六十九話『異端審問所工房』

「キャラの濃い人だったな。なあ、ネージュ……ネージュ?」


(今夜、早速試してみよう。これで仁も悩殺できるはず)


「どうしたんだ。ボーっとして」


「何でもない。早く帰りましょう」


 そう言って足早に進むネージュ。いつも通りの凛とした表情を崩さないが、その目は獲物を狙う肉食獣のように鋭い。背後から向けられる視線に身震いする仁。


「そうだ、今日の晩御飯は何が良い? リクエストある?」


「今日は私が作るから。仁は疲れてるんでしょ」


「なら唐揚げでも頼もうかな」


「任せて。もう前みたいに油を燃やしたりはしないから」


 寮にいた頃、料理を教えてほしいというネージュに色々と作り方を教えた仁だが、唐揚げを作るとき色々あって火事になりかけたことがあった。それから何度か仁の下で唐揚げを作ったネージュ。今日は初めて一人で唐揚げ作りにチャレンジするという訳だ。


「レシピはノートに書いてあるから良く見ること。前みたいに火がついても慌てないこと」


「分かってる。安心して」


 と、そんな二人の前に廊下の曲がり角から出てきた欠け身の老人『ガリオリフ・アイアンバレル』が声を掛ける。


「こりゃ良いところにおったのぉ、灰坊。連れていきたい所があるんじゃが、少し時間いいかの?」


「えっと、私たちは試験から帰るところで、仁も疲れて……」


「行きます。行かせてください」


「仁? 疲れてるんじゃ……」


「こんな機会を逃せるか! 世界でも最高峰の魔道具職人であるガリオリフ様が俺に用があるんだって言ってくれてるんだ。断るわけにはいかない!」


 食い気味に答える仁に困惑するネージュ。相変わらず魔道具のこととなると疲れも無視して飛びつく彼の勢いには慣れそうにない。もちろん、ネージュとしても仁がやりたいことなら反対はしないのだが。


「それで、俺への用というのは?」


「本当にええのか、灰坊……手配していたお主用の工房の作業場が出来たもんで、工房に入るための手続きやらを済ませなくてはならんでの」


「なるほど、これからはウチの簡易作業場より良い設備が手に入ると。帰るのはかなり遅くなりそうだ……ごめん、ネージュ」


「別に? 気にしないからどうぞ?」


 少し頬を膨らませるネージュ。確かに仁のやりたいことを邪魔するつもりはない。が、それはそれとして、自分よりも魔道具の方を優先されるのに良い気がしないのもまた事実である。

 せっかく二人っきりで過ごせる時間が手に入りそうだったのを邪魔されればなおのこと。


「私はしっかり唐揚げ作って待ってるから。冷めないうちに帰ってきて」


「わ、分かった。善処します……怒ってる?」


「そんな訳ないでしょ」


(何で急に機嫌が悪くなるんだ? 俺、また何かやっちゃいました?)


 ネージュから放たれる不機嫌なオーラに顔を引きつらせる仁。そんな二人を見て、ガリオリフはこらえきれずに口元を歪める。


「……なんですか」


「いや、歳を食ってくると若けぇもんのじれったいやり取りで微笑ましい気分になるってもんでのぉ。いかんな、こういう事いうと若けぇのにはウザがられるんじゃった」


 活力のある喋り方で年齢を感じさせないガリオリフだが、若者に老人扱いされるのを気にするところは年長者らしい。

 抗議するように細められた仁の目を向けられていることも楽しんでいるようで、若者と話せることを喜んでいるのだろう。


「それでは、灰坊借りていくんでのぉ、エトワール嬢」


「出来るだけ早く帰ってくるように言ってください」


「聞いたか、灰坊。あまり嫁さんを待たせるな、とさ」


「「違います!」」


「カカカッ! 何、冗談よ」


▲▼▲


 異端審問所工房。機密保持のために材料の生産から実物への加工まで一つの敷地内で完結させた、世界の最先端技術を取り扱う場所である。周囲は物理的な壁と魔術障壁によって何重にも囲まれ、入り口には警備のため常に十人の異端審問官と一人の上級異端審問官が待機している。


