクセしてタイトルが文学的とかやかましいわ! 北欧にはこんなアホしかいないのか!)


 などと、仁はそのアホな本を読みながらツッコむ。ぜひとも、鏡を持ってきてやりたい。

 参考までに内容は、女神の湯浴みを覗くための超本格スカウト技術指南書であり、音を立てずに素早く動く方法、視線を感じさせない方法、意識誘導の方法などで、悪い意味で実戦的。この著者は天の裁きを受けたと思いたい。


「いや、落ち着け俺。本来の目的を思い出すんだ。魔刻ルーン関連の本を探すんだろ!」


 しかし、このままでは目当ての本にたどり着くまでに時間がかかり過ぎる。今までの経験則から、古い書籍ならば魔刻ルーンに関する詳しい記述がある可能性が高そうだが。


「こういう時は詳しい人に聞くに限る」


▲▼▲


 メルティは書庫で一日中、本を読んでいることが多い。別に本を読むことが好きという訳ではないがそれ以外に出来ることがないのだから、何もないよりはマシといった具合だ。


「私もいつか、こんな景色を見ることが出来るでしょうか」


 彼女の瞳の先にあるのは一冊の画集。小動物のスケッチや壮大な景色を切り取った風景画などが取り留めもなく収録されている。

 彼女にあるのはこの家の中の記録だけ。自分と言う存在が始まってから、彼女の歩んできた道のりは本当に僅かな世界の中で完結している。


「おじい様……」


 祖父に「いつ自分は外に出られるのか」と尋ねてもいつも決まって「そのうちな」と返される。

 しかし、メルティはガリオリフを恨んではいない。彼がそう答える時の表情はいつだって穏やかに微笑みかけてくれていた。父も母もいない彼女にそんな表情を向けるのは祖父だけ。本で得た知識だが、これを『親の愛』と言うのだろう。

 それにメルティも愚かではない。祖父は異端審問所工房の工房長、そして自分はその孫娘。人質に取られることがあればどれだけの被害が出るかは分からない。故に、自分が外の世界を知らない箱入り娘であることも仕方がないのだ。


「メルティエッタさん。少し聞きたいことがあるんですが」


 感傷に浸っていたメルティの意識は、仁の声によって呼び戻される。画集から顔を上げて仁に視線を向けるメルティ。


「こういう羊皮紙の古い本ってどこにありますかね。北欧の、魔刻ルーン関連だとありがたいんですけど」


「それでしたら心当たりがございます。……ところで、それは『女神と湯浴み』ではないでしょうか?」


「……あ、ああ。そんなタイトルでしたっけ。それが何か……」


「いいえ。生真面目そうな方だと思っていたのですが、思いの外、俗なことに興味があるのかと思いまして」


「はは……この本は例として持ってきただけで、中身を見たりはしてないですよ……」


「そうですか、それは失礼な詮索をいたしました。では目当ての本までご案内いたします、お客様……いえ、灰月さん」


「なんで、様とれた?! 扱いが軽くなった気が!」


「気のせいと存じますが」


 仁の抗議を聞き流しながら歩くメルティ。久しぶりに祖父以外の人物と会話をしたことに戸惑いつつ、彼女の表情は変わらない。一体、どうすればメルティの無表情を崩せるのか。


「この『魔刻ルーン魔術概論』や『魔術による自然現象再現について』が灰月さんの求めるものかと」


 本棚から手入れの良く行き届いた羊皮紙の本を引っ張り出して、仁に手渡すメルティ。背表紙も無いのに迷うことなく目当ての本を取り出せたのは、十一年間ここで本を読み続けてきた成果だろうか。


「ありがとうございます……ところでメルティさんは魔術を学んでいたりは」


「私は適性がないので……それに、ここにある魔術の本は人を傷つけるものばかり。そういうのはあまり好きではありませんので」


「——そう、ですよね。確かに人を傷つけるかもしれないモノを嫌がるのは普通のことだと思います」


 でも、と前置きして仁は続ける。


「それは人を守ることにも使える力でもあると俺は思います。結局、魔術も魔道具も同じ、どれもただの手段に過ぎない。それをどう使うかは使い手次第です。例えば水の魔術なら、人を切断することも出来るけど、傷を治すことも出来るみたいに」


「使い方次第……では祖父の仕事も」


「ええ、別にずっと武器作ってる訳じゃないですよ。確かに有名なのは新門都市防衛砲ですけど、むしろガリオリフさんの凄いのは救命分野での発明です。誰でも使える傷の悪化を遅らせる魔道具で、どれだけの命が助かったか」


 つい熱く語る仁に目を丸くするメルティ。自分のことをあまり話さない祖父。優しい祖父が何を成した人物なのか知ったのは今のが初めてだった。そして、もっと祖父のことを知りたいと、そうメルティは思ったのだ。


「あの、灰月さん。祖父のこと、もっと教えてくれませんか」


「もちろん。一体、ガリオリフ・アイアンバレルという偉大な魔道具職人について、一ファンの俺が存分に語らせてもらいますとも!」


 ガリオリフの積み上げてきた功績を嬉しそうに語る仁。それを聞くメルティは相変わらずの無表情だが、答える声は心なしか楽しそうな気がした。


 

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