「すごいな。本当に入れるとは……夢なら覚めるな」


「嬉しいのぉ、そこまで喜んでくれるとは」


 異端審問所工房で槌を振るえるのは、魔道具職人にとって最も名誉あることの一つと言って良い。エリート集団である異端審問官に相応しい腕を持つ武器の鍛ち手としては勿論もちろん、工房が抱える機密情報を漏らすことは無いと人柄を認められたという意味でもあるのだから。


「俺も異端審問所工房で魔道具を作ることを目標にしてきたので。異端審問官になれて、異審の工房にまで……こんなに幸せなことがあって良いのか」


「それなら、幸せついでに少し仕事を頼みたくての」


 橙色の光が漏れる扉の先に進めば、二人を出迎えたのは巨大な転炉。流れる融解した鉄が様々な工程を経て、最高級の鋼へと姿を変える。そして、工房の各所へ運ばれて職人たちの手により傑作へと生まれ変わっていく。


「工房長、隣にいるのは!」


「待たせたのぉ、ようやく灰月仁を連れてきた!」


「みんな! 来い! 灰月仁が来たぞぉ!」


「「「うぉぉぉぉおおおおおお!」」」


 号令と共に職人たちがゾロゾロと押し寄せ、あっという間に人だかりの中で身動きが取れなくなる仁。


「一体、なんですか!」


「仁、頼み事というのは異端審問所工房ここに籍を用意する代わりに、武器のテスターをして欲しくてのぉ。高速戦闘時における武器の性能評価、やってくれるじゃろ?」


「良いですけど……先に言ってくれませんかね!」


「老人は物忘れが激しいんじゃ、許せ」


「冗談なのか本気マジなのか分からないは止めてくださいよ」


「馬鹿モン! 冗談に決まっとろう!」


 良く響く大声で反論するガリオリフに仁は苦い笑みを浮かべる。やたら元気な老人だが、老人であるのも事実。冗談の中身は考えて欲しい。


「貴重なテスターだぞ! 逃がすな、囲め囲め!」


 仁のように高速戦闘に高い適性があり、魔道具に関する知識も豊富な人材を逃す手はない。


「待て! 今日は工房の中を案内するだけじゃ。テスターの仕事を振るのは明日からにせい。分かったら、各自の作業に戻れ」


 騒がしかった職人たちがガリオリフの一喝で静まり、それぞれの作業場へと帰っていく。豪胆で部下を従わせる確かなリーダーシップと世界最高峰の技量を併せ持つのが『ガリオリフ・アイアンバレル』という男だ。

 その評価に違わない人としての格を見せられた、そんな感想を仁は抱いた。


「ようやく散ったか、アイツら。お主の作業場はこっちじゃ、灰坊」


 仁に与えられた作業場は異端審問所工房では普通のサイズだ。が、鍛冶場に製図室、仮眠用のベッドなどがあるスペースなど、仕事をするために必要な設備は揃っている。職人の一部は一年のほとんどを作業場で過ごす、なんて噂もあるがただの噂とも言い切れないかもしれない。


「ここを自由に使って良いんですね!」


「もちろんじゃ。ただし、設計図は作業場から持ち出さないこと、出る時は短い時間でも必ずカギを掛けること、この二つを徹底せい。学校の工房ではなく異端審問所の工房、機密を扱う場所だということを忘れんようにのぉ」


「もちろんです。ありがとうございました」


「それと、分からんことがあれば儂のところに聞きに来い」


 そう言って作業場を後にするガリオリフを見送って、製図室の机に向かう仁。真っ白の紙にペンと定規を持って準備万端である。魔道具職人らしいことをするのは約一週間ぶりだ。


「ヴァン、出てきてくれ」


「呼んだかな?」


 部屋の中に置かれた椅子の上に現れるヴァン。狼の耳をひょこひょこと動かしながら辺りを見回す姿が新鮮だ。


「アドバイスが欲しくてな……水の魔術を扱う魔術師に効果的な初見殺しに心当たりがないか?」


「水か……生憎、僕は水の魔術が得意な魔術師とは戦ったことが少ないから。身体能力と炎でほとんどの相手には勝てたしね」


「うん? 炎? 待て、ヴァン。何色だ」


「何って、青色だけど」


 どうしても炎という言葉に意識を持っていかれる仁。もちろん、ヴァンが東京を焼いた犯人だとは思っていないが、それでも反射的に確認してしまう。


「何で俺は炎を使えないんだ? ヴァンが力を貸してくれているはずだろ?」


「あれ、話していなかったっけ。君の中にある『ヴァン』は本来の僕のほんの一部に過ぎないんだ。意識は完全な形だけど、力はかなり落ちてる。力の殆どは心臓の方が持ってるからね」


「そうなのか? じゃ、その心臓ってのは今どこに?」


「僕も分からないかな。予想は出来るけど、確実じゃない」


 仁の中に居て力を貸してくれるヴァン。彼を信用しないという訳ではないけれど、語っていない過去があるのは仁も分かっている。が、無理やり聞き出すのは仁のやり方ではない。誰だって聞かれたくない過去の一つや二つはあることを彼は良く知っている。


「フィジカルでゴリ押しするのが一番手っ取り早いのは俺も同意見だが……」


「仁の体は今以上の力に耐えられないよ。少なくとも今はね。 相手は相当な格上なのかい?」


「ああ、使徒中堅レベル……破壊規模だけで言えば暴走したネージュと同じくらいの実力だ。まともに戦っても勝ち目はない。前だって相手が俺を殺す気が無かったから一発入れられただけだ」


「なるほど。じゃ、古典的だけど毒はどうだい?」


「俺もそれは考えたんだけど、相手は回復魔術が使える。しかも、心臓を斬り刻んでも復活できるくらいの練度で。毒は効かないと思った方が良い」


「それなら……」


 お互いにアイデアを出すが役に立つものは少ない。圧倒的な実力差がある敵を殺すためには生半可な初見殺しでは届かないのだから。


「次は……どうした、ヴァン?」


「強大な相手を倒す方法を誰かと考えるのが懐かしいなと思ってね」


「それって、前に言ってた人のことか?」


「いいや、それよりもっと前。父さんや叔父上、バルと一緒に平和のために戦っていたころの話だよ」


「ヴァンも色々あったんだな」


「ああ、本当に色々……」


 目を見開くヴァン。彼の脳裏によぎるのは、ある一柱の神の姿。戦槌を振るい、父と共に数多くの戦場を渡り歩いた戦神を。


「——『轟雷戦槌ミョルニル』」


「欧州の北部地域に伝わる伝承の武器だな。それがどうかしたのか?」


「雷は海を断ち割り、空を切り裂く。水の流れと共に雷は迸る。これなら行けるかもしれない」


「でも、俺は魔術は使えないけど……剣槍の先端に呪文を仕込むのにも雷の魔術なんて聞いたことが無いし」


 剣槍の魔素エーテル吸引と呪文による局所的な魂機能の部分代替によって、刀身に魔術を纏わせる単純な魔術ならば仁でも扱える可能性がある。基本原理はこの世界のテレビやエアコンのような魔化製品と同じ。が、存在しないモノ雷の魔術はどうしようもない。


「いいや、確かに雷の魔術は存在する。『魔刻ルーン』を使えば方法はあるはずだよ」


「『魔刻ルーン』か。近代西洋魔術は分かるけど、古典西洋魔術はあんまりやってないからなぁ」


 古典西洋魔術を使うのは、相当のもの好きか超一級の実力者だけ。早い話が、制御と威力、魔素エーテル消費のバランスに優れる近代西洋魔術に比べて、古典西洋魔術は威力ばかりを追求したために燃費は劣悪、制御も長い鍛錬が必要、普通に使うなら欠陥まみれの時代遅れと言って良い。


「と言っても、僕も『魔刻ルーン』にはあまり詳しくないんだ」


「ダメじゃん! 文献漁るにも極東で古典西洋魔術の更にマイナー分野の本がすぐ見つかるとは……」


 その時、仁に天啓が訪れる。


「ガリオリフさん、『小人ドワーフ』だ」


 小人ドワーフといえば魔刻ルーンの発祥地である欧州の北部にルーツのある亜人だ。個人で魔刻ルーンに関する書籍を持っているかもしれない。あるいは、そういう人物と繋がりがある可能性もある。


伝手ツテあるかも」




 

 

 


 

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